ルーク
アイスブルーの髪がさらりと揺れた。色彩の薄い水色の瞳が私を見て、怪訝な顔をする。わけがわからないのは私の方なのだけど。
なぜ、ルーク・マクゼガルドがここにいるのだろうか。
「ルーク、新入部員のアリサ・トラウ嬢だ。トラウ嬢、会計のルーク・マクゼガルドだ」
「よ、よろしくお願いします」
カンダスに紹介され、私は慌てて頭を下げる。
今、会計って聞こえた。ということは、ルークはこの『歴史研究部』の部員ということだ。知らなかった。というか、ルークが何部か原作もコミックもアニメでも語られていなかったと思う。
まずい。できるだけ、原作のメインキャラには近づかないって決めたのに。まして、ルークは最推しのキャラだったので、心臓に悪い。たとえ自分が将来彼に地面にたたきつけられるとわかっていてもドキドキしてしまう。
「今年の入部は、この子だけか?」
「そうだね。だから、僕じゃなくてルークが紹介した方がいいって言ったんだ」
カンダスが苦笑する。
「少なくとも女性はたくさん来てくれたはずだ」
それはそうだろうなと思う。『公爵令嬢は月に憂う』のキャラの中で、ルークはたぶん皇太子と同じくらい人気があった。
こっちの世界で氷の貴公子と呼ばれているかどうかは知らないけれど、規格外の美形だし次期公爵でもある。男女問わず、お近づきになりたい人は多いだろう。
それに原作の記憶では、ルークはまだ婚約者がいないはずだ。理由はよくわからないけれど。
超優良物件だから、狙っている令嬢がたくさんいるのは当然だと思う。
「そんな女はろくなもんじゃない」
ルークは舌打ちする。
なんだろう。目が怖い。私に向けられているわけではない……とは思うけれど。
「そうとも限らないよ。たとえ最初の動機が不純でも、活動をしていけばきっと」
「続けられた試しがないじゃないか。ついでにいうと、邪魔で仕方ない」
ふうっとルークがため息をつく。
見ないようにしようと思っても、つい目に入ってしまう。本当にかっこいいのだ。
とはいえ。わざわざ重要キャラに接近しない方がいい。今は冷静でいられるけれど、原作の強制力のようなものが存在したら、私が悪女への道を走っていく可能性もある。そんなことになったら、育ててくれた神官長に申し訳ないと思う。
「あの、私、入部するのがご迷惑なようでしたら、他の部に」
恐る恐る私はカンダスに話しかける。
「え? どうして? 迷惑じゃないよ。君はルークがここの部だって知らずに、来た子なんだから。なあ、ルーク」
「ああ、まあ。そうだな。さすがに一人も部員が入らないと廃部になる」
ルークが頷く。
「廃部?」
「そうなんだ。うちはさ、地味な『勉強』系だからね。例年、非常にシビアな状態なの」
カンダスが苦笑する。
「僕たちが入部したときは、ルークにぞろぞろ女の子が付いてきたんだけど、結局、やめちゃったんだよね」
それはなんとなくわかる気がする。
ルークと仲良くなりたい
「昨年は先輩に言われて、ルークが部活紹介に付き添ったら、やっぱり女の子はいっぱい入ったんだけどルークが邪険にするからやめちゃったんだよね」
カンダスが肩をすくめた。
「今年の新入生の子でもルークがここの部だとわかると、途中から入部したがる子もいるだろうけれどね」
「廃部になるよりは、いいんじゃないですか?」
十人はいれば、一人くらい残るかもしれないわけで。絶対続かないって決めつけるのもどうかなと思う。
「……まあそうだね。ただ、やる気のない子が途中から入っても、正直にいえば邪魔なんだよね」
ふうっとカンダスはため息をつく。
「でも、今年はルーク関係なしで、女の子が入ってくれて嬉しいな」
にこにことカンダスに微笑まれてしまい、逃げ道がなくなった気分だ。
部活の内容は楽しそうだけれど、ルークは前世でイチオシだったから、気を付けないと『仲良くなりたい』とか考えてしまうと思う。
原作うんぬんがなくても学院の中では、建前上、平等だけれど、私は平民、ルークは次期公爵。下手な夢は持ったら苦しいだけだ。
「とりあえず今月中は、資料の読み方、選び方や論文の書き方なんかを、覚えてもらって、来月中には研究テーマを選んでもらう形かな」
「では、俺が教えよう」
「え?」
ルークが何故か名乗りを上げる。えっと。先程までの話だと女性の相手は面倒みたいな印象を受けていたのに。
「ああ、それがいいね。次にくる子はきっとルーク目当てだから」
カンダスはにこりと笑う。
「さすがに公子さまに教えていただくのは恐れ多いので、出来れば別の先輩に」
私はぼそぼそと口を開く。
「却下。ここで身分の話を持ち出す気なら、そもそも公子の俺に逆らうな」
ルークの顔が不機嫌に歪んだ。怒らせてしまったようだ。
「……申し訳ございません」
どうやら私は断り方を間違えてしまったらしい。さっと血の気が引いた。
これ以上何か言うと、闇落ちする前に、命がないかもしれない。
「トラウ嬢、気持ちは分かるけど、うちの部にいる間は、爵位の話はタブーだからね。そうじゃないと、侯爵家の僕がルークを差し置いて部長っておかしいでしょ」
「すみません」
カンダスが侯爵の子息とは知らなかったけれど、普通に爵位で考えたらルークが部長になるところだ。ルークが、表に出たくないないだけかもだけど。もっとも私にとっては侯爵家も雲の上の存在である。とりあえず、この部は、爵位を基準にしていないようだ。
「まあ、気持ちはわかる。その感覚が間違っているともいえない。でも、この部室だけは肩の力を抜いていいから」
「ありがとうございます」
カンダスは本当に良い人みたいだ。そうだ。最初のひと月だけというなら、それほど親しくもならないだろう。教えて貰ったら距離をとればいい。というか、私がわきまえていればすむのだ。
最推し相手にそれができるか、ちょっと自信が無いけれど。
「話は終わったなら、まずこっちへこい」
ルークに言われて、そちらへ行くと、資料室の棚の一番隅の冊子を取り出した。
「これは、貸出ノートだ。資料室の本をこの部屋から持ち出すときは必ず記入する」
「お借りできるのですか?」
思わず声が弾んでしまう。
「ああ。部活の時間だけでは、研究が進まないこともあるからな」
「無料ですか?」
「は?」
ルークは一瞬、首をかしげた。
「あ、いえ。貴重な資料をお借りするわけですので」
「金はとらん。紛失するようなことがあれば、話は別だが」
「良かった……」
私は胸をなでおろす。とはいえ、一冊いくらするかもわからない貴重本だ。出来る限り、ここだけにしておいた方が安全のような気がする。いつ悪の道が開くとも限らない私は自分が信用できない。
「お前……変な奴だな」
ルークが口の端を少しあげる。
胸がドキリとした。さすが最推し。ちょっとした表情変化も動悸、息切れのもとになってしまう。
私は慌ててルークから視線を外す。
「資料の読み方とか選び方は今度教える。ノートを一冊持ってくるように」
「はい」
「部活は週に二回。毎月一回、研究発表会がある。今月末は、興味を持っていることについての意見交換になる」
「……わかりました」
思っていたより、ずっと丁寧な説明で、表情も柔らかい。ルークはエリザベス以外には冷たい印象だったのだけれど、カンダスとのやりとりを見ても、そうではないのがわかる。
そしてまた、その冷たい風貌が柔らかく変化するのも、胸キュンポイントでいけないとは思いつつ、私の心は大騒ぎだ。
「何か質問は?」
「特にありません」
私は首を振る。
ルークはふーんと頷く。
「お前、なんでここに入ろうと思った?」
「その。歴史が好きなのと、費用が掛からなくて、カンダス先輩がとても落ち着いた方だったので」
「費用?」
ルークは首をかしげる。公子さまだから、そんなことを気にしたことないのだろう。
「私は平民で、特待生なので。できるだけ余計な費用はかけたくないというか」
「ジェイク狙いなのか?」
ルークが横目でカンダスの方を見る。
「ととと、とんでもないです。あの、その。そういうことではなくて、部活動そのものが落ち着いているのだろうと思いまして」
ふっとルークが笑う。
「ということは、俺が部活紹介に出たら、ここに来なかったってことか?」
「はい。たぶん。あ、すみません……その、えっと」
私は正直に答えて謝罪する。
「なるほど。失礼な奴だな」
ルークはなぜか嬉しそうに笑い、私の頭をポンと叩いた。
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