恋する暇などありません!

秋月忍

一学期

ライトノベルの世界に転生しました。

 国立魔術学院の入学式の日。

 私、アリサ・トラウは、ドジっ子よろしく門の前で、目に見えない何かにひっかかって転んだ。

 まるで、不自然な転倒。

「もう、泣きたい」

 必死に勉強して、やっと入学できた晴れの舞台で、すっころぶなんて最悪だ。

 唐突だけど、私には前世の記憶がある。

 思い出したのは、三年前、流行り病にかかって死線をさまよったあと。もっとも、その時はぼんやりと夢のように思っていたのだけれど。少しずつはっきりとしてきて、ああ夢ではないのだなって思った。

 前世の名前は、国広理沙くにひろりさ。学生時代からライトノベルが大好きで、お小遣いのほとんどは書籍に消えていた。

 理沙がどうして死んだのかは思い出せないけれど、多分過労死だと思う。

 勤めていたのはいわゆるブラック企業で、最後は、あれほど好きだったラノベまでもがつまらないものに思えて、空っぽになっていた。その後のことは何も覚えていない。

 身体も心も疲れ切っていたのだろう。

 いくら『転生モノ』が流行っているからと言って、まさか自分がそんなことになるとは夢にも思わなかったけれど。

 まあ、それはいい。こうして、第二の人生を得ることが出来たのだから、今の人生はもっと真っ当な職場に勤めたいと思っている。この学校をすすめてくれたのは、育ててくれた神官長さま。この学院に入れば十六歳から十八歳まで丁寧に魔術を学べる。

 だから卒業できれば、かなり安定した生活ができるらしい。私は立派な魔術師になりたいのだ。

「そんなとこにいると、通行の邪魔なんだが」

 冷ややかな声にそちらを見ると、アイスブルーの髪をした美形が私を見下ろしていた。色素の薄い冷たい瞳。紺地のブレザーに青色のネクタイ。

 胸がドキリとする。

 氷の貴公子、ルーク・マクゼガルド公子だ……。

 会ったことなど当然ないし、肖像画だって見た記憶はないのに、私にはわかる。

 なぜだろう。

「早くどかないか。みなが迷惑する」

 ルークは苛ついているようだった。

 私ははっとなった。このひとが公子であるなら、私の首なんて簡単に飛んでしまう。

「すみません。すみません」

 私はぺこぺこあやまって、一目散に退散する。足をすりむいて、かなり痛いけれどそんなことを気にしていられない。

 やばい。

 くわばら、くわばら。

 クラス決めの掲示板を見る生徒たちに紛れながら、私は冷汗をぬぐう。

 それにしても、なんだか既視感を覚える風景だな、と思う。

 生徒たちの制服、妙に日本を思わせる校舎……。

 まさか。

 私は自分の髪をすくい、その見慣れたピンクの色に確信する。

 日本というか、地球上の人類にはなかった様々の色彩の髪。ロードナン帝国国立魔術学院。

 ああ。ここは、『公爵令嬢は月に憂う』の世界だ。

 パズルのピースがピタリとはまって、腑に落ちた。

 今、会ったのは、『公爵令嬢は月に憂う』に出てくる登場人物で、主人公である公爵令嬢の兄、ルーク・マクゼガルド。主人公、エリザベスを溺愛する、クールな貴公子である。

 私の最推しのキャラだ。

 そうだ。ここは学生時代に愛読したラノベの世界に違いない。

 転生ものではないけれど、いわゆる悪役令嬢、婚約破棄もので、コミカライズ、はてはアニメにもなった大ヒット作だ。

 悪役令嬢、婚約破棄ものというのは、従来のシンデレラストーリーのヒール役を主役に据える恋愛物語。

 前世の私は、ハマりにハマって、原作、コミックス、アニメと全て履修していた。

 『公爵令嬢は月に憂う』は、悪役令嬢モノなので、悪役令嬢である、公爵令嬢エリザベス・マクゼガルドが主役だ。悪役令嬢と言っても別にあくどいことをしているわけではなくて、ちょっと誤解されやすいタイプの女性、という感じ。

 少し不器用で気の強いエリザベスは、同級生の婚約者である皇太子グレイ・ロードナンとすれ違いを続ける。

 そこに現れたのが、アリサ(私だ!)という孤児の特待生。アリサは上昇志向の強い女で、色香で惑わせ皇太子や貴族の子息を垂らしこもうとする。

 やがて、アリサとグレイが付き合っているという噂が広まり始めた。

 エリザベスは、グレイの心変わりを知り、身を引こうと決心する。

 ある日、エリザベスは、アリサの黒魔術で召喚した魔物によって捕らえられて、死ぬか婚約破棄のどちらかを選択するように告げられる。そんなエリザベスのピンチにさっそうとグレイが現れ、エリザベスを救う。そしてアリサが暗黒教団とつながっていることを見抜くのだ。企みを暴かれ、エリザベスに刃物を向けようとしたアリサは、先ほどのルークに地面にたたきつけられて、逮捕される。その後、グレイとエリザベスはお互いの誤解を解いて結ばれるというお話。ちなみに、アリサは投獄されて、獄死だった。

 つまりだ。私、アリサは悪役令嬢ものの中では何故かヒロインと称される悪役ってことになる。

 ややこしいけれど、ヤバイ。暗黒教団ってなんなのよ。私、これでも風の神オーフェの神殿育ちなんですけれど。

 冷静に考えて。

 そもそも、十六歳から十八歳の国中の貴族子息令嬢が一同に集められる学校ってなんなのか。しかも全寮制とか。そんなの警備が大変すぎだよ? それに騎士と魔術師と官吏、あと政治家を育てる学校って、いくらなんでもよくばりなんじゃないかと思う。

 などと、今更な細かいツッコミをしても仕方がない。

 ここが『公爵令嬢は月に憂う』の世界だとしても、私が悪事を働かないとダメな訳では無い、と思う。たぶん。とはいえ、さっき私は何も無いところで、なぜ転んだのだろう。偶然かもしれないけれど、転倒させられたように感じた。もし、強制力のようなものが働いているのなら。主要キャラに近づくのは危険かもしれない。

 私はクラス分けの掲示板を見てから、講堂に入った。

 入学式の席は、既に指定されていて、特待生の私は、一番後ろの一番隅っこ。

 成績がどうであれ、これは関係ない。いくら学問の前には平等だとうたっていても、貴族社会の上下関係は、ある意味絶対なのだ。

 主人公のエリザベス、皇太子グレイ・ロードナンは、最前列に座っている。

 エリザベスは、美しい長い銀髪。兄のルークと少し髪の色が違うけど、別段義理の兄妹という設定ではなかったと思う。グレイはライトブラウンの短髪。ふわふわのクセっ毛。

 どちらも思わず感嘆の声をもらしたくなるくらい端整な顔をしている。

 私はルークを推していたけれど、主役のエリザベスとグレイのカップルもすごく好きだった。

 すごいよね。現実に実在して、目の前で息して動いているんだから。

 思わず呼吸が荒くなってしまう。

 とはいえ。原作通りに進んでしまうと、私は闇落ちしてしまう。

 しかし、私は男を垂らしこむテクニックなんぞ持ってない。

 そもそも、前世では、家と会社の往復しかしてない社畜で、恋人はおろか友人もいなかった。

 そして今生の私であるアリサは作品のヒール役のわりに、自分で言うのもなんだけどすごく真面目に生きてきたと思う。

 三歳で両親を亡くし、孤児院に入って。そこで、巡回の神殿の神官に『魔力』の強さを認められ、神殿に引き取られた。神殿で一生懸命学問を学び、学院の入学試験に挑んだ。そして特待生として、この学校に入ることを認められた言わば努力の人生だと思う。

 この学校でいい成績をとり続けることができれば、少なくともその間、食事と住むところに困らない。優しいけれど決して経済的な余裕はない神殿のひとたちに迷惑をかけたくなかった。私は、自立するためにこの学校に入ったのだ。

 それが何をトチ狂ったら、男狂いの悪党になっちゃうのだろう。考えただけで自己不信に陥りそうだ。

「この国の将来を担えるように学びたいと思います」

 一年生の式辞を述べたのは、皇太子のグレイ・ロードナン。やっぱり、ヒーローだけあって、キラキラしているなあと思った。

 でも、まあ。カッコいいけれど、近づくのはやめよう。いつどこで、物語の強制力が働いて、私が悪の道を進まされてしまうかもしれない。

 エリザべスとグレイは、両想いなんだから、私が邪魔しなくてもきっとゴールインできるはず。

 邪魔はしないから、そっと見守る……のもダメかな。出来れば、推しカップルを見届けたいのだけど。保身とオタク心。どちらを優先するか、難しいところ。

 とりあえず、暗黒教団さんと知り合いにはなるのはよそう。私はそっと誓ったのだった。

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