其の十一 図書室

 花は怒ってずんずん先へと進むが、俺が手を握り締めて離さない為、俺は花に引っ張られてる情けない奴になっている。


 片手で自転車を支えるのは、なかなか難しいものだ。でも、離したくない。全速力の花は、自転車でも追いつくのは大変だろうから。


「花、悪かったって」


 ぐず、と花の鼻が鳴った。恨めしそうにこちらを上目遣いで見る潤んだその瞳すら可愛いと思う気持ちを伝えたら、さすがに引くだろうか。


「……宗ちゃんて、そんな人だったっけ」

「そんな人ってどんな人?」

「チャラい人」


 成程。先程のキスを、花はチャラいからと受け取ったらしい。


「違うよ花」

「何がよ」


 しまった。結構かなり相当怒っている。


「俺はチャラくなんかない。こんなこと花にしかしないし、そもそも俺は花に会った時からずっとこうだ」

「……会った時から?」


 やはり太一の思い込みを吹き込まれ続けてきた所為で、花は俺の必死のアプローチに全く気付いていなかったらしい。子供の頃の俺、ドンマイ。


「だって俺、ずーっと花の傍にいただろ? ずっと手も繋いでたし」


 その言葉に、花がハッとして俺を見る。本当に今気付いたのか。かなり独占欲丸出しだったのに。小学三年生で女子と手を繋ぐ行為は、相当分かり易い部類のものな筈なのだが。


「あれって、そういう意味だったの⁉」

「他にあるか?」

「いや、私の面倒を見る様におばさんとかに言われてたからかなあ、と」

「だって一目惚れだったし」

「へ……」


 花は見事に驚いていた。だがそのお陰か涙は消えたので、よかったよかった。


 校門が見えてくる。


「なあ花、昼飯、外で食おうぜ。部活、午前中だけだろ?」

「あー、うん。おばさんにも外で食べておいでって言われてるし」


 ナイスだ母さん。花に関しては、母さんは完全に俺の味方だ。まさかもう付き合ってるなんて思ってもいないだろうが。このまま黙っていたら、臨時小遣いをもう少し貰えるだろうか、などという少し情けない考えが、脳裏を横切る。


「俺、図書室にいるからさ、終わったら来てよ」


 校門を潜り、校舎脇にある駐輪場に向かった。ようやく花の手を離し、自転車のタイヤを自転車立てに突っ込む。夏休み期間中だからか、さすがに台数は少なかった。


 自転車の荷台から花の鞄を取り、花に渡す。


「これから、部活の時は一緒に来てもいい?」


 俺は部活はやっていない。だから、基本は暇人だ。この夏休みにやる予定だったことといえば、読書とゲーム位しかない。


「でも、宗ちゃん夏休みの宿題は?」

「そんなの七月中に終わってるよ」

「え……なにその優等生っぷり」


 花の言葉に、ピンと来た。驚いた表情の花に向かって、ニヤリと笑って見せる。


「花、まだ手をつけてないんだろ」


 花が思い切りぎくりとしたのが分かった。花は、すぐに態度に出るから面白い。花の外見も大好きだが、嘘を隠せないところとか、周りに見せる心遣いとか、そういった心が清らかなところがまた、俺の独占欲を唆るのだ。


「少しはやってるよ!」


 上擦った声で答えた花の目は、泳ぎまくっている。本当に誤魔化すのが下手くそだ。まあそこが花らしいが。


「少しって、どれ位?」

「……数学は、5ページ」

「他は?」

「……まだ」


 呆れる程やってない。これには、さすがに可哀想になった。家事に部活にと忙しいのは分かるが、もうすぐお盆だというのにこの進捗では、夏休み最終日に泣きを見ることは明らかだった。


「分かった。俺が手伝う」


 途端、これまでで一番の輝かんばかりの笑みが、花の顔に溢れた。……俺の告白の時よりも嬉しそうじゃないか?


「嬉しい! さすが学年上位! いや本当困ってたの。でもよく分かんないし、もうこの際やらなくていっかーなんて思ってて」

「いややれよ」

「ですよね」


 てへ、と花がおどけた顔をしてみせたので、そんな花の頭にぽんと手を置くと、顔を近付け囁いた。


「一日のノルマ設定するから、達成出来なかったらキスな」

「ええ⁉」


 花が顔を真っ赤にする。それを見て、多めにノルマを設定しようと思った。



 機嫌が直った花と別れ、真っ直ぐ図書室へと向かった。うちの学校の図書室は何故が無駄に蔵書数が半端なく、近くに大型図書館がない俺の様な者には非常に有難い存在だ。


 受付は誰もおらず、チラホラと机に向かって勉強をしている生徒がいる程度だ。借りていた本を返却口に置き、さて今日は何を読もうかと本棚を眺め始める。


 俺みたいにただ本が好きで読みに来る生徒は珍しいのか、奥の方に行くと人はまばらだった。


 たまには古典でも読もうかな、とコナン・ドイルの『失われた世界』を手に取る。もう何度か読んだが、この世界観が好きでつい何度も手に取ってしまうのだ。


 くるりと机がある方に向き直る。本棚を掴んでいた茶色い手が、サッと引っ込むのが目に入った。女か、子供の手だ。だけどここに子供は入ってくる訳がない。とすると、女か。


 訝しげに思いつつ本棚の端まで行くと、手が消えた方向を見る。立っている生徒はいなかった。


 ふと、花の言葉を思い出した。俺が太一の幻を見ているんじゃないか、というあの言葉を。でも、おかしい。何故なら、太一ほど図書室という言葉から程遠い存在はいないからだ。とにかく本を読むのが嫌い、漫画だって字が多いやつは読むのを拒んでいた程の筋金入りの読書嫌いだった。いくらこれが俺の無意識だからといって、太一の幻が図書室に現れる訳がない。あり得なかった。


 そこまで考え、別の可能性を思い浮かべる。これは、本当に幻なのか。もしかしたら、太一の幽霊なのではないか。昨日から急に俺の前に現れる様になったのは、太一が公的に死人となったからか、それか俺が太一演じるのををめたから……ではないか。


 考えても分からない。何故なら、俺はその答えを知らないから。


 ならば考えても仕方がない。パンクしそうになる頭を横に振ると、気を取り直して読書に意識を切り替えた。


 少しヒヤリとしたものを、背中に感じつつ。

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