其の八 子供の手
俺が太一から宗二に戻った、次の日。
花は、部活の練習があるとからと、早くから支度をしていた。同じ屋根の下に彼女が寝泊まりしているという興奮冷めやまぬシチュエーションに浅い眠りを刻んでいた俺は、起きて早々支度中の花の元に急いだ。
「花、今日は学校?」
「え、あ、うん」
勿論、知った上での質問だ。咄嗟に、学校に何か用事がないかと瞬間風速最大級で考える。……あった。
「俺、図書室で借りてた本を返さないとなって思ってたんだよ。一緒に行っていい?」
「え、うん」
「じゃあ急いで顔を洗ってくるからさ、待っててよ」
なるべく平静を装ったが、俺の心臓はばっくばくだった。バス停までが遠いから、チャリで2ケツで行こう。どうせ朝は、畑で収穫しているじじばばしかいない。
昨日は一瞬しか出来なかったキスを、今日はもうちょい長くしてみたりは出来ないものか。
確か、花はいつもバスで通っていた筈だ。俺は基本自転車で、雨の日だけバスを利用している。何故か。一時間に一本しかないからだ。その時間に絶対間に合わせないといけないと考えるだけで、鬱陶しい。花みたいに規則正しい性格の奴はいいかもしれないが、俺には到底無理だった。
洗面所で顔をバシャバシャと洗い、タオルでしっかりと顔を拭く。男も化粧水を付けるらしいなんて聞いたりもするが、必要なんだろうか。恥ずかしさがあった為、試してみたことはない。幸いそこまでニキビも出来ない肌質らしく、万年帰宅組の俺の肌は比較的白くてすべすべだ。
昨日までは確かにあると思っていた泣きぼくろがない所為か、少しシンプルな顔になった気がしないでもない。まだちょっと子供っぽい顔だが、いずれはもっと男らしい顔つきになるんだろうか。今のところ、自分的には悪くない顔だと思っているが、将来はどうなることやらだ。
跳ねた後頭部の髪を直すべく、今度は頭から洗面所の水を被る。トントン、と誰かが廊下を歩いている音が聞こえた。
伏せた状態のまま目を細く開けると、洗面所のドアノブに、日に焼けた少し小さい手がかけられているのが見える。
花の手は、あんなに小さかっただろうか。俺のことが気になって来てくれたのか。つい嬉しくなって、急ぎタオルを取り、頭を拭きつつ振り返る。
「花、お待たせ!」
つい声が弾んでしまったのは、ご愛嬌だ。
「あれ?」
ドアノブには、手はなかった。どこに行ったのか。洗面所の電気を消し、ドアを閉じ辺りを見回すと、リビングから花と母さんの声が聞こえてきた。
「宗ちゃんも学校? 図書室? ……珍しいわねえ」
「返す本があるって言ってました」
「それって口実じゃ……よおし」
リビングに入ると、母さんが俺を見つけた途端に財布をぱっと取り出し、すっと二千円を渡した。耳元で、こそっと花に聞こえない様に言う。
「デート代よ」
驚いて母さんを見ると、母さんはニヤニヤとしているだけだ。まだ付き合っているのはバレていないのか。ならばこれは、ありがたく頂戴することにしよう。
「いただきます」
「有効利用する様に」
「はい、お母様」
「……随分素直ね」
母さんは意外そうに眉を上げた。夜、ごはんの時にでも教えてあげようか。勿論、花に確認してからにはなるが。
花のことが大好きな母さんのことだ、きっと大喜びするに違いないから。
ポケットに折ったお札をしまいつつ、花に声を掛けた。
「花、さっき洗面所に来ただろ?」
すると、意外な答えが返ってきた。それは母さんからだった。
「何言ってんの、花ちゃんはずっと私とここにいたわよ?」
俺は、キョトンとしてこちらを見ている花を同じ様に見た。
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