水槽の君に溺れ
扇谷 純
第一章
第1話
やあ、夏目。元気にやってるか?
本来なら親愛なるだとか、拝啓だとかいう気の利いた書き出しの方が良いのかもしれないが、俺とお前の仲だし別にいいよな。
それに俺はそもそもこの手紙をお前さんに出すつもりもないから、あまり細かいことを気にする必要もないだろ。
さて、この度は見事に大学を留年して就職話も白紙に戻った俺なわけだが、お前さんにだけは事の顛末について話しておこうと思う。
先にも言ったが、俺はこの手紙を誰にも見せるつもりはない。だから実際は、壮大な独り言だと言えるかもしれないな。
お前さんは基本的に無口で自分の話をしたがらない奴だったが、俺はそうじゃない。どちらかと言えばお喋りで、独り言は多い方だろう。それも非生産的な文言ならいくらでも口から溢れ出てくるのに、肝心の部分となるとからっきしだ。
その肝心な部分を話せる相手っていうのが、これまでに出会った中でお前さんしかいなかったわけだから、俺はこういう回りくどい方式を取って自身の本音を語り始めているわけさ。
言っておくけど
自分事なのに“可能性”なんて言葉を使っている理由としては、俺自身もその時に発した台詞を正確に思い出せないからだよ。となるとそれは告白ではなく、一種のヒステリーに過ぎないだろ? そういうことさ。
そういった面では、お前さんの方がお喋りだったと言えなくもないな。俺みたいに無駄な言葉(個人的には、ユーモアたっぷりの会話で周囲を楽しませているつもりだがね)が少ない分、お前さんの台詞には何かしら心に響くものがあったよ。そんな初心なお前さんだからこそ、俺も真摯に向き合うことができたのかもしれない。
前置きが長くなったな。俺の大学卒業と就職話がいっぺんに水の泡と化した原因は、要約すると一人の女に由来するわけなんだが、その前にいくつか話しておかなければならないことがある。
「なんだ、女か。」なんて早々に終わらせないでくれよ。お前さんなら開口一番にその台詞を寄こしそうだが、これにはちょっとした経緯があってな。
そうさね、あれはお前さんが短い気晴らしを終え、この街を去った後のことだ。俺は残り少ない科目ながらも一学期の期末試験を間近に控えていて、そろそろ本腰入れて卒論も書かなきゃならない頃合だった。
とはいえ、大学四年生にもなるとまさしく週休六日といった生活なのは、同じ立場のお前さんにはあえて言うまでもないか。暇な時間をバイトに当て、あとは酒を飲んで潰すしか知らなかった俺は、一人でしょっちゅうバーに通っていた。
そう、あの地下にあるバーだよ。お前さんに出会った場所で、その後も二人でちょくちょく飲みに行ってたあの狭い店だ。
お前さんが去ってからも足繁くそこへ通っていた俺は、カウンターを挟んだ向こう側に立つカート・コバーンみたいな髪型の男と店内のBGMについて熱く語り合ったりしたよ。
「これって誰の曲? へぇ、いいセンスしてるね。俺も高校の頃はバンドなんかやったりしてさ。自慢じゃないけどこれが結構――」
なんて。
延々と痛々しい独り言を吐き続けていたな。アルコールが身体に馴染んでくる頃合いには決まってやるせない気持ちになったよ。進級して早々に就職は決まったし、単位もたんまりある。あとは軽く卒論を済ませて就職を待つばかりさ。
問題なんて何もない。何もね。
それなのに俺は、そこはかとなく湧き起こる虚無感に怯え続ける毎日だった。先の方まできちんと舗装された道が目の前には広がっている。それをただ真っすぐに歩き進めばいいだけの話なのに、気が付くと俺は平均台みたいな細い棒切れの上に立っているように感じた。
建て付けがいやに悪くてさ、ギシギシ軋む不安定な足場を踏み外さないよう慎重に歩を運ぶ俺の表向きは、糸に吊られた人形のように自分の意思とはまるでちぐはぐな動きを繰り返している。そんなみっともない姿を背後から見つめる裏向きは、指差しながら笑っていた。
……このままで、良いのか。
そんな漠然とした問いかけが何度も頭に浮かんできては、出処のつかめない焦燥感がアルコールと相まって身体中を侵食していった。
どんな具合だったかって? そりゃ、もう参ったね。死ぬほど眠くて横になっても妙に寝つきは悪いし、余計なことばかりが頭の中で勝手に渦巻いてるんだ。例えば瀬戸大橋の上から海を眺めると
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