第20話 進むべきはマイマヨネーズロード
私が、ナタ・スチュワートとしては人生で初めて作った料理。
それはキッシュだ。
ホルガーが、上品に取皿にホカホカのキッシュを取り分けると、いい香りの湯気がホワッと舞い上がった。
「色んな物が混じってたけど、これ食えるのか?」
レオンは、キッシュの乗った皿を持ち上げ、鼻をくんくんさせている。相変わらず失礼な奴だが、もうこいつのこういった態度にはいちいち反応しないことにした。時間と労力の無駄だ。
「じゃあいただきます!」
私はレオンを無視し、キッシュをフォークで差した。いい感じに玉子が固まっていて、初めてにしてはなかなかいいんじゃないだろうか。そしてひと口。
「……美味しいわあー」
「どんだけ自画自賛だよ。どれ……おっ」
頬を押さえてハフハフ嬉しそうに食べている私を馬鹿にした様に見ていたレオンの表情が、一変した。途端に
「うまいじゃないか」
「でしょ? ホルガーはどう?」
見慣れぬイケメンより、見慣れたイケメンの方が心臓にはいい。ということで、私はずっと無言のままのホルガーを振り向き、――固まった。
「……ホルガー?」
ホルガーは、自前のハンカチで目の
「ど、どうしたの?」
たまたま
「ナタ! 俺は今、
「は、はあ……」
「ナタの手料理を食べられる日が来るなんて、思ってもいなかったんだ! しかもこんなにも美味しいじゃないか!」
「あ、ありがとうホルガー」
私が若干引き気味に礼を口にすると、キラッキラに瞳を輝かせ、ホルガーが言った。
「俺は一生、この感動を忘れることはないよ、ナタ……!」
「そ、そう? 嬉しいわ」
えらく感動させてしまったらしいが、正直面倒臭い。それに私だってまだ食べたい。なので、私はそっとホルガーの手をもう片方の手で外すと、提案した。
「もう一切れ、食べる?」
「食べる!」
ホルガーが食い気味に答えた。私は頷くと、ようやく自由になった手でホルガーの皿をオーブン皿の前に引き寄せる。すると。
「――ん?」
当然の様に、レオンが空の皿を私に向かって差し出していた。尊大そうな態度と表情をしている。
「ええと、これは?」
「分かるだろ、俺も食う」
お願いしますも言えないのか、こいつは。正直イラッとしたが、実験場所と道具を貸し出してくれている人物だ。あまり下手にがつんとやり込めても、後が怖い。
ということで、私は溜息を付きつつその皿も受け取ったのだった。
レオンの口の端が、分からない程度に小さく上がった様に見えたのは、気の所為だと思いたかった。
◇
その日の午後から、私達の実験は次のステップへと移ることにした。
だが、とにかく一度、この卵まみれの床を何とかしないといけない。ということで、私はレオンにバケツに水を汲みに行かせ、ホルガーがそれを使ってモップ掛けを担当することになった。私は調理台の上の掃除担当である。
前世では、体重の所為もあってかかなりパワフルだったので、こういった女性扱いは新鮮
すぐに濁ってしまったバケツの水を何度も交換しに行っていたレオンが、綺麗な水が入ったバケツを床にドン! と置いた。その勢いで水が床に溢れ、床を綺麗にしたばかりだったホルガーがむっとした顔になる。
「レオン、君はちょっと色々と雑過ぎじゃないか?」
「お前はいちいち細かいんだよ」
また始まった。私は背後でギャーギャー言い争いを始めてしまったイケメン二人を振り返ると、一喝した。
「マヨネーズ!」
ピタッ! と二人の口論が
「いいから、さっさと片付けを終わらせましょ」
「……はい」
「ちっ」
ひとりおかしな態度を取っている人がいたが、私は気にしないことにした。平常心平常心。マヨネーズの実験を行なえる様になった今、そんなものは
だが、ホルガーにとってはそうではなかったらしい。
「……舌打ちするのはやめてもらえないか」
「なんだよ、お前にやった訳じゃねえし」
「じゃあまさかナタに対してやったって言うのか!?」
「ナタナタうるせえんだよ! お前の中にはナタしかいねえのか!」
「そうだよ!」
ホルガーの怒鳴り声に、私は思わずびくっと反応してしまった。はっとした声が、背後から聞こえる。
「あ……あの、ナタ、その」
ホルガーが、困った様に私に声を掛ける。だけど、どういう顔をして振り返るのが正解なのか、私には分からなかった。だから、背中を向けたまま、言った。
「ホルガー、私のことを心配してくれてるのは分かるんだけど」
「……はい」
「私はそんなに弱くないから。頑張って傷つけない様にしなくても、もう大丈夫だから」
「ナタ……」
場がしん、と静まり返ってしまった。ホルガーは、アルフレッドとの婚約破棄に私が深く傷ついたと思っている。私がホルガーの前で泣いたからだ。あれはどちらかというと、これまでの重圧から逃れることが出来た開放感から出た涙だったのだが、あれの所為でホルガーは、私がアルフレッドを好きだったと思っているのだろう。
そんなこと、あり得ないのに。
だって、始めからアルフレッドが自分に興味を持たないことは分かっていた。それが小説の設定だから。
一度くらい優しく笑いかけてもらえたらな、なんて思ったことはない。
いつも他ばかり見ている目をこちらに向けてくれてもいいのにな、なんて思ったことも、ない。
私はアルフレッドのイケメン顔の中心にある鼻毛ばかりを見ていたから、そもそも目なんか合う訳もなかった。
だから、私は大丈夫だ。全く問題ない。
「――さ、片付けて午後の作業に移りましょ」
「……ああ」
ホルガーのしゅんとした声が聞こえたが、やはり私は振り返ることが出来なかった。まだこんなにも心配させてしまっているという事実に、私は頭を抱えたくなった。
今のこの気まずい雰囲気は、完全にあの時の私の
だったら、もう泣くまい。気を強く持ち、ひたすらマイマヨネーズロードを突き進んでいけば、きっと私の人生はバラ色になるのだから。私はそう決意し、唇をぎゅっと結んだのだった。
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