第18話 偶然の産物

 レオンは手をパンパンと叩くと、私を見た。端正な男らしい凛々しい顔つきなので、真面目な顔をすると若干直視しにくい。イケメンは、ちょっと遠く位が心臓には優しい位置だ。


「あ、あ、ありがと……」

「お、礼もちゃんと言えたんだな」


 ニヤリとレオンが笑うが、私の心臓はまだバクバクいっており、ちょっと息苦しい。ああ、それにしてもあの青虫は気持ち悪かった。


 私はレオンを目を細めて見つつ、言った。


「青虫を触った手であちこち触らないでね」

「お前な……」


 レオンがいらっとした表情を見せたことで、私の胸につっかえていた何かが流れていった。どうも、レオンをやり込めると私の中のすっきりスイッチが入るらしい。これはいい発見だ。


 私は調理台へ向かうと、改めて取り出した野菜を見る。幸い卵はまだ沢山ある。私はまな板と包丁を取り出すと、まずはじゃがいもを洗い、皮を向いてトン、トン、と切り始めた。


 そんな私の様子を、ホルガーが背後から覗き込む。


「ナタ……包丁使えたんだ?」

「あ、あは! やってみたら出来ちゃった!」


 しまった、またやってしまった。前世は前世で私の中ではちゃんと区切られているのだが、どうしてもこういった身体で覚えた動きというのは、身体が勝手に動いてしまうのだ。記憶喪失になっても歩けるのと、同じ原理なのだろう。


「調理台に立てる日を夢見てたから!」


 別に料理は好きではないが、マヨネーズに絡む場合は別だ。マヨネーズを最高の状態で食すことが出来るのなら、私はそこに到達するまでの努力をいとわない。


「ナタ、よかったなあ」

「う、うん! ホルガーのお陰よ!」


 ホルガーは少し涙ぐんでいる様だが、もうこの話題は終わらせたかった私は、野菜に集中することにした。おけに汲んでおいた水で洗い、玉ねぎの上下を切り落としてから皮を向き、まずは半分に割る。それをトントンと素早くスライスし、ズッキーニは輪切りにしたものを更に半分に切った。


 ずらっと並べられた、実験に使用した卵入りボウルの中身を一つにまとめる。片栗粉だけは、沈殿ちんでんした分はなるべく入らない様にそっと流し入れた。


「レオン、洗ってきて!」

「へいへい」


 使用済となったボウルを積み上げ、それをレオンに渡す。こいつは手を洗えと言われても動かなかったので、強制的に動かすしかない。先程の青虫の目を思い出し、私の背中がぞくっとした。


「ホルガー、何かオーブンで使えそうな大皿を探してくれる?」

「分かった」


 ボウルに卵と置いてあった牛乳を追加し、軽く混ぜ合わせる。ほうれん草とベーコンがあると更に完璧だったが、まあ仕方ない。


 私は手を桶に入った水で洗うと、今度はかまどに向かった。床に積み上げられている炭を放り込み、マッチでわらみたいなやつに火をける。


 作者の設定はゆるゆるなので、この世界にマッチがあって助かった。これが火打ち石から発火させるなんてなった日には、日が暮れてしまうこと必須だ。


 ふー、ふー、と息を吹き、火が大きくなってきたところで、炭の中に放り込む。それを驚きの顔で見ていたホルガーが、はっとして慌てて飛んできた。


「ナ、ナタ!? 火起こしなんか俺がやるのに! 火傷をしたらどうするんだよ!」

「何言ってんのよ、この程度で」


 一般庶民の家だったら、女性だってこれくらいは普通にやるだろう。公爵令嬢は火も点けちゃいけないのか? まあこれまではいけなかったのだが、この先私はがんがんやっていく。マヨネーズの為なら、何でもやる。


 壁に掛けてあったふいご・・・を手に取り、空気をシューッと送り込む。火が段々と勢いを増してきた。竈の上には、コンロになる部分と、オーブンになる部分が用意されている。なかなかに考えられた仕組みだが、これは恐らく作者の設定ではなく、この世界の人間が苦労して編み出したたくみの技だろう。


「油はどこかしら?」

「油? 何に使うんだ?」


 ホルガーが探し出してきたオーブン皿は鉄板で、しかも新品に近い。これだとまあ確実にこびりつくだろう。


「オーブン皿に塗るのよ」

「ふうん?」


 多分、いや絶対分かっていなそうだったが、私はそれ以上の説明は控えた。それよりも油だ。すると丁度いいタイミングで、ボウルを洗い終わったレオンが戻ってきた。


「あ、レオン! 食用油はどこにあるのかしら?」

「油? ああ、これだ」


 レオンはそう言うと、床の片隅にデン! と置いてあった一斗缶いっとかんの様な缶を指差した。おい、でかすぎだろう。そうツッコミたくなった。どう考えても、私のひ弱な腕力では持ち上がりそうにない。イラッとする気持ちを何とか抑え、私はいやいやレオンに依頼することにした。


「レオン、少量を使いたいんだけど、どこかに出してもらえるかしら?」

「ん? ああ、じゃあこのボウルに……」

「あ、ちょっと!」


 なんとレオンは、洗いたてでまだ水滴が付きまくっているボウルに、油をドボドボと注ぎ始めてしまった。私は思い切り顔をしかめつつ、ボウルの中を覗く。


「……なんか白いのが付いてるけど」


 ボウルの内側に、白いった様な跡が残っている。私が顔をしかめつつレオンの顔を見上げると、レオンは悪びれた様子もなく、あっさりと白状した。


「いやさ、石鹸を使って洗ってみたんだが、これがなかなか落ちなくて」


 一斗缶を戻しながら、しれっとそんなことを言うこの神経。信じられなかった。


「はあ!? ばっかじゃないの!? あんた、石鹸カスを残したまま次の作業になんてねえ――!」


 私が怒り任せにレオンに更に怒鳴りつけようと息継ぎをした時。


「……え!?」


 私はボウルを思い切り覗き込んだ。私のその勢いに、ホルガーとレオンもただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。私の背後から、二人もボウルの中を覗き込んだ。


「な、何これ……?」


 油と水、あとは石鹸カスがこびりついたボウルの中で、見たことのない化学反応が起こっていた。

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