7 昼真の調査

「アイシェのやつ、三十分だと僕は言ったのに!」

 椿が悪態をつき、大股で廊下を歩いていく。今は早急に駒の準備をする必要があるため、外に向かっていた。

 すでに一日の大半が終わりはじめている午後。この時刻になると駒になる蟲の入手は難しい。

 椿は蟲を使って、己のやるべきことをさせる。

 武器であり、道具だ。

 椿の一族はみな、そうだ。

 彼の生まれである椿家は特殊な一族で、祖にあたる者が、ある契約したことによって本来身内でもありえないはずの――必ずオーヴァードに覚醒し、同じシンドロームを継承することとなっている。

 椿の一族はみな、特殊な薬、体質、そのうえ技術とシンドロームで蟲を使う。

 レネゲイドウィルスに愛され、その研究を行ってきた彼の一族は、現在いる科学者たちよりも一つも二つもウィルスへの理解が深い。

 一族の者はすべて蟲を使うことから、蟲使いと呼ばれている。

 百からはじまり、代替わりして十九番目。だから十九。

 喪失と痛みばかりの人生で、人とも交わらず、ひたすらに探究と願いを求め続けた生で彷徨い、こんなところまで流れてきた。

 マスターレギオンは椿のことを知っていた。

 旧マスターレイスの存在は、FHに属するものに古き存在と嘲りとともに畏怖を与える。

 世界を変えることをのぞんだマスターレイスの一人であり、二つ名は狂乱の蟲使い。

 それが椿だ。

 今やコードウェルが支配し、マスターレイスはコードウェルの子に与えられる名となったが、彼がこちら側に来るまでは都築京香――現在はゼノスというレネゲイドビーイングたちで作られた組織の主に収まっている――元は彼女が作り出した新しい世界を作り出すという欲望を抱いた者に与えられる地位。

 マスターレイス。

 蟲による新しい世界を作る、それが椿の願いであり、欲望。

 けれど結局、それは叶わなかった。

 都築京香が表向き死んだこと、コードウェルの支配からマスターレイスたちはちりぢりとなり、椿もそのときFHから脱退した。もともとあまり組織の者として働いてもいなかったし、彼はある事件のせいで力のほとんどを失くしていた。

 新しい目的のため、旅をしていた折にテレーズに拾われたのだ。

 テレーズは椿のほしかったものを与えてくれた。だから今だけは与している。

 過去を隠しているわけではないから、マルコ班たちからはいい顔はされない。当たり前のことだし、彼は戦わないため、コードネームも不戦者だ。本来遺産や災害と立ち向かう立場で隊長は第一線にいるべきという単純思考の彼らにしてみれば椿に従うのは不満だろう。

 唯一あれこれと世話を焼いてくれるアイシェにしても、椿のことをどう思っているかはわからない。

 ようやく建物を出て外に出るとすぐに目の前の小さな緑の木々に向かう。

 目ぼしい蟲をいくつか回収して、そのあと加工を行い必要なときに使えるように瓶にストックしておく。

 おおっぴらに力は使えないが、時間をかけて調教した蟲を使い、戦うことはできる。

 まだ春先のせいで寒い空気が肌を刺激する。

 もうすぐ日が暮れる。そうなると、さすがに蟲は捕まえられないかと椿が諦めて戻ろうとしたとき、小さな泡を見つけた。

 否、少女――ちかだ。

 屈みこんでなにかをしているのに近づいていけば、その両掌には小鳥が震えている。

 なにを、と問いかけるより先に、ちかは優しくなでる。そこから溢れる淡い光が鳥を包み込む。

「あなたはまだ飛べる」

 そう囁くちかに、椿は何も考えずに駆け寄って、その腕をとっていた。

 きゃあ、と悲鳴をあげる少女と目が合う。

 すでに傷の癒えた小鳥が慌てて逃げるように空に舞う。

「なにをした」

「え、えっと、えっと」

「今、お前はなにをしたっ」

 怒気を孕んだ声にちかがぎくりと怯えた顔で縮こまる。

 しかし、対峙する椿は寒さではない怖気に襲われ、顔を険しくさせた。

「お前は、自分がなにをしたのかわかっているのか」

「私、私……鳥を癒して」

「それがどういうことなのかわかっているのかと聞いているっ! 知りもせずに使う力がどういうことになるかのお前は想像もできないのか! どんな力にも対価はある、お前の使うその力……なにを代償として使われている」

 嫌悪のこもった声にちかは目をぱちくりとさせたあと、目を潤ませた。

 怒られたと思ったのだろう、瞳には洪水のように涙がたまり、零れ落ちていく。

「ごめん、ごめんなさい」

「っ、お前は無垢すぎる。いや、愚かすぎるというべきか……昔の自分を見ているようだ」

 しくしくと洟をすするちかに椿は嫌悪を丸出しに吐き捨てる。それは自分への悪態だったが、傍から見ればそうではなかったようだ。

「なにをしているんだ!」

 静かな怒気を孕んだ声とともに高見が近づいてきて、肩をつかまれた。

 片方の肉体が動かない椿はそのままバランスを崩したのに咄嗟に杖を握りしめて、なんとかふらつく程度に整えようとしたが、そのままくらりと後ろに崩れた。

 思わず目を閉じて衝動に耐えようとした椿に、しかし、痛みは襲ってこなかった。

「平気ですか、隊長っ」

「アイシェ、お前、どうして」

「隊長が蟲の補充に来ると思っていたので……しかし、高見支部長、何ですか、今のは」

 声に怒りが滲むのに高見は唇を一文字に結び険しい顔のまま沈黙する。椿はすぐにアイシェの腕を掴んで起き上がった。

「よせ、僕が悪い」

「ちがうの」

 ちかの泣き声が割って入った。

「私が、治癒の力を使って小鳥をなおしたの・・・・・・使うのことを叱られたの」

 ぽつり、ぽつりとちかは口にする。

 その瞳にもう涙はない。

 かわりに伺うように椿とアイシェに視線を向ける。

「力を使うことは悪いことなの?」

「知らずに使うことは悪いといった。お前は自分の力の使いどころをわかっていないようだしな」

「・・・・・・」

 考えるように少女は沈黙し、ゆっくりと頷いた。

「考えて、みます」

「思ったよりも聡明なようだな」

 目を眇めて椿は言うと、ふと視線を覚えたのに見ると高見がにやにやと笑っている。

「なんだ」

「いや、あれだ。なんとも私は無粋なことをしてしまったな、と思ってな。あなたは悪い人ではないようだ」

「・・・・・・偏見的な物の言い方だ」

「そうか? そうだな。確かに偏見はあると思うが」

「僕はもう行く。用事は達成できそうにない。寒い、あなたもさっさと行くことだ。風邪をひくぞ」

「気遣い痛みいる。さて、ちか、行こう」

 椿の言葉の後半はほぼ少女にあてられたものだと理解した高見は、ちかを連れてさっさと歩き出す。

 ちかは何度も振り返り、視線を向け、手をふってくる。

 椿はそれにどう返していいのかわからなくて立ち尽くす。

「手を振り返さないんですか」

「よせ。僕のがらじゃない」

「そうですか」

「・・・・・・アイシェ、僕を甘やかすな」

 きっぱりと椿は言い返す。

「君はレネゲイド災害が憎いんだろう」

 マルコ班にいる者たちの共有する思いと経験はレネゲイド災害を憎んでいる。

 レネゲイドによる災害によって、大切な人を、居場所を彼らはなくした。

 椿も、そうだ。とても大切な相手を亡くした。けれど、それは自業自得だ。

「・・・・・・あなたはまだ子供であることを忘れないでください。十九歳でしょう」

「なぁに、それでも外国では酒が飲めるぞ」

 ははっと乾いた笑いを零す椿をアイシェは聡明な瞳で見つめる。その視線に痛みを覚えたように椿は視線を逸らした。

「・・・・・・僕がどうして弾丸を渡しているのかわかっているだろう」

 任務のたびに、椿はアイシェに弾丸を渡す。そして側にいることを命じる。

 彼女が、たぶん、一番レネゲイド災害を憎んでいるから。

 そして、冷静に自分のことを殺せると思うからだ。

 椿の渡す弾丸は抗レネゲイド弾――レネゲイドウィルスにかかわるものを殺すために作られた。抗体を持つ者の血を使い、作られた特殊な弾丸。

 それで撃たれれば、大概のオーヴァードには致命傷となる。

「僕が制御できなくなれば、お前は僕を殺すんだ。そしてレネゲイド災害を封じるんだ。わかっているだろう。僕は生きたレネゲイド災害そのものだ」

 過去に行った罪はずっとずっと自分を咎める。それを振り払うことなんて出来やしない。だから受け止めて生きていく。

「・・・・・・隊長は、どうしてそこまで自分を追い詰めるんですか。私はいつも弾丸を受け取っています」

 絞り出すようにアイシェは反論する。

 この任務がはじまってから、まだエレウシスの秘儀は回収も保護も出来ていない。そのため、ずっと弾丸はアイシェの手のなかにある。彼女が椿から離れないのも、そのためだ。

 もし危険な行動を行ったり、暴走したら殺せ、と。

「僕は君を信用している。マルコ班の隊員として、・・・・・・それを裏切るような真似はしないでくれ」

「信頼ではないのですね」

 やんわりとした咎めに椿は目を細めた。

「よしてくれ。僕は嫌われ者だぞ」

「あなたはもうすこし私たちを見るべきです。隊員たちのことを」

 皮肉な笑みを椿は浮かべたあと、ゆっくりと建物に向けて歩く。アイシェが腕を伸ばして支えようとしたとき、

「つばきさまぁ」

「父さんー、どこいってたのー」

 きぃと侘助が声をあげる。それに椿は年相応に穏やかに微笑んで手をふった。動きづらいのに、必死に足を動かして彼らへと駆け寄っていく。

 その姿をアイシェは見つめる。

 いつも、いつも、そうやって椿は自分たちではなく、自分の両手に残った大切なものを抱え続ける。自分の手は小さいからと、新しいものをいれようともしない。

「アイシェ」

 椿が振り返る。

「今度こそ、茶をいれてくれ」

「・・・・・・はい。隊長がお休みのあいだに、コンビニにいってきました。日本のお茶がいろいろとありました」

 駆け足で椿の横に並ぶアイシェは視線を落として微笑みかける。

 自分もまた、いつの間にか、椿の手のなかにいるのだとアイシェは今だけはうぬぼれることにした。

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