3 昼真の調査
ぐつぐつと煮えるカレーは、とてもいい匂いがした。
ただ具材を切って、煮詰めて、市販のルーをいれただけだが、食欲がそそられる。
きらきらと輝く白飯に、カレーのルーをきぃがかけてみんなに配る。
はじめは、きぃたちだけだったがちょうど仕事を終えた支部員たちやらマルコ班たちが現れて大所帯となってしまった。
会議用の長いテーブルに丸椅子を寄せて食べていく。
少女の横にはちよとかすみ、大賀が陣取る。
大賀とかすみは大皿にこれでもかというほどにお米とカレーをついでいるのに、見ているだけでちよはおかながいっぱいになってしまう量だ。
きぃは椿の横に腰掛けて、あーんとスプーンを差し出しているが無視されている。
「つばきさまぁ~、あーんですよ。あーん」
「自分で食べられる」
「食べづらいと思ってきぃがしてあげるんです」
きぃがぐいぐいいくのに椿が顔をしかめて逃げようとするが、その横にいるアイシェが食べてあげたらいいじゃないですかなどとのたまい、逃げ場をなくした椿かうーと威嚇する犬みたいに吼えている。
「まさかにんじん、まだ食べられない、あいたぁ」
「食べられるわっ」
思いっきり鉄拳制裁を受けてきぃが頭を抱えている隙に椿はむすっとしたままカレーを頬張る。
「ひどい、ひどい、つばきさま、ぼうりょくだんなはきらわれます」
「強制する嫁は嫌われる。あと、ほいほいと人の苦手なものをばらすやつも」
「なんですか、なんですか~~もうっ」
ぷりぷり怒るきぃに椿はしれっとしている。
少女が一生懸命食べているのは子リスみたいで可愛らしくてかすみは目を細めていると、ふと赤い髪が視界の端で揺れたのに顔をあげた。
かすみは気がついた。エージェントだけカレーの皿を受け取っていない。
彼女は何も言わずに立ち去ろうとしているのに、慌てて追いかける。
「エージェントさん」
足を止めて、エージェントが振り返り、小首を傾げた。
その仕草がどうしても人形めいているとかすみは思う。
マリンスノーでは鬼神のごとく立ち回り、マスターレギオンと殺し合いをしていたというのに。
人形――ううん、違う。幼い。
何も知らない子供みたいだ。
それは少女とはまた異なる無垢さをかすみに覚えさせた。
「カレー、食べましょう。もし、席に困ってるなら私たちのところに」
「食べない」
きっぱりとエージェントは言い返す。
「私は食べない」
「そんなこといわずに」
かすみが手を伸ばしすのにエージェントが退ける。
かすみが顔をしかめた。せっかく、みんなで作ったのに、そこまでいやがる意味がわからない。
「どうして食べないんですか。」
「え」
「理由、いってよ。ただいらないなんて失礼だよ。むかつくし」
子供特有の、素直な怒りをこめてかすみはエージェントに食ってかかる。
エージェントは弾かれたように目を見開き、迷うように視線を彷徨わせる。それが途方にくれた子供のように幼くて、かすみはひどいことをしてしまった気になってしまった。
「あーもうっ」
怒りの声が唐突に飛んできた。
それはエージェントの髪を飾っていたアリオンだ。
ぬっと黒い触手を伸ばして、カレーライスののった皿を奪い取ると、花びらを一つ開いて、ぱくり。
「はい、ごちそうさま、おかわりはいりませんからっ」
一口に食べてしまい、皿を放り投げるアリオンは、けぷっとカレー臭い息を吐き出すのにエージェントが目をぱちくりさせる。
「アリオン、あなた、食べれたの」
「アホですか。ふつーは食べませんからっ! ちょっとは私のこと庇ってくれているのとか察してくださいよ。マスター」
「あ、うん」
「あーもう、ほんと! いろいろと限界なんだからアンタは! ほら、行きますよ。日当たりのいい場所にいきましょう」
ぐいぐいとアリオンが引っ張って――見た目は髪飾りが主であるエージェントを引っ張るのだからなんとも不思議な光景だ。
なんだ。あれ。
ただ空っぽのお皿を持って立ち尽くしてしまった。
「かすみちゃん、だめだよ」
「ちよ」
ちよが咎めるのにかすみは顔をしかめた。
「強制はだめだよ」
「だって、あの人、せっかく作ったのに」
「うん。けど、だからっていまのはだめだよ」
もう一度、ちよは言い返す。
かすみはその意味がわかって口ごもった。
「そうだね」
どうして自分がされたとき、いやだったのに。忘れて平気で他人にしてしまうんだろう。
途方もない自己嫌悪に陥る午後。
かすみは少しだけ死にたくなった。
小さなことで死にたくなるし、生きたくなる。その点はただの女子高生と変わらない。命は一つしかない女の子たちだってちょっとしたことで死ぬというし、生きるという。かすみだっておんなじだ。たとえオーヴァードで生き返るとしても。
「あーーー」
「かすみちゃん、ごめん、私、言い過ぎたね」
「ちよは悪くないよ~~」
横にいるちよもしょんぼりしたまま言い返す。
腹を満たしたあと、片付けをして、いくつかの資料をとりに資料室に向かう二人は並んで廊下を歩いていた。
「私が、悪いんだ」
エージェントの気持ちを何も考えずに押しつけてしまった。そういうことがよくないことだってわかっているはずなのに。
ときどき、忘れてしまう。
「あの人、なにかあるのかなって」
「支部長がいっていたみたいに? 悪い人じゃないと思うよ」
ちよは熟考して呟くように断言する。
「うそとかはついてないと思う。ただ、なにか隠しているかんじはある・・・・・・けどね、それに悪意はないと思うの」
ソラリスとして相手への共感能力と防衛本能で相手の思考を読み取っているのだ。
だからちよに嘘や偽り、そして騙すことは絶対にできない。
悪意があればちよはすぐに察することができる。
そのちよが歯切れが悪いのにかすみは足を止めて、真っ直ぐに見つめた。
「あの人、なんかあるの?」
「なんだろう、読めないところがあるの。思考っていうか、意識っていうか、あの人は・・・・・・からっぽで、読めないのけど、なかにすごく熱いものを持ってる。うーん、それをね、自分でもわかってないみたい」
「なにそれ」
意味わかんない、かすみはわざとぶっきらぼうに悪ぶって言い捨てる。
なんとなく、ちよの言いたいことは、かすみにもわかる。
強いのに、どうしてあんなにも傷ついて、震えているんだろうと疑問に思うくらい弱々しいエージェントはなにもかもちぐはぐだ。
「マスターレギオンもそう、あの人もなんかちぐはぐ」
「ちぐはぐ?」
「うん」
ちよは言葉を選んで口を開いた。
「自分のすることを理解してるの、だからいつか何かあるって覚悟してる。それを恐れてるのに、待ち望んでる」
「なにそれ」
かすみは笑い飛ばした。
「まるでそれだと止めてほしいみたいじゃない」
「だと、思う。あの人は止まる方法がわからないんだと思う」
「・・・・・・止まる方法を?」
「きっとね、坂を転がる石と同じなんだよ。ひたすらに転がっていくしか出来ないの」
ちよは諦念をこめて口にする言葉にかすみは幼い子供みたいに下唇を噛みしめた。
二人して口ごもったまま視線を向ける。
マスターレギオン――彼は本名を隠して、コードネームだけしか名乗っていない。調べたら彼の名前はわかるだろう。
ただその行動こそが彼の――後悔を表してもいる。
「ジャームは、きっと転がるしかできない石なんだ。ねぇ、かすみちゃん、もし、そんなものを止めようとしたら自分もきっとひどく傷つく。私は、怖い。自分や周りが傷つくこと、生かしたことでその人が大勢を傷つけてしまうこと」
ちよ、と優しくかすみは声をかける。
「自分に勇気がないから、覚悟がないから、それを見逃したせいで多くの人が死ぬことは、それは自分がしたのと同じなんじゃないかなって思うの」
「ちよ、そんなことは」
「だから、私は、ジャームが嫌い」
吐き出すようにちよは告げる。
「大嫌いだから、エージェントさんがしたいこと、しようとしていること、迷っていること、理解したくないのかもしれない。もし、エージェントさんにとってマスターレギオンが大切な人でも、私はいやだ」
「・・・・・・うん」
かすみは苦笑いする。
忘れているくせに、心のどこかにきちんと残ってしまった憎悪はずっとずっとちよを縛り付けて、動き出すことをさせてくれない。
ジャームが憎い。
と。
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