1.婚約おめでとう。

 朝。


 学校の教室で、デイバックから教科書を机に入れる少女の名は、『蓮尾鈴はすお りん』。通称、お鈴。ゆるふわロングヘアをツインテールに纏めた、八重歯の可愛いこの少女は、カケルと樫太郎の幼馴染で腐れ縁。自称、二人と一緒にいるせいで市場価値が何段階も下がっている女。


 彼女は布の筆入れを手にしながら、ふと思う。

 これは日常。毎日繰り返されてきた、日常。今までも、これからも。

 学校に来る、教科書をしまう、カケルや樫太郎の言動に頭に来て二人をはたく。

 同じことの繰り返し。

 でも、大事な繰り返し。


 思う鈴の心を、ざらっとしたノイズが走る。


 昨日見た映像。巨大ロボット。

 繰り返しに影を落とそうとするその映像が、鈴を不安にさせる。

 あたしはまだ、このままの毎日が良い。鈴はそう思いながら、カケルと樫太郎を見た。


          ○


「婚約おめでとうカケル」


 爽やかな好青年みたいな顔をして言う樫太郎に、カケルはイラッとする。


「気持ち悪い顔しやがって」

「何を言うんだい君、僕は友人の幸せを祝っているだけじゃないか?」

「うるせぇ黙れブッコロスぞ」


 吐き捨てるように言ってカケルは、机に肘をついて手に顎を乗せ、教室の窓から外を見る。外に広がる景色は、昨日に引き続き4月にしては暑いくらいの日差しと青空だ。


「しかし、まさか昨日の今日で普通に学校に来れるとは、な」


 カケルの席の前で、椅子にもたれて肘をつき、外を見ながら樫太郎は言う。


「俺あの後、普通に電車で帰ったんだぞ」

「そうなの!?」

「そうなの。お前は?」

「俺、ヘリ。あの紅間来花さんてすごい美人から送って貰った」

「は。やっぱり主役格は違うね。で、その道中で衝撃の事実が発覚と?」

「うん。まさかあんなことになっているなんて——」


 前日、カケルがゴオラインで戦った後、彼は医療設備のようなものがいっぱいのトラックの中で、身体検査を受けていた。あんまり見たこともない機器がカケルの体を行ったり来たりして、終わった頃には日が傾き始めていた。

 今から電車で帰ると、着くのは何時になるだろうなどとカケルが考えていると、彼を呼ぶ女性の声がした。


「カケル君、家まで送ります」


 自然と艶っぽさすら感じる声と、スーツからこぼれるような胸、ピッタリしたタイトスカートに、カケルはドキリとさせられる。


「私は紅間来花。来花って呼んで」


 長い黒髪を器用に後頭部にまとめながら来花はそう言って、カケルを二人乗りの小型ヘリへと案内した。

 飛び立つヘリ。段々と地表が遠ざかる中、カケルはタイラードの残骸を調査する、自衛隊員と神宮路の関係者を見た。

 とたん、春の夕方のように穏やかに冷めていた心が、ふつふつと熱くなる。


 俺は、巨大ロボットに乗った。


 ゴオラインはすでにどこかに格納されたか、その姿は無かった。


 敵を倒した。


 タイラードの巨大な残骸の影が長い。

 カケルは外の景色から目を離し、じっと自分の手を見つめる。その彼に、来花は声を掛けた。


「すごいのね、初めてでゴオラインをあんなに動かせるなんて」

「無我夢中で。今もまだ少し、高揚してます」

「無理もないわ。初めてのことなんだから」

「俺はまた、あのロボットに乗るんでしょうか?」

「怖かった?もう嫌になったかしら」

「正直、怖いって感情はありませんでした。こんなこと言ったら良くないのかもしれませんが、また乗れたらって思います」

「良かった。司令が聞いたら喜ぶわ。ようやく見つけたパイロットが、本人からやる気なんですもの」

「パイロットって、俺以外にも誰かいるんですか?」

「いないわ」

「え?」

「君とアリアーシラだけよ」

「あの子と、二人だけ?」

「正確には、彼女はゴオラインの操縦は出来ないから、ゴオラインのパイロットはあなただけよ」

「俺だけが、あの巨大ロボットのパイロット——」

「なかなかね、人材不足なのよ。あなたくらいあのロボットの本当の力引き出せる人は、ほとんどいないの」


 眼下に流れる景色は、夕方のそれから夜景に変わりつつあった。一つ一つの光を見ながら、もしかしたら俺が、この光を守ることになるのかもしれないとカケルは思う。


「頼もしいわ」前を向いたまま来花が言う。「あなたの表情。重圧に負けるんじゃなく、立ち向かおうって顔をしている」

「そんなことないですよ」

「いえ、流石だわ。出会ったその日にプロポーズ出来る人は、やっぱり違うのね」


 来花の言葉に、カケルはビシッと固まる。変な汗が出てくる。喉が渇く。


「カケル君。あなた今日プロポーズしたのよ?」


 にやにやしながら、意地悪そうに、それでいて艶っぽい笑みを来花は浮かべる。


「私、以前聞いたことがあるわ。アリアーシラの、彼女の星の伝統で、戦士たる男性が戦場にて、女性の肩に手を乗せて『俺が戦う』と宣言する。それは最高のプロポーズなのだそうよ」


 呼吸が、呼吸がコントロール出来ない。カケルは眩暈のようなものを感じる。


「あら、動揺してるのね。うふ。可愛い。でもね、残念ながらこれは本当よ」


          ○


「そのあとのことは良く覚えてなくて、気が付いたら朝だった」


 教室の外を眺めたままでカケルは言う。


「でもお前」カケルのほうに向き直り、眼鏡を直して樫太郎は言う。「あの美人だぞ?人生決めても悪くないんじゃないか?」

「まだお互いのことよく知らないし」

「そんなこたぁ後からでもなんとでもなる。結婚なんて慣れだってうちの親も言ってたぞ?」

「そういうことじゃなくて」

「そういうことじゃなくて。まあ気持ちは分からんでもない。実際俺も、二十代も半ばくらいまではそこそこに恋愛して、3人か4人くらいは付き合ったりして、酸いもー甘いもー噛み分けたぐらいにして、ときには笑い、ときには泣き、恋愛というものを味わい尽くしたい。それから二十代後半くらいで、そろそろ俺も年貢の納めどきかなって感じさせてくれるような相手にファラウェイ。結婚するのが私の希望です」


 バコォッ!


 身振り手振りで熱弁する樫太郎を丸めたノートでひっぱたく鈴。


「うるっさいのよ朝っぱらから!ごちゃごちゃと!」


 言いながらノートでカケルをひっぱたき、蹴とばす。


「世の中はね!大変なの!あんたのくだらない妄想なんか聞いてる場合じゃないのよ!」


 樫太郎の首根っこを掴み、がくがくと前後に揺さぶる。


「あんたたちも知ってるでしょ?昨日のロボットのこと!」


 知ってるどころか当事者だよ、とカケルは苦笑いしながら思う。

 振っていた樫太郎をぞんざいに投げ捨て、鈴は続ける。


「もうなんなの?急に巨大ロボットが戦い始めて。その前のガイダンの大暴れだってあるし。何より二人とも昨日あの現場に行ってたでしょ!心配したんだから。連絡くらいよこしなさいよ!」


 ちょっと涙目の鈴に、カケルは申し訳なくなる。


「ごめん、お鈴。俺ちょっと昨日はいろんなことがあって——」


 鈴は怒って真っ赤な顔で樫太郎のほうを見る。


「てめえは?」

「撮った写真のチェックしてた」


 ゴスッと音がして、樫太郎の顔面を丸めたノートが突く。良い頃合いで、ホームルームを告げる鐘が鳴った。いかり肩で自分の席に戻る鈴の頭から、本当に湯気が出てるような印象を受ける。それを見ながら、眼鏡を直す樫太郎。


「助かった」

「お前嘘でも良いからもっとましなこと言えよ」


 二人の声が聞こえたのか、鈴はキッと二人を睨みつける。


「おお、怖え。ところでカケル」樫太郎は机で隠すようにカケルに『G』のマークの付いた腕時計のような物を見せた。

「お前も昨日、これ渡されたか?」

「渡された」


 カケルも同じ物を机からちょっとだけ出して見せる。


「何か、いかにもって感じだな?」

「うん。いかにもって感じだ」

「通信とかも出来そうだな」

「うん。映像とかも出そうだ」

「試してみるか?」

「後でな」


 カケルと樫太郎はニヤリと笑う。そのとき、ガラガラッと教室のドアが開いた。

 のっしのっしと入って来る、ラグビー部の顧問を務めるごつい体格の担任教師。


「ホームルームを始める。だがその前に——」


 担任はカカカッと黒板にチョークを走らせ、名前を書いた。


『アリアーシラ・ム・神宮路』


 その文字を見て、カケルと樫太郎が固まる。敏感に気配を察して、鈴が二人をにらみつける。


「今日は転校生を紹介する。入ってきなさい」


 入って来た少女に、クラス中からどよめきが起きる。男女問わずに。無理もない。それくらいアリアーシラは美しかった。


「アリアーシラちゃん!」


 思わず出た樫太郎の声に、クラス中の視線が集まる。にっこりと微笑み返すアリアーシラ。彼女は樫太郎の後ろの席にカケルの姿を見つけると、少し頬を赤らめながら、小さく手を振る。その動作に、今度はクラス中の視線がカケルに集まった。


「あ、はは」


 困ったように笑いながらカケルは、小さく手を振り返す。振り返しながらふと、カケルは違和感に気付いた。

 一瞬、同じアリアーシラだって分からなかった。彼女の特徴的な水色の髪が、綺麗な黒髪になってる。それに神宮路?確か昨日彼女は違う名前を名乗っていたような気がする。


 ——ゼールズ?


「アリアーシラ・ム・神宮路です。皆さんよろしくお願いします」


 アリアーシラの挨拶が終わるやいなや、クラスの人の波が二つに割れる。一つはアリアーシラを、一つはカケルと樫太郎を囲み、質問責めにする。

 どちらにも混ざらぬ鈴の二つの眼が、爛々とカケルと樫太郎を睨みつけていた。

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