第1話「ゴオライン大地に立つ」
1.カケル、鼻の下を伸ばす。
ボンポン、ボンポポン。
イベントの開催を知らせる花火が、富士の裾野にある自衛隊演習場の空に響く。抜けるような青空の日差しは強く、四月にしては随分暑い。
もっと薄着して来れば良かった。
会場の入場待ちの行列の中、『
「イベント始まるまで、入場終わるのかな」
前に続く行列を見ながらカケルはつぶやく。
「大丈夫だろ」
カケルの隣で、彼より少し長身な少年が答える。
「日本のこういうのはしっかりしてるから」
眼鏡を直しながら答える少年の名は『
「前方でゲートみたいなのを通るために、列が狭くなってる。そのせいで渋滞してる」
樫太郎に言われてカケルは、少し背伸びして前のほうを見た。なるほど、5つのゲートが横一列に並んでいて、そこを通らないと会場入りできないようだった。
「何だろ。エックス線検査にしてはゲートが短いみたいだし」
「エックス線て。危険物持ち込んでテロなんかする奴がいるか?この日本で。まあ、なんにしても我々のような凡百優良一般市民には関係ないさ」
言いながら樫太郎はカメラバックから取り出したペットボトルのお茶をぐびぐびと飲んだ。それを見ながらカケルは、俺も買っておけば良かったなあと思った。
行列は徐々に進み、もうじき二人もゲートを通る番になった。特に何事もなく通り過ぎる人たちを見ながら、カケルは本当に何のゲートだろうと思う。そう思うカケルの前で、突然そのゲートに異変が起きた。
ピヨピヨピヨピヨ。
弱いピヨピヨ音を発しながら、ゲートの上にある黄色いランプが、ゆっくり回転して光る。その下には、この世の終わりみたいな顔で驚く樫太郎の姿があった。ぱっくり口を開けて、後ろにいるカケルにすがるような視線を樫太郎は送るが、あっという間に集まってきた灰色の制服姿のスタッフ数人に彼は連れ去られる。
「え?」
急な展開に呆然となるカケル。だがすぐに気を取り戻すと樫太郎のあとを追うべく、ゲートを通ろうとした。
ビー!ビー!ビー!ビー!
さっきのピヨピヨ音とは明らかに違い過ぎる音が、カケルの頭上から響き渡る。黄色いランプも、さっきとは段違いの速さでグルグル回転した。
なんで!?
この世の終わりみたいな顔をしながらカケルは思った。何が悪かった?
右や左から集まってくる灰色の制服たち。この人ごみの中、異様な速さで近づいてくる。
原因はカメラか?
右から来る制服を見ながら、カケルの世界は一時的にスローモーションだ。
いや、カメラ禁止じゃなかったし、持ってる人もいっぱい居たぞ。
左からくる制服を見ながら、血の温かみが全部地面に落ちていくような錯覚に襲われる。
スマホか?いやスマホなんか使ってる人いっぱいいただろ!
後ろからガッチリと肩を抑えられた瞬間、カケルは朝ごはんの目玉焼きか!と考えたが、すぐに考え直すともう思考することを止めた。
「うわあーっ」
間抜けな悲鳴を残して、カケルは連れ去られるのだった。
○
三十分後。カケルと樫太郎は何事もなかったように会場内の観覧席にいた。青天の下、屋外に設置された観覧席はこれから始まるイベントを待ち望む人でいっぱいになっている。
日本に住んで、この言葉を一度も聞いたことなく大人になったものはほぼいないだろう。大人から子供、男女は問わず、海外でも大人気のロボットアニメだ。そのガイダンの実物大模型が動くイベントが、今からこの会場で始まろうとしていた。
「まったく、何事かと思ったよ」
プラスチックの容器に入ったクリームソーダのソフトクリームを、ストローで削って食べながら、カケルが言った。
「お前がエックス線なんて脅かすから」
樫太郎はペットボトルのお茶を飲みながら言う。
「ほんとにテロの検査にでも引っかかったかと思っただろうが」
「テロとか考えたのはお前の勝手だろ」
「そりゃあそうだが。まあ最初はどうなるかと思ったが、結局あの後『ご当選おめでとうございますー』なんて言われてガイダングッズたくさん貰って、それで終わりだったし」
貰ったガイダンキーホルダーを指でくるくる回す樫太郎を見ながら、カケルは「そうだね」と返した。
クリームソーダのソフトクリームだけ全部食べたカケルは、食べてるうちにソフトと混ざった、まだ炭酸の強いメロンソーダをストローで吸い上げる。半分くらいまで一気に飲んでから、樫太郎に聞いた。
「あれ、ほんとに『ご当選おめでとう』だけだと思う?」
「ほほう。カケル君は何か事件であってほしいのかね?」
「なんで俺と樫太郎のときであのランプ? 反応違ったんだろう。それに、俺たち通る前まで全然誰にも反応してなかったみたいじゃんか」
「意味があったとしても、主催者側の問題で、我々には特に意味無し」
「後から追加で景品送るからって、住所と名前控えられて、生徒手帳のコピーまで取られたのはちょっと怖いんですけど」
「最近ほら、転売とか流行ってるし、その防止。何送られて来るか、楽しみだな」
カチャカチャとカメラバッグにガイダンのキーホルダーをつける樫太郎に、「そうか」と納得してカケルは再びストローをくわえる。
「それよりさお前」キーホルダーを付け終えた樫太郎が、向かって左奥にある、ガイダンが入っているだろう巨大な格納庫を見ながら言った。
「カメラ持って来たんだろうな?」
「もちろん!」
カケルは肩から斜め掛けしたバックの中から、ガサガサとカメラを取り出す。出てきたのは古い、ドイツ製のフィルムカメラだ。
「それか!」
カケルのカメラを見るなり、樫太郎は自分のバズーカ砲のようなレンズの付いたカメラをジャキッと構え、立ち上がって大仰に語り始めた。
「良いか!今回の被写体は16メートルの巨人ガイダンだ!それが動こうとしているのだ!たぶん前後に少し動いてポーズとかだろうけど動く!ああ、俺はそれに感動を禁じ得ない。なのに!なのに何だ貴様は!街角のスナップ写真か!50ミリのレンズじゃあ、いくら被写体のガイダンが大きくても、遠すぎますう。それが味だって見方もあるが、今回は最適解とは言えん。いや言ってはならんのだ私の信条が。大体なんだ、動きものなのにフィルムだと!?動くところを連射で撮れ!バシャバシャバシャバシャ連射で撮ってあとからチェックするのだ!」
叫び終えて樫太郎は、勝ち誇ったようにペットボトルのお茶をがぶ飲みする。きらりと眼鏡が陽光に光り、周りからは謎の小さな拍手が沸いた。
「でも」カケルも立ち上がる。「でも俺にはこのカメラで切り取りたい瞬間があるんだ!」
今度は違うところから謎の拍手が小さく沸いた。
「カケル」
ゆらーりと、樫太郎はカマキリのような謎の構えをとる。
「貴様とはいずれ、決着をつけねばならんと思っていた」
「よかろう」カケルも拳をギュウと構えたそのとき。
「あの——」
不意に澄んだ、小鳥のさえずりのような声が二人の均衡を崩す。
「こちら、よろしいでしょうか?」
声のほうを向いた二人は、全身を硬直させて「ごくり」と唾を飲んだ。
そこには、妖精が立っていた。
年のころはカケルたちと同じくらいの美しい少女が、カケルの席の隣、空いた席を指さす。その手と腕は、白く、細く、透き通るよう。この世のものとは思えない、不思議な水色の長い髪は、日の光に照らされきらきらと偏光し、いくつもの水色のグラデーションを見せる。儚さすら感じる彫刻のように整った顔。優しい微笑みの中、ブルーサファイヤのように輝く瞳にしっかりとした内面の強さを感じる。
細い首に乗った小さな顔が、固まったカケルと樫太郎に答えを促すように、傾く。
とたん、ガクガクと音がしそうなくらいにカケルと樫太郎は頷いた。
「どうぞどうぞ!」
「ありがとう」
ピンク色の珊瑚のような唇から声が発せられると、二人は先ほどまでの戦いなどすっかり忘れて、大人しく席に着く。
カケルと樫太郎の頬は高揚して赤くなり、鼻の下は盛大に伸びていた。
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