第90話 水底のデスパラダイス②

 人生初! の水上歩行は、歩くたびに足の裏が妙な感覚を伝えている。

 硬いような、柔らかいような……水の入った浮き輪の上を歩いている、と表現すればいいかもしれない。

 

 ともかく、歩くのはとても楽しかった。


 あたしは景色にも目を向けた。


 うすい月夜の光源しかない湖はつつ闇に染まっており、壮大な無の空間が広がっていた。


 山や陸地も闇に沈んでいるから、余計に、何もない空間を歩いているような、錯覚に陥ってしまう。


 一つの色に統一された空と湖は、どこからどこまでが境界線なのか、判断つかない。


 まるで御伽の国へと迷い込んだような、曖昧な光景だった。


「起きながら寝ぼけるな。器用な奴だ」


 冷水のような一言に、あたしは景色を見るのをやめて、前方を行くリヒトを睨んだ。


「五月蝿い。別に良いだろう? 感動しているだけじゃないか」


 そもそも口に出してないのに、文句言われる筋合いはない。あたしの雰囲気楽しそうだからって、茶々入れなくてもいいだろうに。


「この不気味な暗闇に感動する。その感性に度肝抜かれる」


「感性豊かで素晴らしいだろう」


「はっ! どの口が言う。これが最後に見た景色にならなきゃ良いがな」


「今日も皮肉絶好調だねぇ。ある意味、感心するわ」


 あたしは一笑する。

 そしてリヒトの横へ移動した。

 聞こうと思ったことを思い出したためだ。


「なぁ。昼間の質問の答え、聞かせてよ。今日はあたし一人で退治するんだろ? あんたはこんなに凄い力を持っているのに、どうしてあたしの力が必要なんだ?」


 リヒトは苦虫を潰したような表情をした。


「その台詞は、俺が単なるお荷物だ、という隠語が含まれているのか?」


「あっはっは。そーじゃないって。お荷物なんて全く思ってない。単純に気になるだけだ」


 「そうか」とリヒトの表情が通常に戻る。

 

 何を勘違いしてるのやら、変なの。


「深読みしすぎると、自滅するぞ」


 忠告してやると「悪かったな」とリヒトは肩を竦める。その姿にあたしは苦笑を漏らした。


「で、話を元に戻すけど。どうしてなんだ? あんた一人でも十二分に戦えるよな」


 そこまで話しかけて「もしかして」と続ける。


「本気で一人で頑張りたくないから、あたしをアテにしたってこと?」


「違う」


 リヒトは顔をしかめ、唾をゆっくりと飲みこんだ。


「お前が思っているほど、俺の力は完全無欠じゃない」


「ん?」


「出来る事と、出来ない事がある。それは……」


 リヒトは言い淀んだので、あたしは肩を竦めた。


「あのさ。あんたの力を完全無欠だって、思ってないぞ。あんたが自分でも言ったよね? 一人じゃ難しいって、その『難しい理由』が知りたいだけ」


 リヒトは視線を逸らして、速足で先に進もうとした。

 踏み込んでほしくない様子を匂わせるが、そうはいかない。


 戦闘時に命を預けていると同時に、命を預かっているのだから。疑問・不安要素は潰しておいたほうがいい。


 背中を合わせられない相手では、命を預けることも、護ることも出来ない。


「まてよ」


 あたしは彼のマフラーとマントを、ぐいっと引っ張って、前に回りこむ。

 リヒトの目を真剣に見つめて、もう一度聞いた。


「話すって言ったよな?」

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