オリキャラの星から逢いに来て
桜龍
第1話 オリキャラの星から会いに来た
地方の小さな市民会館。ここで本日行われている同人誌即売会も立派なイベントである。
佐藤 楓はこういった小規模で和気あいあいとしたイベントにもよく参加していた。ジャンルは『ゲーム/RPG』。楓がハマったゲームで同人活動を始めて早数年。同じシリーズのゲームで同人活動をしている人とは毎回顔を合わせるので、仲良くなった人たちと隣接スペースを取ることが多い。
まぁいつも大体同じ顔触れである。サークル参加者も一般参加のお客さんも。
「今日は○○のコスプレイヤーさんが多いですね」なんてお隣さんとのんびり話していたところ、通路の向こう側がざわめきだした。
「なんだろう?」
この市民会館には大ホールのような大部屋が1階にはない。そのため会議室などの部屋を複数使ってイベントスペースを確保している。一本道の廊下に面した各部屋の扉を開放しているのでそれぞれの部屋へ気軽に入ることが出来る。
玄関ホールにある受付から一番近い会議室は、間仕切りを外した広い部屋にメジャーなジャンルのサークルが配置されている。畳が落ち着く和室にはハンドメイド作品のサークルが、楓たちがいる小会議室にはゲームや創作系のサークルがまとめられていた。コスプレイヤーのための更衣室もあるが楓は入ったことがなかった。
奥まった部屋にいる楓たちには精々向かいの部屋の様子しか分からない。しかしスペースを離れて見に行くまでもなさそうだ。女の子たちのざわめきがだんだんこちらへ近づいてくる。
全開の出入り口。ざわめきの正体が見えた。金髪だ。背が高い。コスプレイヤーだろうか。
全身黒くてホストみたいな服、誰コスだろう……って、こっち来る!!
え、うそ。もっと近くで見たいなとは思ったけど、こっち来る??
固い靴音を鳴らして近づいてくる人物が楓のスペースの前で止まった。
来た!!!!しかも自分のところに?!?!
隣からは「イケメン……」とつぶやく声。少し離れたところからも「ねぇあの人なんのコスプレしてるんだろ?」「後で写真撮らせてもらおう」と聞こえてくる。
けれど楓は誰のコスプレでもないと思った。
ただただ驚いて声も出なかった。
目の前に立つ人物を見上げる。金髪から覗くのは青い目。
唇が弧を描き青い目が優し気に細められた。
縛った後ろ髪が尻尾みたいに垂れて肩にかかる。長いまつげもまっすぐな鼻筋も形の良い唇も、初めて見たはずなのに直感的に『彼』だと思った。
自分が昔、書いていた拙い物語。自分で作ったオリジナルのキャラクター。
『オリキャラ』の『ルイ』だ。『ルイ』そっくりだ。
ふあぁぁ。今、私の目の前に『ルイ』がいる!現実に存在したらまさしくこんな感じ的な!
目の前に立ってただにこにこしているイケメンを、ただ見上げていると、相手の方から話しかけてきた。
「すみません。ここからここまで一部ずつ全部ください」
しゃべった!話しかけられた!ふあぁぁ声めっちゃ好きな感じ!!
……って、ちょっと待って。
楓の脳内で冷静さが呼んでいる。
……おーい。
…………お客さんだよー。
………………イケメンが同人誌買いに来たぞー。
「はい……?」
楓は「いらっしゃいませ」を言い忘れていた。いや、問題はそこではない。
ここは同人誌即売会で、自分のスペースで、長机1個分の『ここからここまで』は、自分の頒布品の全てを指していた。
「え、あ、はい……え?」
イケメン。今なんて?
「ここから、ここまで。全部ください♡」
輝くような笑顔で言われた内容に対し、意識が現実に引き戻されるまでタイムラグが生じた。
か、買うの?!仮称『ルイ』これ買うの?!私が書いた『聖櫃シリーズ二次創作主人公総受けBL(健全/オールギャグ)』の既刊から新刊までと友達の委託で置いてるシールとか便箋とかノリで作ったコピー本とかを??!!
「あっえっ……と、とりあえずグミですどうぞ!!」
「ありがとうございます」すらまともに言えないまま、おまけのグミ(個包装/市販品)だけは忘れずに渡せた。
だがしかし、それは本来やりとりの一番最後に「おまけです。よかったらどうぞ」とお渡しするためのお菓子だった。仲間内にはゲームの内容を真似て「回復アイテムを支給します」と渡すことが今日のミッションでもある。オリキャラ似のイケメンを前に絶賛混乱中だ。
震える手で電卓を叩き、2回計算し直してお会計をしている間に隣の『もけみみみ』が袋詰めを手伝ってくれた。頒布品お渡し用の可愛い柄のビニールバッグに薄い本がギリギリなんとか入った。
いやマジもけみみみさんありがとう。袋それ選んでごめんなさい。可愛い柄ってだけでサイズ考慮してなくてごめんなさい。いや全種類入れることになるなんてこの事態は想定できなかったよ。こんな田舎のイベントでさ。あぁイケメンに花柄バッグ渡してごめんなさいって似合うなこの人。
可愛い花柄バッグに詰め込まれた我がサークルの戦利品を受け取ると仮称『ルイ』もとい金髪イケメンは「ありがとう」と爽やかにお礼を言って……隣のもけみみみさんのスペースにスライドした。
この人、まさか、『聖櫃シリーズ』の島全部行く気じゃ……。
「すみません。ここからここまで一枚ずつ全部ください」
にっこり。さきほど聞いたのと内容は変わらない。が、効果は抜群だ。
あ、もけみみみさんがこっち見てる。
「メープルしゃん……タスケテ」
彼女のスペースは机半分だが、そこには可愛いタッチで描かれた『聖櫃シリーズ』のキャラクターのシールがずらりと並べられている。机の上だけでなく立てかけたコルクボードにもある。楓の頒布品より数が多い。
「もけさん落ち着いて。大丈夫、さっきもけさんに助けてもらった恩を今、返す時が来た。早い。私もまだ立ち直れてないけどえっと、オーライまかせて」
ちなみに『メープル』とは楓のペンネームだ。サークル名は『メープルの木』という。
もけみみみのスペースでも戦利品を笑顔で受け取ると「ありがとう」と言い残し、また金髪爆買いイケメンはさらに隣のスペースへスライドした。
イベント後。駅前のドーナツ屋にて。
「嵐のような人でしたね!!でもすっごいイケメンで眼福でした~」
「カメラ持った子たちが写真撮らせてくださいって言ってたけど『これ、ただの私服なんだ。ごめんね」って言ってましたよ。私服でアレってなんなんなん。もう私服あざーっす!」
「髪は地毛っぽかったわね。顔立ち的に見てもハーフかしら。すごく指長くて綺麗な手だったから彫刻にしたくてガン見したわ」
「桃姐さん握手してましたもんね~。いいな~。私プチパニックで、目の前にいたときのことなにも覚えてないです~」
楓は仲の良い三人の女の子たちと、アフターイベントという名のお疲れ様会をささやかに行っていた。
ゴスロリ姿が似合う癒し系ボイスの『もけみみみ』。
制服に異常な執念を燃や……萌やす眼鏡美人の『教授』。
みんなの姉御で骨格フェチの『桃姐さん』。
もけみみみはペンネームだがあとの二人の呼び名はペンネームではない。本名の一文字すらかすっていないニックネームだった。
この三人も自分と同じ活動ジャンルのため、本日並べていたお品書き全て爆買いされた。
教授に至っては、ちょっとムフフなBL本があったので少し可哀そうだった。「お兄さんにはお勧め致しかねます」「問題ないのでください」と攻防している様子を楓ともけみみみは温かい目で見守っていた。
「なら……この場で音読して行くね♡」と言われた瞬間、室内が黄色い声で沸いた。隣だった桃姐が勝手に「どうぞどうぞ」と同人誌を差し出し、それを必死で阻止する教授の図はコントのようで面白かった。
桃姐はどっしりと対応していた。もうこれは来るな、と解っていたからだ。頒布品はすでにまとめられてスムーズに対応できた分「学校の課題の参考にしたいので手を見せてくださいませんか?」と趣味と実益を兼ねる余裕すらあった。
彼女たちが本日のハイライト、金髪爆買いイケメンで盛り上がる間、楓は聞きに徹しながらカフェオレを一口すする。そして手元のスケッチブックの作業に戻る。今はドーナツ屋の片隅で教授に頼まれた軍服キャラの絵を描いている最中だった。
話に参加したい気持ちは、あるにはある。凪いでいる表面上とは反対に、心の中は大荒れの海だった。話したい心と話たくない心が激しくぶつかり合い、それはもうざっぶんざっぶん大波を打ち立ててグルグルと渦が巻いている。
彼女たちとは幾多のイベントや萌え語りをしてきた、同志とも言うべき友人たち。
……だが。
『実は私、昔オリキャラ作ってたんだけど、あの人オリキャラにそっくりで、もうオリキャラが具現化したのかと思った!』と、言うのは少し、いやかなり恥ずかしい。
二次創作で妄想の産物本を作っておいて何を今さら。昔から話を創作したり絵を描いたりしていたことはすでに語り合った間柄で何を今さら。楓は自分でもそう思っていた。しかし軽い感じで口にしようとしても腹の中に石を詰められたかのように体が重く、頭の後ろ辺りがぞわぞわして思考すら鈍くなり言い出せなかった。
あ、これは完璧に体が拒否してる。無理。
理由は分かっている。あれは中学生の時。大学ノートに手書きで書いた小説。タイトルは……なんだっけ。
干支が一巡した時間の分、記憶は薄れている。
ただ、確実に言えるのは。
中二病だ。あんまりよく覚えてないけど絶対中二病なやつだ……。
書いていたのもちょうど中二のころだった気がする。
一言で言えば黒歴史。その他もろもろトラウマが詰め込まれた開けるな危険!の札付きパンドラの箱だった。
箱は置いといて。仲良しな彼女たちにも黒歴史の一つや二つきっと、いや絶対あるだろう。そんな話題、心が凍傷待ったなしだ。『むかしむかし楓さんはオリキャラをこさえたそうな~』などと、口に出す勇気はない。
現物の小説ノートは一人暮らしのアパートに持って来ていない。十中八九実家にあるはず。
以前母親からの電話に出た際『学生の頃の教科書とかノートとかどうする?いる?あとあんたが書いてた漫画みたいなやつ……』『触らないで!今度実家に帰った時に自分で処分するから!』というやりとりがあったが。そうは言いつつ実家には帰ってないので未だに手つかずのままだ。
気分はあれだ。そう……。
積み荷を……積み荷を燃やして……!!
……ふぅ。一旦落ち着こう。冷静になろう私。
タイトルは忘れたけどルイのことは覚えてる。設定が確か、髪形が前髪は右分け、後ろ髪は肩より長くて縛ってる、あと青い目をしたイケメン。……ってざっくりとしたキャラの容姿しかないなんて。うわー過去の私、キャラデサ薄いなぁ。まぁそんなだから容姿ビンゴなんて現実世界でもビンゴしまくるわ。ビンゴビンゴ。
今まさに楓がスケッチブックに絵を描いているゲームのキャラクターも金髪の美形だった。
あとなんだっけ、ルイのキャラクター(人格)って……そうだ、『女好き』だ。女性と見れば誰それ構わず口説きまくる女好きだった。当時読んでた漫画の影響受けすぎで自分でも恥ずかしい……!!
……イベントに来てたあの人は育ちが良さそう。うちのルイとは違って常識人っぽかったな。同人誌買っていったのは面食らったけど。BL読むのか……。
まぁ、ちゃんと並んで順番守って小銭も用意しててマナーも良かったし。同人イベントにも慣れてる感あるというか、きっとちゃんとしたオタクなんだな。
うん。もしやコスプレイヤーさんなのかも知れない。うわ絶対かっこいいよ。聖櫃シリーズならぜひ大佐コスして欲しい。
……うん。ルイは三次元に存在しないんだから、断然他人の空似だ。この場合二次元の、しかも昔作ったオリキャラと比べて『他人の空似』って言葉を使っていいのか疑問だけどいいや。
3人の女子たちの話題はいつの間にか『今年のクリスマスの予定』に変わっていた。みんなで集まってクリスマスパーティーという素敵な計画を立てている。
平和だ……実に平和だ……。
ルイのそっくりさんの事は私の胸にしまっておこう。
「教授ー。でけたよスケブ」
楓は30分以上かけて、設定資料を見ながら描き上げた渾身の力作を手渡す。
「あざーっす!うわーいレアなメープルさんのイラストだぁぁああっ!ぐはぁ軍服萌えー!」
「いえいえ遅くてごめんよ。しかもモノクロでごめんね」
するとそれを聞いた桃姐が自分のバックからさっと何かを取り出す。
「コピックあるわよ」
「いやいやいやいや……塗らないよ?!店内でシンナー臭漂わせないよ?!ってかコピックとか恐れ多くて使えないから!」
「チッ。密室で描かせるべきだったか」
「惜しかったわね教授。今度メープルさんを監禁してカラーイラスト描かせましょう」
教授と桃姐が悪い笑顔をしている。
「私色塗りは特に苦手だし!ってか桃姐さんはバッグに入れて持ち歩いてるの?!72色セットだよねそれ!?」
「課題の荷物に比べたらこれくらい楽勝よ」
イベントの合間に、内輪でスケッチブックに絵を描き合っていたが、時間がなくなったので「じゃメープルさんはアフターで描いてもらおう」という運びとなり今に至る。
三人ともイベントでスケブいっぱい頼まれても時間内に描けてすごい。みんな私より若いし絵上手いし漫画も描けるし、ささっとかわいいのもかっこいいのも描けてとにかくすごい。文字書き中心な私はスケブ描くの恐れ多いんだよね……。
……でも喜んでもらえて嬉しい。
「さて、このあとどうしようかしら?いつもみたいにファミレス?それともカラオケでごはんも二次会も一気にする?」
すでにドーナツ5個を完食している桃姐が言う。時刻は夕方5時を回ったところ。
「カラオケいえーっい!」
教授が即座に反応した。
「メープルさん今日は早めに帰るって言ってましたよね?何時まで大丈夫ですか?」
「カラ……オケ……」
気遣いの出来る最年少のもけみみみの言葉を聞いてカラオケ好きの教授が悲痛な顔を向けてくる。
「その顔はやめなさい。美人が台無しだ」
あっ、そういえば今度デュエット曲一緒に歌おうって言ってたんだっけ。
「ごめん、ちょっと早いけど電車混むし、もう帰るわ」
「え~。つまんな~い」
「教授とはいつでも会えるでしょ。こっちは明日も仕事早いんです。あとはお若い者同士でごゆっくり~」
自分のカップだけを持って返却口へ返しへ返してくると、カバンとキャリーケースを引き寄せてコートとマフラーを装着する。
「もけさん帰り大丈夫?」
「はい!桃姐さんが車で送ってくれるので親にもそう言ってます」
「桃姉さんなら安心だね。安全運転で帰ってね」
「もちろんです。メープルさんも夜道には気をつけて」
「ふっふっふ。月のない夜は背後に気をつけな」
最後の教授の悪ふざけは無視。あっという間に防寒装備のできあがり。
「メープルさん!お疲れさまでした!ありがとうございました!またイベントご一緒しましょう~」
「もけさんっ!こちらこそ、今日は本当にありがとう!またねっ!」
どさくさに紛れてゴスロリ少女をギュッとハグして他の二人とも熱い別れの挨拶をかわす。
さぁ帰ろう。バッグを肩にかけたところで、はたと忘れていたミッションを思い出した。
「……あ、あっぶな!グミみんなにあげるの忘れてた!」
「え~!かわいいラッピングしてある~!ありがとうございます!」
「うふふ。みんなの分は義理じゃないくて本命よ♡」
「本命チョコならぬ本命グミってなんなんなん」
「もぐもぐ。HP回復しますわ」
3人に見送られつつ店を出る。もう日が暮れている。駅前にはそこそこの人出。
振り返ると窓の向こうに暖かな照明で照らされた客席が見える。もけみみみが食べ残したドーナツを桃姐が食べてあげているらしい。教授がこっちに気づいて手を振ると他の二人も手を振る。
楓も手を振り返し、ゆっくりと駅へ向かう。
キャリーケースがゴロゴロ鳴るレンガの歩道。
クリスマスの気配がするイルミネーション。あと一ヶ月もすればクリスマスだ。
LEDライトの電飾が使われているようで電球が小さくても眩しいくらいに明るい。そして消費電力は少なくて寿命も長いらしい。
そのことを教えてくれたのは別れた彼氏だったなと思い出す。
手が冷たい。
手袋をし忘れていた。会場入りした際に外してバッグの中に入れっぱなしだ。だいぶ下の地層に埋まっているだろう。出すのが面倒くさい。コートのポケットに入れておけばよかったと楓はため息をついた。
白い息がゆっくり流れる様を目で追うと、駅のガラスに自分の姿が映っていた。
黒いガラスが鏡のように鈍く光を返す。鏡の向こうはモノクロの世界。
そこに映った自分の姿は色彩を失い、その顔からは表情が消えてた。
あ、私もう笑えてないんだ。
さっきまであんなにちゃんと笑えてたのに。
それとも上手に笑えてなかったんだろうか。
だとしたらみんなに気を遣わせてしまったかもしれない。
家に帰るために電車に乗らなければならない。
いつまでもここにじっとしていたらドーナツ屋から出てきた3人と鉢合わせしてしまう。
そのとき、自分はまた、うまく笑顔を作れるかわからない。
人目を避けるように駅から離れた。
ゴロゴロ。ゴロゴロ。キャリーケースの車輪の音だけが響く。
早く家に帰って荷解きをして、できれば部屋も少しは片づけて、ごはんを食べて歯を磨いてお風呂に入って寝て、朝起きて仕事に行かなければならない。
やらるべきことはつらつらと並べることができるのに、同時に心が拒絶する。
ゴロゴロ。ゴロゴロ。
こうやってしばらく逃げていれば、現実逃避をしたいだけして気が済めば、また元の自分に戻れる。そう楓は知っていた。
嫌だと思っても、時間が経てば忘れたり、平気になったりする。昔からそうだった。たまにフラッシュバックするときもある。それも一瞬の出来事だ。些細なことだ。
趣味を楽しんで、イベントで元気をもらって、元気になれる。元気になれた。そのはずだった。
「もうやだ。逃げたい」
どうせ逃げ込める場所もないのだ。最後はどうせ、嫌がる自分を引きずって自宅のアパートに帰るしかないのだ。
「消えたい。消えたい。消えたい」
明日にはまたあたりまえの日常に戻っているはずだ。タイムカードを切って、なんにもない顔して仕事ができるはずだ。
「……」
ゴロゴロ。ゴロゴロ……。
当てもなく歩いてうつむいて自分の足だけが見える視界に、突然他人が入って来た。
ビクッと心臓が跳ね上がる。自分のキャリーケースの音で足音など聞こえなかったようだ。
男物のブーツだ。正面に誰か立っている。相手が動く気配はない。
「こんなところに一人で。なにしてるの?楓ちゃん」
ハッキリと、名前で呼ばれた。
まさに今日、数時間前に聞いたばかりの声に楓が顔を上げる。
夜とおそろいの黒い服。街灯に照らされたまばゆい金髪。そこには、イベントで会ったルイのそっくりさんがいた。
あぁ。ルイだ。見れば見るほど本当にどうしようもなくルイだ。
こんなところにいるはずないのに。
けれど彼は楓のことを名前で呼んだ。本当に、ルイなのでは?本気でそんな気がしてきた。
まさか……。
「僕のこと覚えてる?」
「……イベント会場でお会いしましたよね」
「それよりもずっと前から、僕は君のこと知ってる」
心臓が跳ね上がる。まさか。
「そして君も、僕のこと誰だか分かってるよね?」
まさか、本当に?
「……ルイ……?」
「そうだよ。覚えててくれて嬉しいな」
ルイが笑う。
現実世界にいるはずないのに。
思わず名前を口にすると、そうだよと肯定してくれた。
街灯が照らすレンガ道。自分と同じ白い息を吐く、同じ体温を持った人間。
「ずっと会いたかったよ楓ちゃん」
泣きそうな顔で笑っているルイの表情は、本当に喜んでいるようだ。
その様子を見て、ただ漠然と本物だと楓は思った。
うそ……本物のルイが……?これは現実?ルイが私の名前を呼んでくれる。
名前……?
―こんなところに一人で。なにしてるの?楓ちゃん―
このセリフは確か、ルイが主人公と初めて会ったときのセリフではなかったか。
なんで……。
あぁ、そうだ。思い出した。作者が、過去の私が……。
……主人公の名前、自分と同じ名前つけてたんだった……。
はっずっっっ!!!!
思い出した黒歴史。と、同時に意識が遠くなり物理的に目の前が真っ暗になった。
「大丈夫?」
がしっと体を支えられた。
辛うじて意識は留めた。地面に膝をつきそうになったところを駆け寄ったルイが助けてくれたらしい。
「だ、だいじょうぶ、ちょっと、立ち眩みが……」
耳!耳元で声がっ!ふあぁぁしかもなんかいいにおいするし温かい!男の人に触れられるとか久々過ぎてさっきハグしたもけさんと丸ごと全部違う……って、この状態って密着してない?!抱きしめられてる感覚がするんですけど?!もしもーし?!視界、視覚回復はよ!!
実際にはものの数秒も経っていないのだが、楓の体感時間では焦らすようにゆっくりと視覚に光が戻って来る。歩道の植木が認識できた。『目の前がまっくらになる』という経験は初めてだった。
視覚だけでなく力も抜けてしまったらしい。抱きしめられている状態から動けない。
「楓ちゃん?」
囁きで名前を呼ばれる。
やばい。声近い。すごく恥ずかしい。めっちゃドキドキする。声近い。これは無理って。
「楓ちゃん。こっち向いて」
「……」
「お顔見たいなー」
「……」
「……見せてくれないとこのままチューするよ?」
チューって……。
「バッ……」
至近距離で目が合った。
「やっとこっち見てくれた」
花が咲くように笑う人だ。
「もう離してくれて大丈夫。一人で立てますから!」
恥ずかしさで顔から火吹くかと思った!!!
腕を振り払い自力で立ち上がる。まだ頭がクラクラするがそれどころではなかった。
心臓がバグバグする。
自分の鼓動の速さからも確信する。
あぁ、ルイだ。姿だけじゃなく、このやりとり、ものの言い方、ものすごくルイだ。
自分が書いた物語の中にだけ存在したキャラクターが、現実に目の前にいる。
警戒して距離を取りつつもう一度姿を確認する。
「本当にルイなの?」
「うん。『ルイ』だよ。君が作ってくれた、イケメンでハンサムで大抵のことは何でもできちゃうナイスガイで、楓ちゃんのことだーい好きなルイだよ」
「うわ、そのウザイ感じめっちゃルイだ」
頭痛がしてきた。こめかみを押さえながら質問を重ねる。
「なんで?なんでこんなところにいるの?だってノートに書いた話の中の、作り物の世界のキャラだよ?」
「君に会いたくて来ちゃった」
「来たって、どこから?!」
「オリキャラの星から来たんだよ」
……オリキャラの……星……?
「君に会うために」
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