第1章 それはすました蒸気のように

2-1 「良く覚えてんなあ……っ」

第1章 それはすました蒸気のように




「ノア君、髪伸びたね。切れば?」


 エルキルス郊外にあるコーマス収容所。

 先月収監された元住み込みバイト先の女店長は、自分を見るなりそう言った。面会ガラス越しでなければ、世間話かと思うような口調で。


「へっ、そう、か?」


 そんな意識全く無かっただけに、ヴァージニアの言葉に驚きノア・クリストフは己の赤い前髪を1房摘む。


「うん、ちょっと野暮ったい。2週間ぶりに会うから余計思っただけかもしれないけど」

「あー、でも言われてみたらそうかも。高校の友達に床屋の息子が居るって前言ったろ? 今度そこで切って貰うかな」

「うん、それが良いよ」


 長い金髪の女性はそう言い、パイプ椅子に腰を下ろした。

 39歳のヴァージニアとは10年以上の付き合いだ。

 客船員である実の親よりも一緒の時間を過ごして来た為、親よりも親らしく気負わずに話せる。

 とは言え、収容所の面会室で、となるとどうしても緊張してしまった。しかも平日に来るのは初めてだ。


「あー店長、……体調は大丈夫か? 刑務所暮らしって、大変だろ」


 ガラス越しの人物が少し痩せた気がして尋ねる。

 眉の下がった申し訳無さそうな表情は、殺人を犯したから当然かもしれない。ヴァージニアは贖罪する姿勢だが、思うところはあるに決まっている。


「……まあ、慣れそうに無い、かな。でも……受け入れたいから。心配してくれて有り難う。それより、今日はどうしたの? 月曜日に」

「…………そうそう!」


 どうやらこの女性はその辺りを自分に掘り下げて欲しくないらしい。それが伝わって来たので、こちらも話を変えた。


「もう聞いてっかもしんねぇけど、昨日弁護士から電話貰ってさ。ポピー、買い手が決まったから立ち退いてくれって。だから僕、家に戻る事にしたわ」


 今までは川沿いの実家ではなく、両親が不在な為ヴァージニアが営んでいた公園横の店舗付き住宅に住み込んでいた。

 が、店長がこうなってしまった以上、実家に戻る事にしたのだ。

 通っているミトズロッド高校からは少々遠くなってしまうが、駅には近くなる。

 チワワを飼っている同じマンションの住民にまた挨拶を出来るのも悪くない。黒と白の毛をしたチワワの柔らかさを思い出すと、自然と頬が緩んだ。それに隣の家には誰も居ないので気が楽だ。


「うん、それが良いね。荷物はもうマンションに移したの?」

「いや、まだ。数日中にやろうと思ってるけど。重労働になっからフードコート行ける日じゃねぇとやる気がどうも……人参をぶら下げたくて」


 重い荷物を運ぶ日になるのだから、どうしてもその日は自分に飴をあげたかった。控えめにパッと散財して、夕食は外で食べたかった。


「ふふっ、ノア君ってフードコート好きだよね。…………そうだノア君は体調大丈夫? 変わりない?」

「えっ、いきなり何だよ」


 突然話を振られ動きが止まる。

 どうしてこの流れで体調を気にかけられるのだろう。


「フードコートで思い出したのよ。ほら、病院帰りに良くフードコートでソフトクリーム食べたでしょ。それ思い出したら心配になっちゃって」


 今はそうでもないが、幼少期の自分はすぐ熱を出していた。病院の世話になる事も多く、注射が嫌だとギャーギャー泣き喚いた。

 その帰り、フードコートで良くソフトクリームを買って貰った。その時の事を言われているのだ。


「良く覚えてんなあ……っ」


 10年は前の事だ。

 迷惑をかけた自覚が顔を熱くする為、その話は恥ずかしい。

 返す声に少し険があったが、母親のような人がその程度で堪えた素振りは無かった。


「大変だったんだもの。特に実習生に刺された時……。私今でも、あの実習生の困り果てた顔思い出せるよ」

「本当良く覚えてんなあ……!」


 実習生に刺された――忘れていた出来事が脳裏に思い出される。

 あれは5歳の夏。

 例に漏れず両親は仕事で海の上。祖父母も遠出をする事になり、近所に住むヴァージニアに1日預けられたのだ。

 そして熱を出して行った病院で、不幸が重なった。

 外科医志望の医学生がその日病院に実習に来ていて、人手不足だかで自分の腕に針を刺した時があったのだ。

 実習生なだけに彼の注射は痛くて、緊張していた事もあり何回も刺された。


『ごめんね、採血習ったばっかでっ!』


 卒業間際らしいがまだまだ白衣に着られている実習生にひたすら謝られ、その姿に罪悪感が生じ一層泣いた事を覚えている。


「そう言う事言うなよなー……っ!」

「ごめん。でも緊張解けたでしょ?」

「へっ?」


 何だそれ──と笑いかけたがすぐに思い至る。

 平日の面会に緊張していたのも、脈絡の無い話題に体の強張りが吹き飛んだのも事実。


「……」


 どうやら自分はまんまとヴァージニアに乗せられたらしい。少しも気付かなかった。

 まじまじと向かいの女性を見ていたからか、ヴァージニアがどこか罰が悪そうに、悪戯がバレた子供のように笑う。


「せっかくの面会なんだし、笑って欲しいじゃない……」


 言い訳のようにもごつく姿に、一拍後フッと目を細める。


「お気遣い有り難う。確かに気ぃ楽になったわ!」


 長い付き合いがある人には敵わない。

 照れ臭さを噛み締めながら笑いかけると、「良かった」とヴァージニアの目元が緩んだ。

 その後の面会は主に自分の話をした。ヴァージニアが聞きたがったのだ。


 先週自炊に初挑戦してみたものの、焦げた物体を地球上に産み落とした事。

 秋とは言えまだまだ暑いので腹を出して寝ていたら、腹痛に襲われ後悔した事。

 蒸気機関車の中で携帯ラジオを聞いていたら、ついつい乗り過ごしてしまった事。

 くだらないそれらを、ヴァージニアは目を細めながら聞いてくれた。一緒に暮らしていた時は眉を釣り上げている事が多い人だっただけに、その表情が照れ臭い。

 看守が面会終了時間を告げに来た時には、ヴァージニアの表情に翳りは無かった。


「それじゃあまた来るわ」

「うん、楽しみにしてるね。高校、ちゃんと行くんだよ」

「行ってるし。じゃあな!」


 念押しされた言葉に肩を揺らしながら、扉を開けて面会室を後にする。

 今度はいつ面会に行けるのか。

 頭の中のカレンダーを思い出しながら、すれ違う職員に挨拶をして刑務所を後にした。


「ふー」


 エルキルスはここ最近ずっと霧が出ていた。

 ここは霧の出にくい郊外だが都市部はシルエット当て会場と化していて、おかげで周囲が見えづらい。


「……そろそろバイトすっか」


 ヴァージニアに会えて良かった反面。

 アルバイトが無くなった自分の財布にとって、郊外まで行く交通費は大きな痛手だ。散歩好きとは言え、帰りは歩こうと思う程に。

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