1-35 「顔見知りなだけです」
「はい? ……あら? 朝の、ノア君のお友達?」
「顔見知りなだけです」
間髪入れず訂正してきた青年は、朝ノアに会いに店に来た青年だった。今はフェルト帽を被って牧師服を着ている。
「今朝は何も注文せずに、慌ただしく出ていってしまい申し訳ありませんでした。電話、本当に有り難うございました」
何か反応する間もなくにこやかに礼儀正しく謝られた。ユスティンと呼ばれていたこの牧師が謝る理由はどこにもない。
「まぁご丁寧に有り難うございます。気になさらないでください、お疲れ様でした」
「そう仰って下さり有り難うございます」
首を横に振って返した。何かの帰りだろうに、きっと謝るために店まで寄ってくれたのだろう。
「ノア君がお世話になっているみたいで……こちらも有り難うございます。あんな態度でごめんなさい」
その丁寧さに嬉しくなって、声を弾ませて返す。が、ノアの名前を出すと、ユスティンが一瞬黙った。
「……いえいえ。元気が良くて良いんじゃないですかね」
一瞬の間なんて無かったように、金髪の青年は笑みを浮かべたまま返してくる。言い方もどことなく雑だ。これはノアが迷惑をかけているに違いない。
フォローも兼ねてヴァージニアは話を続ける。
「ノア君、小さい時はしょっちゅう熱を出してたからですかね、弱く見られないようにってついつい気が強くなるんですよ。本当にごめんなさい」
言い終えるなり、この話は終わりだとばかりに近くのハンギングバスケットに向き直った。コスモスが何輪も咲いてきたのが嬉しくて、つい目を細める。
「綺麗な花ですね、それ。ええっと……」
こちらの意図を汲んでか、ユスティンも話を変えてきた。もう気を遣う話題でもないようなので直ぐに頷き、黄色の花弁を幼児の頬を触るようにそっと撫でた。
「コスモスです。これはピンクではなく黄色ですから、有名な花とはいえちょっと分かりにくいかもしれませんね」
「勉強になります。花、お好きなんですか?」
「はい。こんな小さいのに一生懸命咲いていて、見習いたくなるんです」
ハンギングバスケットの修正も終わったので、一度背筋を伸ばしてユスティンを見下ろす。
「素敵な考えですね。では、失礼します」
牧師はどこか感心したように言い、一礼して橋に向かって歩いていく。その後ろ姿を見送っていると、自然と頬を持ち上げている自分が居ることに気が付いた。
どうしてかと不思議に思ったがすぐに納得する。丁寧な対応をされて、嬉しかったのだ。母親が再婚相手に夢中だった家で育ったせいか、どうも人に優しくされると嬉しくなる。
ヴァージニアは笑みを浮かべたまま、扉を開けて店内に戻っていった。
***
「夜になってくるの早くなってきたなー」
「うん……寒くなってきたし、あっという間に秋が終わるんだろうね……」
「ついこの間まで半袖半ズボンでダラダラ出来てたのにね~」
エルキルスの北東に広がる工業区に足を踏み入れたクルト・ダンフィードは、隣で唸っている赤毛の少年の言葉に頷いたものの、続いた少女の声に思わず後ずさった。
工業区の建物は、窓の明かりがもう目立ち始めている。通りを歩いている人達も仕事上がりの人から自分達のような若いグループまで様々で、皆どこかに帰宅するようだった。
「んじゃ引ったくらせるか。その前にちょっとフライドチキン買ってきていいか?」
「あ、賛成っ!」
突然のノアの提案にイヴェットが朗らかに同意する。道中詳しい経緯や作戦をノアが説明してくれたが、この快活な少女はどこまで理解してくれたのだろう。一方で、誘拐翌日にこれだけ元気な事に安心している自分も居る。
「…………なんで?」
「腹減ってんだよ。それに放課後の定番っつったら買い食いだろ? ちょうど良いと思わね? じゃーちょっと行ってくるわ」
悪戯っぽく目を細めて笑ったノアは、こちらの返事も待たずに通りの角にある屋台に向かっていってしまった。
「ふふっ、ノアさん自由ですね」
馬車が幾つか入っている駐車場の隅で待っていると、イヴェットに話し掛けられた。
「えっ? あ、う、うん……新鮮」
自分は地元でも高専でも友人は作れなかったので、ああいう明け透けな友人は初めてだ。
初めてと言えば、先程同僚に言伝を頼んだのも初めてだ。ここ最近、少しずつではあるが人に慣れてきた。イヴェットにだってきっと慣れるのだろう。
向いていないと思ったこの仕事も、もう少し頑張れる気がする。そこにあの先輩が居てくれたらもっと心強い。改めて決意を固め、俯いたままノアの帰りを待つ。
「お待たせさーん。ほら、これ二人の分」
戻ってきた少年は、紙袋に入れられた茶色の揚げ鳥を三つ持ち、どこか浮き足立った表情を浮かべていた。
「俺もいいの……?」
「ったりめぇだろ。でも学生は貧乏だから奢らねぇぞ、後で金払えよ。あ、イヴェットの分もな!」
「ノアさんああ言ってますけど、良いんですか?」
「えっ、あ、うん、いいよ……。だけどノアはバイトしてる、って聞いたような……?」
「お前なー、働いてんだから細かいこと気にすんなよ!」
笑いながら言われそれ以上は突っ込めなかった。うんと頷き、差し出されたフライドチキンを受け取る。
「さて、と。いつ置き引きされてもいいからな」
早速フライドチキンを頬張り、ノアは近くの地面にスクールバッグを置いた。
スクールバッグが引ったくられたら、昨日の要領でアジトを探す。その後匿名の通報を入れれば、それだけでも事件は驚くくらい進展してくれる筈だ。
本当に連続連れ去り事件の犯人グループに引ったくられるかは賭けだ。昨日の今日で……とも思わなくないが、引ったくってくださいと言わんばかりのこのスクールバッグは美味しすぎる。
視線を路地に向けた後、クルトは受け取ったフライドチキンにかじりついた。
「あつっ……!」
揚げ立ての塊と肉汁が口内に広がり、最後まで噛み切れずに顔が歪む。大丈夫ですか? と心配してくれたイヴェットが紙ナプキンを差し出してくれた。
「一気に食い過ぎだろーお前でも熱いの食うと顔が歪むんだな」
自分の表情を見たノアが喉を鳴らして笑う。何も言えなくてそのまま黙ってフライドチキンを慎重に食べていく。
そういえば買い食いも初めてだ。クルトはフライドチキンを飲み込んで小さく笑みを浮かべた。
***
「ユスティン。そろそろ夕飯出来るからイヴェットちゃん呼んで来てくれる?」
「はいはい」
ソファーで本を読んでいた幼馴染みは、アンリ・アランコの言葉に頷き廊下に向かっていった。イヴェットの部屋は牧師館の一階、リビングの隣にある。先月までイヴェットの家族が使用していた部屋を、両親が異動した今も彼女がそのまま使っていた。
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