1-12 「俺が本気じゃない時がありましたか?」
一瞬何かと思ってゾッとしたが、今話題の連続連れ去り事件の目撃者としてだった。なのでノアの帰りが遅れる、という連絡だ。直接関与しているわけでは無いようだが、気分のいい話ではない。
どうしようかと一瞬悩んだ。干渉するのは過保護すぎる気もした。
しかしノアは学生だし、預かっている子だ。
そんな話を聞いてのんびりもしていられない。エルキルス警察署まで迎えに行くことにした。通話を終わらせたヴァージニアは身支度を済ませて外へ飛び出す。
目の前の公園に蒸気時計があるおかげかこの辺りは一際霧が濃い。
「うわっ!?」
「あっ、ごめんなさい!」
だからか、公園から出てきた作業服の青年に気付かずぶつかりそうになってしまった。
「あ、いえ、こちらこそすみません」
ぶつかる寸前で堪えてくれたらしい青年に軽く頭を下げられ、頭を下げ返す。青年からはカレーの匂いが微かにしたので、もしかしたら先程公園で行われていた炊き出しの関係者かもしれない。
そう言えば、ノアも聴取ついでに炊き出しのカレーを食べたらしい。ノアの顔を思い出し、ヴァージニアはポピーの施錠をするなり、小走りでエルキルス警察署に向かっていった。
***
節電の為に薄暗い警察署の廊下を進み、すれ違った庶務課の女性の外見を誉めた後、リチェ・ヴィーティは刑事課の扉をノックした。
「失礼しまーす」
友人宅に遊びに行った時のような気軽さで部屋に入ったが、誰からも反応をして貰えなかった。あれ、と視線を室内に巡らせて納得する。同僚達はクルトが持ってきた書類を読んでいたのだ。
「すんません。ちょっと話があるんすけど」
輪に入って書類を見ていた課長に声を掛ける。リチェの声に気付いた壮年の課長の視線がこちらに向けられた。ここで話すのもなんだし、と部屋の隅に移動して話を切り出した。
「クルトが纏めた書類読みました? 工業区の方に向かったって目撃者も現れたし、もう聞き込みに時間を割いてる段階じゃないと思うんすけど」
「ん? つまりリチェはどうしろって言ってる?」
「半グレや不審船、工業区付近の監視に人員を割いた方が良いんじゃないかって考えてます。馬車が向かったって言う工業区は不良の溜まり場ですし。他の課も聞き込みはしてくれたし、俺等も結構走り回りました。なのに被害者に共通点らしい共通点は見付からないんですから、展開があった今捜査方針を変えた方が良いに決まってます」
リチェは一度そこで言葉を区切り、悪巧みへ誘い入れる時のような笑みを浮かべ、声量を落とした。
「で課長に、捜査方針を変えるよう上に言って貰いたいんすけど」
「……んー……」
小太りの課長から返って来たのは、いかにも気乗りしないと言った声だった。多分責任を負いたくないのだろう。頭に白い物が目立ち始めてきたこの人はそういうタイプだ。けれどそういう人の方が話しやすい時もある。
「課長。捜査方針に不備があった時の責任なら俺に押し付けてくれていいです、クビでも何でも差し出しますから。それよりも早く事件を解決しないとエルキルスの女性が可哀想だ」
「それ本気で言ってる? だったら私も話をしやすいけど」
「俺が本気じゃない時がありましたか?」
結構あるよ、と課長は言う。その言葉は笑って流すしかなかったが、課長の声が前向きになってくれたのは収穫だ。きっと明日にでも捜査方針が変わっているだろう。
「話は変わるんだけど」
ふう、と息をついて気持ちを落ち着かせていると、比較的声を大きくした課長が話しかけてくる。
「クルト君にさ、もう少し愛想良くしてって言っといてくれる?」
続けられた言葉は全く想像していない物だった。思わず何度も瞬く。
「いやね、課の雰囲気が悪くなっても困るからさ。極端な話、刑事課で殺人事件が起きたら笑えないでしょ」
「ああ……まーあんなですけど良い奴ですよ? 俺より真面目だし。さっきも目撃者の学生と何か笑ってて」
後輩へのクレームに何とも言えない気持ちになる。このタイミングから察するに先程何かあったのだろう。
「え!? クルト君って笑えるんだ!?」
寝耳に水を食らったかのような驚きように笑いを噛み締める。自分も最初話し掛けて貰った時は驚いた。
「そりゃ笑えるでしょ。今日も俺とは少し話してくれましたし、クルトが話す気になるまで待ってやって下さいよ。あいつ小さな村出身だし人に慣れてないんですよ、だからそういう事言いたくなくて。ほら、成り手の少ない刑事課を志望してくれた貴重な奴だって、最初課長も喜んでたじゃないすか?」
「う~ん、そう言われると、まあ……」
「課長、ご協力お願いしますよ。じゃっ、仕事に戻りまーす」
うんうん首を傾げて悩んでいる課長にそう言い、その場から離れる。同僚に捜査状況を聞いた後、自分の机に座り木製の受話器を持ち上げ、エルキルス駅に電話を掛けた。約束を取り付けてから話を聞きに行った方が、駅員の対応はスムースだ。
無機質な呼出音を聞きながら、ふと思った。課長にああまで言って話を進めたものの、もし被害者に共通点があったら大変だ。聞き込みは十分したし自信もあるが、万が一を考えると怖い。
リチェは電話が繋がる前に小さく息をついた。
***
「あれ? リチェは?」
ノックの後取調室の扉を開けたのは、青色の制服をきっちりと着ている女性だった。
「リチェなら刑事課に戻ったぞ」
カレーを食べているクルトに代わってノア・クリストフが応えると、女性はふーんと頷いた。
「君のお母さん、一階に迎えに来たわよ。じゃあ伝えたから」
簡潔に用件を伝え、女性は取調室を出ていく。お母さんじゃないけど、と返す暇もなかった。
女性が出て行った今も黒髪の少年の顔は僅かに強張っていた。スプーンを持つ手が止まっている。
「んじゃ僕帰るわ。カレーご馳走さん」
「あ、一階まで俺も行く……!」
半分残っているカレーの蓋を閉めクルトが立ち上がり椅子を戻す。自分も立ち上がって椅子を戻し、隅に置いておいた着替えの入った布バッグを持つ。
「このシャツお前のだよな? 今度署に返しに来たらいいか?」
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