1-7 「これ、さっき落としたろ」
その時。焦げ茶色の髪をした青年が、全力疾走でエルキルス教会に続く白い道から飛び出してきたのが見えた。ぶつからないよう足を止める。
青年は中央公園のある方に走っていく。焦げ茶色の髪が乱れるのもお構いなしだ。教会から出てきたということは信者だろうか。ノアは首を傾げながら、白いタイルが敷き詰められた道に足を踏み入れる。
教会の扉の前に、金髪の青年と制服を着た栗毛の少女が立っているのが視界に飛び込んできた。入り口の明かりが点いている為、二人の姿がよく見える。
牧師とイヴェットだ。牧師とだけ会うだろうと思っていたので、イヴェットも居るのは、丁度良かった。
「おい!」
声を張って建物の近くに立っている二人を呼ぶ。その声に反応して二人が顔をこちらに向ける。
最初の数秒、自分の事も、どうして呼ばれたのかも分かっていなかったように見える二人だったが、すぐに牧師が自分を思い出したようだった。端正な顔が露骨に歪んだ。
「あなたは先程の……動こうとしなかった少年じゃないですか」
開口一番言われむっとしたが、そこは言葉を飲み込む。
「えっ? あっ、君どうしたの??」
イヴェットも自分に気が付いたようで、一歩こちらに歩み出て尋ねてくる。若葉色の瞳が不思議そうに丸まっている。
ノアはポケットから白色のハンカチを取り出した。一瞬身構えたイヴェットだったが、自分が持っている物に気付き目を見張る。
「これ、さっき落としたろ」
「あああーっ! あたしのハンカチ! え、もしかして届けに来てくれたの?」
「ああ。そこの人がここの牧師やってるって聞いたから、最悪そこの人に渡せばいいかと思ったんだけど……居てくれて良かった」
イヴェットはノアの手からハンカチを受け取り、大切そうに持ち直した。
「良かった~、さっき失くしたのに気が付いたんだよね。諦めて叔父さんに新しいのを買って貰おうかと思ってたとこ」
そう言いイヴェットは頬を持ち上げて笑う。雑巾と言っていいくらいシンプルなハンカチだったが、届けて良かった。見てみぬ振りも出来たしそっちの方が楽ではあったが、今晴れやかな気持ちだ。
「なら届けない方が良かったな」
込み上げてくる嬉しさを押し殺し、冗談めいた口調で返す。
「そんなこと無いって! まさか返ってくるとは思っていなかったから、凄く嬉しい。有り難うね」
「意外と偉いじゃないですか」
イヴェットと話していると、割り込むように青年が言葉を挟んできた。刺々しい口調も相俟ってむっとくる。
「さっきからの態度、牧師様は意外と無礼ですね?」
皮肉たっぷりに返すと、青年の青い瞳がびっくりしたように見開かれる。
だんまりだった少年、というイメージだったのだろう。言い返されるとは思っていなかったに違いない。この表情を見れただけでも胸がすく思いだ。思わず唇の端が上がる。
「……失礼しました。姪の落とし物を届けに来て下さって有り難うございます。ついでに牧師という単語自体が敬称みたいな物ですから、牧師様と言うのは間違っていますよ」
先程よりも口元がひくついている牧師に、丁寧に指摘された。神経を逆撫でする物言いは口調を荒くさせるには十分だった。
どうしてか、今までよりも自分を敵視してくるのも気に食わない。初対面の時思った通りだ。この牧師とは絶対に反りが合わない。
「うっせーな知らねぇよそんなんっ!」
「じゃあ知ってください」
「はいはい勉強になりました有り難う御座いますね牧師様~」
「ですから! ご存知でしょうが牧師にも当然名前がありましてね、私の名前はユスティン・スティグセンです」
「あ!?」
ああ言えばこう言うユスティンの言葉に眉が吊り上がる。先程言えなかった分、今言えるのはスッキリする。
「はいはい、なんで会っていきなり喧嘩してるの! 叔父さん、外で喧嘩してるの見られたらクビにされるよ! 中入ろう?」
いつでも言い返すつもりで身構えていたら、間にイヴェットが入ってきた。
「そうですね、私は大人なので家に入りますよ。大人なので!」
「大人は教会の前で騒いだりしませんっ!」
尚大人げない態度が続くユスティンを、姪が一刀両断し腕を引っ張り教会のすぐ隣に併設されている建物に連れて行く。そう言えばいつかラジオで、教会の隣にあり牧師家族が住む牧師館という建物があると言っていた。
「叔父さん、家に入って紅茶淹れてきてくれる? お願いっ!!」
「はい? ……まあ構いませんけど……イヴェットさんは?」
こちらが気になるようで、ユスティンは背中をぐいっと押されながらも、チラチラとこちらを見てくる。
「あたしはこの人にちゃんとお礼言うー。ええっと、君名前は?」
「ノア、だけど。ノア・クリストフ。高校一年だ」
「ノアさんね! いい名前だねー。あたしはイヴェット・オーグレン。あたしも高校一年だよ~」
「名前だけは立派なようで」
結局家の中に入っていないユスティンがぼそりと言う。たしかに偉い人の名前なので、頬を引き攣らせつつ素知らぬ振りを決め込んだ。
「叔父さん!」
「はい申し訳ありませんでした」
イヴェットに怒鳴られたユスティンは、今度こそ玄関を開けて家の中に入っていく。全然申し訳なさそうに思っていなさそうな牧師が居なくなり、教会の前が一気に静かになった。
「ごめんね~、仕方ない人で。あんな人だとは思わなかったでしょ?」
弟が騒ぎ立てた後謝罪する姉のように謝られ、おかしくなって小さく笑う。
「まー思ってたよりアグレッシブな人だったから驚いてる」
「ねー。牧師の時はもっと格好良い人なんだけど。顔は良いし、あれで根はいいし」
「それは、だろうな。……ああいう時動ける人なんだから」
少し前、公園近くであったことを思い出し呟いた。その話題を口にした時、自分の声が思ったより沈んでいて、実は相当気に病んでいたことに気付く。そのことに気が付いたのか、イヴェットは別の話を振ってきた。
「ハンカチ、本当に有り難うね。嬉しかったー! それと、さっきは責めちゃってごめんなさい。ね、なにかお礼させて。あ、家何処なの? 近い?」
「エルキルス中央公園の隣、喫茶ポピーってあるの知ってるか? ハンギングが一杯ぶら下がってる店。あそこの二階で今世話になってて、バイトもしてる」
店名を出した瞬間イヴェットの目が驚いたように見開かれる。一拍後、うんうんと勢いよく頷かれた。
「あっ知ってる知ってる! 良く前通る! だったら良かったー、今度お礼も兼ねてお店に行くね」
「礼なんていいよ。あ、でもたまにポピーの客になってくれんなら嬉しい」
口にした後、ちょっと厚かましかったかな、と思い視線を落として苦笑いを浮かべる。しかしイヴェットは気にならなかったようで、人懐っこい笑みを浮かべ声を弾ませながら返す。
「たしかあそこ朝早いよね、早速今度お邪魔させて貰いますっ。入ったことは無いんだよね、楽しみ~」
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