いいから、一生笑ってて!

鈴ノ 蘭

その言葉を飲み込んで。

 目の前の光景に、私は居ても立っても居られず、駆け出した。学校を抜け出して、無我夢中で走る。


 ――なんで、今なんだよ! 私と帰ろうとしてたのに!


 怒りを足に込めて、力いっぱい地面を蹴る。だが、陸上部でもましてや運動部にも所属したことのない身、ただただ力をむやみに使うだけの走りはすぐに疲れを呼んだ。ずっと走っていた足は限界を迎え、疲れ果てて残ったのは後悔の念と痛みだけだった。


「ばっかみたい」


 痛みを隠すように悪態をつく。馬鹿を見た結果は、たった四十メートルほど。所詮は帰宅部の体力と筋力。


「あー、もう」


 おもわず低い声が出る。イライラしているのが見て取れる雰囲気もまとわせているだろうが、幸いにも帰路に人の気配はない。それに甘えて、道端で休もうと地面に腰を下ろした。はしたないとは理解してはいるが、久々の爆走に靴も足も耐えられなかった。それに靴擦れもしている、とにかく痛い。見逃してほしい。


 鞄から絆創膏を取り出し、痛みを和らげようと踵にくるぶし、小指の横、と貼り終えてぼんやりと遠くを見つめた。

 夕日が眩しくて、目に沁みる。


「……一生片思いか」


 無意識にこぼれた本音。先程見た光景が鮮明によみがえる。正直、泣きそう。視界がぼやけたその時だった。


「え、あかりって好きな人いるの⁉」


「ぅえっ」


 突然上から降ってきた声に驚いて、つぶれたカエルのような声が出た。なんで、と顔を上げる。そこには綺麗な黒髪を揺らして、まんまるな瞳をこちらに向ける、件の片思いの相手が立っていた。


「ねえ、好きな人、いるの?」


 同じ質問が飛ぶ。不思議そうな声と、好奇心に溢れた表情がこちらを見つめる。

 私はため息がこぼれそうになるのを抑えて、立ち上がる。何でもないようなフリをしてスカートをはたくのだが、視線が痛い。


 ――これは答えないと、一生離してもらえなさそうな気がする。というか絶対そうだ。


 どうにか話題が逸れないか、と試行錯誤思考を巡らすが、なにも思い浮かばずただただ見つめ合う時間が過ぎていく。


 彼女と十六年間、学校の行き帰りをはじめ、共に過ごしてきたからこそ分かる。彼女がそう簡単に食い下がることが。でも、そんな彼女だからこそ救われた面もあって好いているのだ。


 私は溢れ出る感情を抑えるように、ゆっくりと言葉にする。



「……うん。私の一生の片思いだけど」


 貴女に。

 その言葉は飲み込んで。



「意外だなーあかりって一途だったんだね」


 貴女限定だけどね。

 その言葉も飲み込んで。



「まあ、そうかも。私もこんなに好きでいるなんて思わなかった」



 鞄を肩にかけ直して歩くのを再開する。自然に彼女も横に並んで、笑顔をこちらに向けた。



「うわー! めっちゃ好きじゃん。あかりの好きな人知りたーい」

「言わない。絶対」


 そう断言する私に彼女は唇を尖らせる。


「十六年も幼馴染してるから、こういう時のあかりは教えてくれないのはわかってるけどさ」


 さっき、私も同じこと考えてた。

 口には出さないけど、勝手に嬉しくなる。それと同時にそういえば、と浮かんだ疑問。


「さっき先輩に呼び出されてたのはどうしたの? 一緒に帰れないと思って先に帰ってたのに」


 自分で聞いたくせに悲しくなる。彼女が先輩に呼び出される瞬間を目撃し、私は居ても立っても居られず、一人で帰っていたのだ。


「んーとね、先輩に告白されたんだけどあかりといる方が楽しいから断ってきたの」


 何事もなかったかのように話される。あまりにも自然すぎて、自分から聞いてなければ、適当な相槌で済んでしまいそうだ。


「その告白ってアイラブユーでしょ?」

「うん」

「ライクの私を選んだってこと?」

「確かにそうだ!」


 ぐっ、と口角が上がり、目元が細められる。やがて満面の笑みに変わるその表情を、私はいつまで隣で見続けられるのだろう。心臓に息が吹き返すのと同時に、頭が寂しさで支配されそうになる。

 のも束の間。


「私、あかりといる自分が一番楽しそうで輝いてるなって思うんだよね」


 横断歩道に差し掛かる。歩行者用の信号が点滅していて、私は思わず足を止めそうになったが、彼女が私の手を取り駆け出した。


「だから、あかりもそうだったらいいなって」


 白線を軽やかに踏んでいく彼女の横顔は、無邪気な笑顔が咲いていた。


 向こう側まで渡り終えた私の気持ちは、不思議と晴れ晴れしていた。彼女の、片思いの相手の心からの本音を聞けたからだろうか。


「……私も」


 まだ繋がれた手の愛おしさに、おもわず笑みがこぼれた。


「私も、告白するよ。自分を輝かせるための第一歩に」



 だから、貴女に聞いてほしいことがあるんだ。

 その言葉を吐き出す日は、きっと近い。

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