第3話
トップアイドル殿のご機嫌は朝からすこぶるよろしくない。
理由は簡単。
一つ、水瀬が鳴瀬清花の家で、この所毎晩夕ご飯を食べていることを知ったこと。
二つ、その二人が、目の前で話し込んでいること。
三つ、半泣きの清花を、水瀬が綾乃に見せたことがないほどの優しい態度で慰めていること。
四つ、水瀬の手が清花の肩を抱いていること。
なにより、水瀬が綾乃の不機嫌さに全く関心を払わないから。
「あの、瀬戸さん?」
ものすごく言いづらい、というか、怖くて周りが声をかけられないことから、やむを得ず隣の席の羽山が、美奈子に押される形で綾乃に声をかけた。
ギロリ
そんな効果音が入りそうな鋭い眼光に睨まれ、羽山も一瞬たじろいだが、思い直して声をかけた。
「なんだかよくわからないが、そう殺気立たない方がいいぞ?ファンが減る」
「―――意味がよくわかりません。私、普通ですよ?」
「……普通の子が、スチール缶握りつぶすようなマネするかよ」
綾乃が手にしていた紅茶の缶は、綾乃の手の中で原型がわからないほどひしゃげていた。
「あら、いけない」
「―――ったく」
羽山も水瀬の方をちらと見て言った。
「あいつら、なんか裏がありそうだな」
「そう思います?」
「ああ。なんか、鳴瀬が相当困っているみたいだな。聞いてみたらどうだ?女の子同士、手助けも出来るんじゃないか?」
「はい。何があったのか、手始めに、まず悠理君を拷問して―――」
「は、はぁ?」
「―――じゃなくて、それとなく聞いてみることにします。ええ。それとなく」
クックックッ―――
「なんか、今、かなりヤバめなセリフが聞こえた気が―――」
「気のせいです」
さっきまでの殺気はどこへやら、数百万のファンを魅了する満面の笑みを浮かべて否定する綾乃に、羽山は黙って席にもどった。
下手にかかわると命がヤバい。
羽山のカンはそう言っていた。
さて、肝心の水瀬達だが―――
「―――ふうん。封印が、ねぇ」
「私、なんてことしちゃったんだろうって」
心配して近づいてきた友達に励まされつつも、清花は泣き出すのを我慢するのがやっと。
きっかけさえあれば、声を上げて泣きたい心境だった。
「でもさ。鳴瀬さんが封印を破ったって証拠にはならないじゃない。もしかしたら、もうとっくに封印が破けていたコトだって十分ありえるわけで―――」
「……そう、思いたい。でも、でも不安で―――」
「う〜ん」
水瀬は、少し考えた後で言った。
「じゃ、まずはその巻物を見せて。手がかりがあるかもしれない。すべてはそこから。今日の勤めが終わったらすぐでいい?」
「ありがとう!」
涙目であっても、ようやく清花の顔に笑顔が浮かぶ。
「家での仕事が終わったらすぐに行く」
「待ってるわ!じゃ、お礼にご飯は腕ふるうから!」
「―――ありがと」
「なんだよ。あれじゃ新婚夫婦の会話だぜ?腕ふるったご飯かよ。誤解招くよな、ありゃ。なぁ―――」
羽山は苦笑混じりに綾乃をちらりと見て、見たことを心底後悔した。
顔こそ笑みを浮かべているが、羽山の目には牙と角が生えて見えたからだ。
「―――悠理君、逝く気満々ですね」
「……字が違うって。つーか、瀬戸さん」
「何です?」
「ヤキモチ焼くなら、もっと素直に焼いた方がいいぜ?あのニブちん、てんでわかってない」
「なっ―――!!」
教師が入ってきたため、綾乃はそれ以上の反応を差し控えた。
―ヤキモチ焼くなら、もっと素直に焼いたほうがいいぜ?
私、やきもちなんて焼いていない。
―――うん。きっとそうだ。
でも、なんで私、悠理君が他の女の子と話しているのを見ただけで、こんなに腹立たしく思うんだろう。
わからないからかもしれない。
不思議と、羽山の言葉が綾乃の頭を離れなかった。
お昼
綾乃の機嫌は上々だった。
綾乃、水瀬、美奈子の三人で久々の食事がとれたから。
会話も花が咲き、朝までの気分を綾乃はすっかり忘れていた。
「やっほぉ!美奈子ちゃぁん!」
「きゃっ!」
水瀬手作りのお茶とデザートを食べている時、美奈子に後ろから抱きついてきたのは未亜だった。
「ねねねねね。聞いた聞いた?深泥沼の話!」
「はぁ?怪談話にはまだ早いわよ?」
「深泥沼って、高田神社の近くの?」
「そう!あ、水瀬君、鳴瀬さんとの半同棲生活についてあとで聞くから逃げないでね」
「……へ?」
「昨日ね、沼で死体が上がったんだって」
「同棲って、何?」
「一緒に住むってこと。未亜、死体があがったって?」
「そ。でね?昨晩、女の亡霊に襲われたって近くの交番に飛び込んできた人がいてね、駆けつけた警官がさ。すごい悲鳴聞いたんだって」
「僕が鳴瀬さんと暮らしているってこと?」
「調べてみたら死体があったってこと?うーん、ちょっと不純なニュアンスで暮らしているってことからね」
「そそそそ。その時は何も見つからなかったんだけど、今朝になってもう一度調べたら出てきたって」
「不純なニュアンスって、何?」
「犠牲者、不純異性交遊に近い意味」
「うん。なんか浮浪者らしいけどね。死体、すごいことになってたらしいよ?」
「不純異性交遊って、何?」
「すごいこと、って?おこちゃまにはわかんないこと」
「犠牲者で、すごいことで―――お子ちゃまって僕のことかな。僕にはわかんないことなの?」
「あーもうっ!二人して同時に声かけてくるなっ!ワケわかんなくなってきたじゃない!」
「だってぇ」
「わかんないんだもん」
「じゃ、まず水瀬君、鳴瀬さん家には何しにいっているの?」
「今度の夏祭りの準備。鳴瀬さんと二人で舞やるから。その練習」
「夏祭り?かなり先じゃない」
「舞とかの準備は今くらいからだよ。僕も三幕やるし」
「出来るの?」
「うん。長野じゃよくやっていた―――でも」
「でも?」
「ヘンなんだよ?僕、なんで巫女装束で舞をやらされるんだろう」
放課後 明光学園某所
誰にいない部屋の中、テーブルをはさんで座る二人の女性がいた。
「えー?面倒くさいよぉ」
「―――どうしても、引き受けてくれませんか?」
「う〜ん。あのね?近くにいるから、逆に気づかないかもしれないんだけどさぁ。かなり警戒厳しいんだよねぇ……」
「これでも?」
ポンッとテーブルの上に置かれたのは、銀行の封が切られていない一万円札の束―――。
「わ、わわわわっ!!」
女の目の色が変わり、手が札束に届く一歩手前で、出した方の女の手がそれをさらう。
「あくまで成功報酬です。しくじったらないものと思ってください」
「おっけーっ!ま、この未亜ちゃんに任せてよ!ね?綾乃ちゃん」
「はい(^^)」
高田神社社務所
「う〜ん」
「ど、どう?」
広げられた巻物を前に、水瀬がうなる。
巻物を夾んで、向かいにはそれを心配そうに見つめる清花と、その父、そして、何故か側に未亜がいた。
「……確かに封印だね。こりゃ、ちょっと厄介だね……」
「どういうこと?」
「巻物に残っている魔素はかなり強いから、かなりの妖魔か魔族が封印されていたのは確かなんだけど、でも、この感覚、何かひっかかるんだ」
「じ、じゃあやっぱり」
「鳴瀬さんの失敗じゃないよ。封印は劣化ひどすぎるから、放っておいても、いずれダメになるのは時間の問題。むしろ、封印されていたモノが突然暴れ出すとか、そういうことにならなかったことを喜んだ方がいい」
「……」
「そうだね。清花ちゃんは、単に時間を早めただけってことでしょ?」
「そゆこと」
「で、でも、きっかけになっちゃったのは私なんだし。私に何か出来ることがあれば」
「うん。鳴瀬さん、確か図書委員だよね?じゃ、調べてほしいことがあるんだ」
「え。ええ!調べ物は得意だから!」
「この妖魔、牛鬼っていうらしいんだけど……どんなヤツか調べて」
「牛鬼?」
顔を見合わせる鳴瀬親子だが―――。
「それならすぐわかるわ」と清花。
「へ?」
「あのね?ウチのご先祖様」
「……」
今度は思わず顔を見合わせたのが水瀬と未亜。
「……あの」
「どういう、こと?」
「あ、うちってね?元は京都の奥、貴船ってわかるかな。貴船神社。あそこの社家の血をひいててね。元々は「舌(ぜつ)」て姓なの。珍しいでしょ?」
「うん」
「した?」
「そう。―――えっとね?舌家のご先祖様が書いた本によると、貴船の大神が「天下万民救済のために」天上界から貴船山中腹の鏡岩に御降臨された時、そのお供をしたのが、牛鬼だってされてるのね?
私も知ったときは驚いたけど、別な説では、この牛鬼が此花開耶姫だっていうのよ?あの美人で有名な神様が、何で鬼っていわれるのかわかんないけどね。
でね?ところが、この牛鬼、すっごいおしゃべりで、しゃべっちゃいけない神界の秘め事の一部始終を全部、暴露しちゃったのね?
で、神様に怒られてその舌を八つ裂きにされて、貴船を追い出されたのよ。
追い出されてからは、近くで五鬼の首魁――まぁ、グレちゃったんだけど、貴船が恋しくて、こっそり戻って隠れてたらね?ま、可哀想だってわけで、神様に罪を赦されたの」
「じゃ、結構イイ奴じゃん」
未亜は昔話を聞く子供のように熱心に清花の話に耳を傾けていた。
「まぁ、許されてから、子孫にも、自分が何で貴船を追われたか戒めるために、舌って名乗ったそうよ?」
「なんか、ストレートな人たちだね?」
「舌というものは、善用すれば理を弁じ、物を格し、道を講じ、和を謀るが、もしこれを悪用すれば、初代の如く秘を発き、密を洩らし、神を犯し、聖を汚すといってな」
清花の父が初めて口を開いた。
「口は災いの元ってことだよね」
チラリと未亜を見る水瀬と、そっぽをむく未亜。
「私はいつも真実を追求しています!」
「口じゃ、なんとでも言えるもんね」
「ううっ……」
「まぁまぁ。で、舌家のご先祖様がさっきいった通り牛鬼ってわけ。でも、一応、神様なんだよ?」
「じゃ、清花ちゃんも神様の血を引いているんだ!すごい!」
「そ、そんなんじゃ……」
「でも、なんで神様の子孫なのに、牛鬼なんて怖い名前で呼ばれるの?」
「初代から数代、代を重ねるまで、確か四代目までかな?姿が、ね」
「?」
「―――人じゃなくて、鬼だったって」
「あぁ。それで」
「でもさ。水瀬君。ヘンだよ。それ」
「うん」頷く水瀬と、きょとんとする清花。
「何が?」
「だってさ。よく考えて?牛鬼って、清花ちゃん達のご先祖様のことだよね?それが、なんで封印されているの?」
「そう。そこなんだよね。由来書きでもあればいいんだけど」
うーん。と、広げた巻物を前に考える水瀬。
見つめる巻物は、時の流れのせいで真っ黄色に変色していた。
ただ、端の部分に「牛鬼」とだけかろうじて判別できる墨の色しか目立つ物は何もない。
「……鬼、か」
「土も木も我が大君の国なればいづくか鬼の栖なるらん。だがな」
腕を組んで思案にくれていた清花の父が、苦々しいという顔で水瀬に言った。
「とにかく、水瀬君、この件、頼まれてもらえないか?」
「退治、でいいんですね?」
「ああ。報酬は……」
チラリと清花を見る父。
「―――清花でいいか?」
「お父さん!」
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