第4話

「中学2年の後半かな、突然人の気持ちが読めるようになったんだ」

 夏月は語り始めた。

「そん時は能天気に喜んでたな〜漫画の主人公みたいじゃん?でもさ、あんまいいことじゃなかったんだよ。気づいたんだけど、俺が読めるのはマイナスの気持ちばっかだった。読めるっていうのもちょっと違くて、他人の感情に呑まれる、みたいな感じ。最初は、触った人の感情しかわからなかったから、人から距離を取るようにしてた。そしたらますます酷くなって、教室にいるだけでクラスの奴の嫌な気持ちが頭ん中でぐるぐる回って、じっとしてられなかった。だから引きこもってたわけ、一年間。いやまじで、人間不信。辛かったなあ〜だって部活も辞めたんだぜ〜小学校からそこそこ頑張ってたのにさあ」

 頬杖をついて管を巻く姿が居酒屋のおっさんのようだ。まったく荒唐無稽な話だけど、今は聞き流すしかないと思い、無難な相槌を打つ。

「何部だったの」

「バスケ。いいけどね。他にやりたいこともできたから。そんで、一生こんなのはやだなーと思って、頑張ってベンキョーしたんだよ。だって嫌じゃん、フツーに。こんな訳わからん現象で俺の青春を棒に振ってたまるかと思ったね。高校行ったら変わんないかなーと思ってさ、まあ根拠は何もなかったわけだけど、なんも拠り所がないよりマシだろ?でもさー、ダメだったわ。電車。死ぬかと思った。受験生の闇舐めてたわ」

「確かに、なんかフラフラしてる奴がいるなと思ったよ」

 僕は頷いて数ヶ月前の記憶を遡る。出入り口付近の手すりにしがみついて震えている不審な人物。電車はそこまで混んでいなかったから余計目立った。

「あの時の恩返しがしたい、みたいな話?」

 だとしたらすごく律儀だ。誰だって近くにいたら、思わず手が出てしまっただろう。

 夏月は静かに首を振った。

「あん時、すげえヒヤヒヤしたんだよ。だって、ちょっと離れたとこにいる奴の感情に当てられて参ってんのに、直で触られたら、負の感情に呑まれて死ぬ!と思った。でも、」

 大丈夫?と僕はきいたかも知れなかった。あの時彼は、具合が悪いと言うよりは、驚いた顔をしていた。ぽかんとした顔のまま頷いたので、そのまま放っておいた気がする。ちょうど駅に着いて、受験生はぞろぞろと降車したのだった。

「あん時、お前に手掴まれたら、頭の中の騒音がピタッと止んだ」

 カラッと音がしてグラスの中の氷が崩れた。

「一瞬何が起きたかわかんなかった。おかげで電車乗り過ごすとこだった。ワンチャン別室で受験かなとか考えてたけど、余裕だった。普通に大勢いる会場でテスト受けたし、めっちゃ集中できた。それから他人の気持ちが聞こえることはなくなったよ。でも、なんでなんだろうって考えたら、どう考えたって、きっかけはお前に触ったからなんだよな。チラッと見えた受験票の名前覚えてて、学校行ったらなんか同じクラスだし、不登校なってるし、こりゃもしかして俺の能力がうつっちゃったんじゃないかな、と思ったりして。だとしたら申し訳ないなと思って、探してたんだよ」

 ちらりと上目遣いで見られる。

「実際、どうなん。なんで学校来ないの」

 僕は無意識にグラスを掴んでいた。グラスの周りを結露が覆っていて、手のひらが濡れた。

「なるほどね」

 僕は質問には答えず、ポケットからハンカチを出して手を拭う。

「君の深夜徘徊の理由はわかった。変なとこに労力を使う」

「いや!変でも、俺にはチョー大事だから!」

 キリッと背筋を伸ばして彼は言う。

「俺、人の気持ちがきこえてたとき、なんで俺の気持ちは誰にもきこえないんだろうって何度も思った。助けてほしかった。もしそういう気持ちを誰かに移しちゃったんなら、助けないといけない気がする」

 ふうん、と相槌をうった。

「善人だな、君」

「そういうんじゃないけど」

「別に、ほっとけばいいんじゃないか。さんざん君を苦しめてきた第三者のことなんてさ。わざわざ首を突っ込みにくるなんて、なんていうかすごいば……お人好しだ。そして僕は君が嫌いだ」

「なんで?!やっぱ能力移って……?」

「いや、ふつうに人間として苦手」

「人間として苦手?!」

 愕然としている彼を置いて、さっさと僕は立ち上がった。グラスを結露が円形に囲んでいる。

「麦茶ごちそうさま」

「飲んでねえじゃん!」

「お邪魔しました。もうふたたびお目にかかりません」

「女生徒か!」

 玄関に向かいながら、この文言を知ってることを少し意外に思った。

「じゃなくて、その、行くところあんの?」

「君に関係ないよね」

 僕は振り返って、同じ高さにある目線と対峙した。

「君の能力は僕に移ってない。幸か不幸かね。他を当たってくれ」

 それじゃ。と言い捨てて逃げるように玄関を出た。後ろで「ちょ、待てよ!」と木村拓哉みたいな台詞が聞こえたけど、折よく電話が鳴り、彼が気を取られている隙に僕は階段を全力疾走した。「夜分にすみません、セレブのみなさん……」と思いながら。

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