第11話 絶句

「あっ!? 兎獣人ラビリアン獣闘士ビスタと、その訓練士トレーナーさんがこのヴェセットに来た、って事は……」


「もしかしてアレかい? 観光とかじゃなくて、あの……20年前の……」



 俺たちを取り囲んでいた客の数人が、何やら眉を顰めながら聞いてきた。

 どうやらヴェセットに住む『伝説の訓練士トレーナー』に関しては、お客さんたちも知っているようだ。

 ここからどうやって探そうかと思っていた俺としては、大変ありがたい。

 誰か情報を知っているようであれば、訪ねてしまうのが良いだろう。



「はい、そうです。ちょっと前に、この街に伝説の獣闘士グラディオビスタ『ファルル』の訓練士トレーナーさんが居るって聞いたものですから、ちょっとお会いしてみたくて」



 と、理由を話すにあたり俺は笑顔で答えたはずなのだが……


 俺が話した途端、その場が凍ってしまったかのように静まりかえった。

 あまりに突然の変貌に、俺は目を疑ってしまう程だった。



「え………………」



 な、何だ?

 様子がおかしい。

 俺たちを見ている周囲の人たちの顔が、みるみるうちに暗くなってしまった。

 先ほどまでピノラと和気藹々と話してくれていたファンの方まで、難しそうな顔をしている。

 どうしたと言うのだろう。

 な、何かマズい事を言ってしまったのだろうか?


 などと狼狽えていると、カフェの店主が一歩前に進み出て口を開いた。



「……そうだったのか。だが、折角だけど訓練士トレーナーさん、悪いこたぁ言わねぇ。『あいつ』に会うなんざ時間の無駄ってもんだ、諦めて帰った方がいい」


「え、え??」


「あぁ、店主の言う通りだよ。あんなヤツに会ったところで、アドバイスなんか貰える訳が無ぇよ」


「ヘタすりゃ金の無心をされるぞ。百害あって一利無しとはヤツの事を指す言葉だぜ!」


「あんなの出会っちゃったら、可愛いピノラちゃんが毒されちゃうわよ! ねぇ訓練士トレーナーさん、そんなのは止めてあげてよ!」



 い、一体何がどうなっているのか。

 俺たちの周囲にいるヴェセットの人々が、一斉に口を揃えて否定し始めた。

 あれほどフレンドリーだった人たちが豹変したかのようで、ピノラも少しばかり怯えている。



「ト、トレーナーっ……」


「あ、あぁ……皆さん、すみません。私はこの街の事情をあまり知らなくて……どういった事なのか、教えて頂けませんか?」


「どうもこうも……『シュトル』の奴が他人ひとに尊敬されていたのは、それこそ20年前までの話さ。あいつは確かに立派な訓練士トレーナーだったんだろうが……今じゃ見る影も無えくらいに荒んでるんだ」



 店主がぼそりと呟くと、あたりにいる客が残らず全員『うんうん』と頷く。

 


「全くだ、『伝説の訓練士トレーナー』なんて呼び名は、今のあいつにゃ相応しくない」


「あれだけの実績を残しながら、今じゃ手元に何一つ残っていないんだからなぁ」


「当然でしょ? あんなだらしない生活してたら、ああなって当たり前よ……」



 あぁ、そうだ。

 思い出した。

 20年前に兎獣人ラビリアンのファルルと共に闘技会グラディアを制覇した訓練士トレーナーは、『シュトル』という名前だった。

 俺がその名前を最後に見たのは、協会認定の訓練士トレーナーになるため試験に向けた勉学に励んでいた頃だ。

 新聞の一角に名前とともにこのヴェセットに住んでいる旨が書かれていたのを思い出したため、今回この街を訪れる事になったのだ。

 だが、出発前に改めて情報を調べようとしたのだが……それらしい情報が何一つ無かった。


 今でも活躍していたり、または後進の育成に関わっているのであれば名前くらいは知られているはずだったのだが、どの新聞を見ても名前すら見かけない。

 身を隠しているのか、はたまた不幸にもお亡くなりになってしまったのか……。

 仕方なく、前情報無しで出発し、ここヴェセットで情報収集をしようと思っていたのだが──────どうやら、問題発生のようだ。



「あ、あの……そんなに酷いんですか? その、シュトルさんって……」


「あぁ、酷い」

「酷いなんてモンじゃねえよ」

「酷すぎるわね」

「最悪だよ」


「うわぁ………………」



 一瞬で、否定の言語の嵐。

 絶句で返す俺。

 思わず、アップルケーキを握りしめているピノラを顔を見合わせてしまった。



 と、その時…………



「おい、噂をすれば、だ。奴が来たぜ」



 ふと、カフェの反対側の道を見ていた客の一人が呟いた。

 言葉のあと、そこにいた俺たちを除く全員が道の方を見る。

 その目は、まるで……汚らしいものを見るかのような目だ。


 恐る恐る、人々の隙間から覗き込んだ俺は、直後に目を疑ってしまった。



 ヴェセットの人々が見る、視線の先にいたのは……



「え…………」



 土や垢で真っ黒になった白いシャツに、袖や裾がボロボロになった灰色の外套コート

 膝に何重にも当て布がされた見窄らしいズボンを履いており、靴には靴紐が無い。

 伸びたい放題の髪と髭も灰色で、何日も洗っていないのが一眼で解るほどに乱れている。

 そして酒に焼かれた赤ら顔から、虚ろな目が周囲の様子を見渡していた。



「あれが、お前さんの探してる『伝説の訓練士トレーナー』、シュトルだよ」


「え、えええええ……!?」



 あまりの衝撃に、大声を出してしまった。

 何かの冗談だろうか。

 そこに居たのは、間違いなく浮浪者の類だ。

 背が低く、猫背で、それでいて中肉なのが、何とも言い表し難い不憫さを漂わせている。


 い、いやいやいや……冷静になれ、そんな訳あるか。

 20年も前とは言え、仮にも当時の闘技会グラディアで頂点まで上り詰めた訓練士トレーナーのはずだ。

 数度の優勝があったのなら、それだけで一般市民であれば一生不自由なく暮らしていけるだけの賞金だって入る。

 あんな、見るからに一文無しのような状態になる、はずは……無い、と思うのだが…………。


 ────────などと俺が呆然と、ピノラはきょとんと、そしてヴェセットの人々が嫌悪を含めた視線で見つめている先で、シュトル氏と思われる人物はとんでもない行動に出た。

 俺たちが降りた馬車駅のすぐ横、一件のパン屋の前まで来ると、なんといきなり大声で怒鳴り始めたのだ。



「……おぉい! パンをくれ! あるだろう、切れ端がよ! 昨日の売れ残りでも何でもいい、出してくれ!」



 …………耳を疑う。

 間違いない、あれは浮浪者だ。

 まわりの人たちも、小さく首を横に振りながら俯いてしまっている。



「トレーナー、あの人、おなか空いてるの?」


「え!? あ、あぁ、そ……そう、みたいだね……」



 どうやら、ピノラはまだ彼がただ単に空腹で機嫌が悪いのだと思っているようだ。

 汚物を見るかのような人々の視線の中、1人だけ心配そうにシュトルさんを見つめている。

 ピノラに何と説明すれば良いのやら……。

 混乱しながらも見ていると、怒鳴りつけられたパン屋の勝手口からコック帽を被った男性が出てきた。



「……またアンタか! しつこいな! いい加減、周囲に迷惑をかけてるのを自覚しろ!!」


「おい、そんな説教じみたもんはどうでもいい。残っているパンをくれ、一切れくらいあるだろう?」


「ダメだっ! 何度も言ってるだろ、もう来ないでくれ! こう毎日のように来られちゃ、こっちも迷惑なんだよっ!」


「おいテメェ! 何だその言い方はァ! 俺はかつて闘技会グラディアの頂点に……!」


「その話はもうたくさんだ! こんな事になるなら、最初からアンタにパンの端なんてやるんじゃなかったよ! ほら、さっさと失せろ!」



 コック服に身を包んだパン屋の従業員は、言うが早いかシュトルを突き飛ばした。

 元々酒でふらついていたと思われるシュトルは体勢を立て直すことができず、もつれた足で転倒すると、そのまま後方にあった街路樹に背中を打ちつけた。



「ぐえっ! ……て、てンめぇぇ……! 何しやがる、このクソッタレめ! 願い下げだ! こんな店、とっとと潰れろ!」




 店内へ帰って行くパン屋の従業員の背中に、ありえない程の汚い言葉の限りをぶつけるシュトルさんと思われる人物。


 それを見た俺は、絶句してしまった。

 こ、これは酷い。

 あんまりにも、あんまりだ。

 仮にも一度頂点へと上り詰めた訓練士トレーナーともあろう者が、ここまで落ちぶれられるものなのだろうか。

 これでは……犯罪を犯した人間の末路と変わりないじゃないか。

 そんな考えが頭の片隅に浮かんでしまった俺は、無意識に手で口元を覆っていた。

 

 凄まじすぎる光景を目にして固まっている俺を見て、カフェの店主は口を開いた。



「見ての通りさ。あいつは20年前に獣闘士ビスタを育て、闘技会グラディアで頂点に立った。それは間違いない……だが、その後が酷かった。金を湯水の如く使い、酒に溺れ、勝ち得た名声を使い果たし……ついにはパートナーだった『ファルル』にも愛想を尽かされて逃げられちまった。そして今ではあのザマさ」



 街路樹を蹴飛ばして去ろうとするシュトルを見て、カフェの客たちも嘆きを漏らす。



「20年前は、私たちヴェセットの人たちも彼を誇りにしていたのよ。でも、『あれ』じゃあね……」


「あの時はこのヴェセットの街も大盛り上がりでな、あいつの銅像まで立てようって話まであったんだよ。まぁ…………今じゃそんなモン立てなくて本当に良かったと思うよ」


「あんだけ稼いでいた金を、どこにやっちまったんだか……今では僅かに残った金を握りしめて、毎日この街を徘徊している迷惑なじじいになっちまった。とても見られたもんじゃないね」


「そ、そん、な…………」



 俺は吐き出した言葉とともに、急激に力が抜けて行くのを感じた。

 20年も前に活躍した人物だ、今はもう引退してしまっている事くらいまでは覚悟していた。

 それなら、当時使用していた訓練器具を教えて貰うなり、ピノラの訓練に関するアドバイスを貰うなりできるはずだと。

 そして、不幸にも亡くなってしまっていたのなら、その遺族に交渉して当時の資料を探させて貰おうとまで考えていた。


 だが事態はより最悪だった。

 あんな状態の人間が、まともに話ができるはずがない。

 よしんば会話が出来たとしても、当時の『ファルル』の訓練に関して容易に教えて貰えるなどとは到底思えない。

 あれでは、当時所持していたものは全て売ってしまっているに違いないだろう。

 万が一残っていたとしても、法外な金額ガルドを請求されるに決まっている。


 あれでは、道端で凍死するのを待って、その後所持品を漁ったほうがいいんじゃないか……?

 なんて、ろくでもない考えが頭をぎってしまったため、俺は慌てて首を激しく振り乱した。

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