十二月五日 その二

 自分の生まれがこの時代から三百年先だと言ったまま、二人の反応が怖くなって、顔を挙げられないでいた。額が畳につくほどにしてじっとしている。


「三百年……のう」

 上野介様が他人ひとごとのような声でそらんじた。


「左兵衛殿、いかが思う」

「さても……しかし、このむつみと申す女子おなご、いたってさかしき者と見受けます。いたづらに人心を惑わすが如きことは申さぬかと」

「左様か……」


 しばらく沈黙したままの二人を前に、私は顔を伏せたままじっと耐える。やがて、上野介様の声がした。

「して、如何様いかようにして、この地に参った?」

 まじめに返され、思わず顔を挙げる。

「そ、それが、私にも分かりません。気づいたら、お庭に倒れておりましたので」


「なんぞ、あかしとなるものはあるか?」

 今度は、若殿の左兵衛様が言った。

「証し……」

「うむ。このままではにわかに信ずるにあたわず、なんぞ証しとなるものはないか?」

「まずは、私が来ておりましたあの装束。元禄の世にはございませぬはず」

「うむ、それは確かに。面妖なものにございました。父上」

 左兵衛様が頷いて上野介様に説明する。


「それと、これを」

 私は、胸のあわせに忍ばせていたスマートフォンを取り出した。バッテリーはまだ八十パーセント。どうせここではインターネットもつながらないから、中に保存されているものしか見ることはできない。小まめに消せばしばらく持つだろう。


 お二人に向けてそろそろと差し出すと、初めて見るおかしな板を、お二人が首を伸ばしてのぞき込む。

 私は、指で触って保存されていたいくつかの画像を見せた。

 

「こ、これは! なんと……どのような仕掛けだ⁉」

 案の定、左兵衛様はびっくりした。上野介様も目を見開いている。


「画像、写真と申します」

「がぞう? しゃしん?」

「はい。本物そっくり……あ、えと、見まごうばかりに細かな絵とでも申せばよいでしょうか」

「これが、絵であると? どのようにして描く?」

「本のひと時で、この仕掛けが描きます」

 そうは言っても、お二人とももちろん信じられない様子だ。

「よ、よろしければ、今ここで」

「描けると申すか?」

「はい」


 お二人がしばらく顔を見合わせていた。江戸時代の人にとってみれば、この世のものではない摩訶不思議、それこそ妖術とでも言われそうなものだ。

 やがて、左兵衛様が上野介様の意を汲んだというような顔でこちらを向いた。ごくりとつばを飲み込む。

「良いぞ。許す。なんぞ描いてみよ」


 私は一礼すると、床の間の花瓶に挿してあった椿の花にスマホを向けた。良い具合に角度を合わせてボタンに触れる。パシャっという音に、お二人の眉がぴくっと動いた。

 画像を確認すると、ずりずりと這いよって写した画像を見せる。

 お二人が驚いたようにスマホの画像と本物の椿とを見比べる。

「ふうむ」

 唸ったまま、お二人とも黙り込んだ。


 しばらくして、上野介様が口をひらく。

「そなたの生くる世には、斯様かようなものをみな持ちおるのか?」

「あ、はい。大方の者が持ち合わせております」

「この日の本にて作られしものか?」

「いえ、元は外国……南蛮縁なんばんゆかりのものでしたが、やがてこの国でも作られるようになりました」

「鉄砲と同じにございますな」

 左兵衛様が頷きながら上野介様の顔を見る。上野介様は顎を撫でながら何やら思案顔だったが、納得したように私の顔を見て言った。


「むつみとやら。して、そなたはこれから如何なることを所望しょもうか?」


「そ、それは……父母も案じておることと思いますし、元の世に戻りたいと」

「左様であろうな……よしよし、しばし当家にて預かろう」

「よろしいのでございますか!」


 上野介様がふっと笑った。

「もとより、当家の庭に参ったのであれば、この方に居らねば戻れぬことになるやも知れぬ。しばしここに居るが良かろう」

「あ、ありがとうございます!」

 私は、額を畳にこすりつけるようにしてお礼を言った。とりあえずここに置いてもらえるなら、何とかして戻る方法が見つかるかもしれない。


 その頭の上で、左兵衛様のちょっと心配げな声がした。

「しかし、いかがいたしましょう? 母上をはじめ御女中はみなご実家に渡らせましたゆえ、このままでは百数十足ひゃくすうじったりの男の中に女が独り。差し障りがございませぬか?」

 そうっと顔を挙げると、困惑気な左兵衛様の前で上野介様はしばらく黙っていたが、扇子で手のひらをポンポンと叩くと、妙案が浮かんだような顔で左兵衛様を見た。


「左兵衛殿、そちのそばに置くがよい。さすれば、誰も手は出さぬであろう」


「は? ち、父上、その……それがしの傍とは?」

 左兵衛様が慌てて訊き返す。私も目を丸くした。この時代に女を傍に置くっていったら、それ、愛人ってことだ。

 でも、上野介様は、小さく舌打ちすると諭すように言った。

「案ずるな。深き意のあることではない。屋敷の者どもには左様に見せろと言うておる」

「あ……そういうことにて」

 上野介様が呆れ顔をする。

「本に世馴よなれぬ無粋者じゃの。見よ、むつみとやらが顔を赤うしておるではないか」


「されば、晴れて屋敷の者にも下知げちせねばならぬな。むつみ殿、万事つつがなく取り計らう。案ずることはないぞ」

「あ、ありがとうございます」


「うむ。では委細はこちらでしつらえるによって、そなたは部屋へ戻れ」

「は、はい」


 そう言われて立ち上がろうとした私の身体が、グラグラと揺れ出す。

「うむ? いかがいたした」

「あ、足が……しびれて」

 感覚の無くなった足を前に出そうとしたとたん、どたーっ! と豪快にひっくり返る。

 着物の裾がめくれて膝こぞうまで丸出し。思わず、きゃっ、と叫んで慌てて隠した。


 そんな私を見て、若殿の左兵衛様がぷっとふき出す。

 ご隠居の上野介様も一緒に、名門旗本の身にも関わらず、二人はしばらくゲラゲラと笑っていた。

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