船出

 トンファーを腰に戻し、インカムに右手をあてる。

「制圧完了。ノラ、完璧だ。サイチ、ホセさん、迎えに来てくれ」

 仲間にそう声をかけながら、俺は未だ、薄く煙幕が残っている護送車の中へと入っていった。

 煙幕を払うように腕を振り、目を凝らして瞬く。一番奥に座る人影が見える。

 そこにいたのは、紛れもないヴィンスの姿。

 彼は両手両足に見たこともない器具を装着され、ぐったりとしていた。その器具からは、絶えず赤い血が滴っている。

「ヴィンス……!」

 俺は胸の奥から湧いてくる、張り裂けそうな想いのまま彼に近寄り、呼びかける。護送車の壁によりかかり、俯いていた彼が、俺の声に反応を示した。ゆっくりと顔を上げ、焦点の合わない瞳で俺を見る。

「……ユージ? どうして」

 ひどく掠れた声で問われ、また切なくなる。

「助けに来た。俺と一緒に逃げよう、ヴィンス」

 彼自身の血に汚れた手に手を重ね、優しく握り込む。椅子に座っている彼に視線をあわせると、美しい銀の瞳が、驚くように瞬く。

ぽろぽろと透明な涙が溢れ出した。

 その万感の想いが籠もった泣き顔に、俺もつられて泣きそうになる。腹の奥に力を入れて、ぐっと堪えた。

 車の走行音が近づいてきて振り向く。ホセが運転している俺の車が見えた。俺は再度ヴィンスの様子を見て少し考えた後、彼の体を抱え上げることにした。

 彼の手足に嵌っている器具は、手錠のようなものではなくて、彼の体の中に埋め込む形で装着されているように見えた。この状態で歩くのは不可能だろう。

 極力痛みを与えないようにしながら横抱きにして、護送車を降りる。

「ああ、ヴィンスさん……っ」

 そんな俺とヴィンスの姿に、藪から出て近づいてきていたノラが、思わずといった様子で声を上げる。彼女は俺のホルスターを身に着けており、拳銃もそこに収まっている。

 使っていたのは拳銃なので狙撃とはまた違うが、俺を射撃で援護していたのは、もちろん他でもない彼女だ。信じてはいたが、射撃試験の点数、歴代一位と豪語していただけはあった。

 車から降りてきたホセが、俺の肩を軽く叩いた。

「ツキ、良くやった。その転がってんのがキャプターだな」

 「はい」と俺は答えながら、顎先で、後ろドアに刺したままにしていた鍵を示す。

「んじゃあ、キャプターと刑務官は、皆この護送車の中に入れて鍵閉めとくか」

 ホセの号令で、ノラとサイチが動き出した。

俺は慎重に、車の後部座席にヴィンスを座らせ、横に座る。

「ヴィンス、この手足の装置の外し方はわかるか?」

「ああ……簡単な構造だよ。体の中に入れる形のトラバサミみたいなものだ……」

 ぐったりしたままのヴィンスの説明に、俺は眉を寄せる。神は不死身だが、肉体が傷ついた時、その損傷度合いによって、修復に時間がかかると言っていた。そして、修復している間はそちらに力が奪われるとも。

 つまり、神に攻撃することが可能なキャプターと、体を延々に傷つけ続ける、この超アナログな装置が、神を捕らえる技術の中身という訳だ。何とも原始的で、非人道的と言わざるを得ない。

「早い所逃げるか」

 エル達を護送車に乗せ終えたようで、後部ドアが閉められる。ホセは鍵をかけると、彼らが持っていた通信機諸共、鍵の束を傍らの藪に無造作に投げ入れた。藪に置いていたスパイクストリップも回収し、全員が車へと戻ってくる。

「ヴィンスの手足の装置を外したいんだ。サイチ、後部座席で手を貸してくれ」

 声をかけると、サイチが頷いて後部座席の、俺のさらに後ろの席に乗り込んだ。ホセが運転席、ノラが助手席に入ってドアを閉めると、素早くUターンしてその場を去る。

 振り向けば、その場に止まったままの護送車が遠ざかっていくのが見える。

 彼らの意識が戻っても、あの状況では何もできまい。さらにこの道を使用する車は少ないし、仮に通報されても、本部や刑務所から彼らの救出が行われるのは、相当先になるだろう。彼らをここで足止めしている間に、できるだけ遠くへ逃げなければならない。

 ホセが運転し、ミミサキ市へ戻る車内で、俺とサイチは二人がかりで、ヴィンスにつけられた装置を外していく。

 ヴィンスの説明の通り、装置はトラバサミの片側が手足を貫通する形で刺さっているような状態だった。外側から肌を傷つけ続けるトラバサミを開き、その貫通している方は慎重に引き抜かねばならない。

 抜いた血まみれの装置を見ると、U字になった箇所に、鋸のようなギザギザの刃がついている。これを抜かれる時の痛みも相当のものだっただろうが、ヴィンスは歯を食いしばって、一言も声を発さなかった。

「よっし。全部外せたぞ。ヴィンス大丈夫か?」

 真っ青な顔をして、シートに頭を押し付けていたヴィンスに呼びかけると、彼は俺に向けて、薄く笑みを浮かべ頷く。

「ありがとう……でもこれで、君たちまで……政府に追われることに、なってしまったよ」

 口を開いたヴィンスが、弱々しい声で、真っ先に俺達の心配をする。その、いつ何時も他人を優先する姿勢に、俺は体から力を抜いて笑ってしまう。

「心配しなさんな、神様。ちなみに自己紹介しとくが、俺はホセだ」

「俺……は、サイチ。です」

 ホセとサイチが順番に名乗る。歯切れの悪いサイチの方は、ヴィンスが神という存在であることに、敬えば良いのか、いつも通りの自分でいくのか、迷った結果の態度だろう。

「ノラの親父さん伝で、ニシキ課長への根回しは済んでいるし、ノラとサイチは、今日は書類上、ミミサキ署内で勤務していることになっている。

 ホセさんのアリバイも工作済みだ。使った器具は痕跡を消して戻しておくし、ノラが使った拳銃は俺のものだ。現場に残っている弾丸の線状痕を調べても、犯人は俺しか出てこない。大丈夫だ」

 これは周到に練り上げた作戦なのだと説明しながら、俺はヴィンスの手足の傷に、包帯を巻いていく。人にするような治療が神にも効くかはわからないが、傷を晒したままよりかは良いだろう。

「でも、ユージは」

 問いかけられ、手を止めて顔を上げる。俺は笑う。

「一緒に逃げようって、言っただろ」

 胸の中にあるのは、ヴィンスを取り戻せたという充足感と、やりきった達成感だけ。後悔など、微塵もなかった。

 形の良い眉を寄せ、少し困ったように笑ったヴィンスの表情は、いったいどういう感情から来たものだったのか、俺には詳しいところはわからない。けれども、その先ヴィンスは何も言わず、ただ頷いた。

 車は一路、ミミサキ市のショド岬に程近い、港へと向かう。


 少しずつ陽が傾いてきた商港には、ビルが海に浮かんでいるような感覚の、巨大な船が停泊していた。

 その船の前で元気よく手を振る親子の姿が見えて、俺は思わず目を細める。無理な頼みをしてしまったが、その様子を見るに、嫌々引き受けたという訳ではないらしい。

 ホセが車をその子の前に止めると、全員が各々の荷物を持って降りる。ヴィンスは車の中でだいぶ回復が進んだようで、彼もまた自力で車から降りた。

「ヴィンスさん、ご無事でよかったです!」

 そんなヴィンスの姿に、子供が駆け寄り、はしゃいだ声をあげ抱きつく。彼はマキノ・トイ。誘拐事件の被害者であり、俺が最後に事情聴取を行った子だ。

「トイ、どうして君がここに」

 ヴィンスも誘拐した子供のことは全て憶えているのか、驚いた表情をしながらも、彼のことを抱き留めていた。

「ノラさんに、協力してほしいって言われて。船はもう出港できますよ。ね、お母さん」

 トイが振り向くと、トイと一緒に俺達を待っていた、彼の母親が頷いた。

「あそこの搬入口から車ごとお入りください。すぐに出港いたします。船上でのことは、船長によろしく伝えておりますので、ご心配なさらないでくださいね」

 俺は、困惑顔のヴィンスの肩を叩く。

「トイはお前と暮らした日々のこと、帰った後に、親に全部話していたんだ。それで、今回協力してくれるって。この船はアルン国へ行くらしい。しばらくは、俺とそこで暮らそう」

 トイの親は貿易会社を経営する社長だ。この巨大な船は自動車運搬船で、ヤマ国の中古車を、アルン国に輸出するために航行する。そこに車ごと、俺とヴィンスも乗せてもらう手はずを整えていたのだ。

 アルン国はヤマ国と比べれば、まだまだ発展途上の国だが、その特異な気象環境を活かし、ソーラーと風力による発電を行っている。

情報統制や一般的な観光客を受け入れない等の閉鎖的な政策を行っており、地図的にもかなり離れているので、俺はなんとなく不審感を抱いていた国だった。だがしかし、実は宗教大国であるアルン国は神の存在を認めており、その亡命も受け入れているらしい。

 この情報は、全て神の通信を傍受していたホセが教えてくれたものだ。もちろん、ヴィンスもアルン国のことは知っているだろう。

「ユージさん、これを」

 ノラが俺にホルスターごと、拳銃を差し出してくる。それを受け取り、身につけながら、俺は彼女の顔を正面からじっと見つめた。もう二度と、会えないかも知れない。

「ノラ、色々と本当にありがとう」

「お礼を言うのは私の方です。世界を諦めさせないでくださって、ありがとうございました。私……ユージさんの分まで、刑事の仕事、頑張りますから」

 後悔は何一つない。けれど、込み上げて来る想いに、思わず目頭が熱くなる。

 口を開いたら声が震えてしまいそうな予感がして、俺は右腕を上げた。額に、伸ばした掌を添え、敬礼を送る。

 ノラもまた、いつもは何の色も浮かべていない表情を歪ませながら、綺麗な敬礼をする。

「ツキ、戻さなきゃならん荷物は全て下ろした。準備は済んだ、早い所出ろ」

 ホセに声をかけられ、俺は頷く。

「ヴィンス、車の中へ」

「皆、ありがとう」

 万感の想いが籠もった声でそう告げるヴィンスを促し、俺は運転席に座る。

 エンジンをかけ、アクセルを踏む。

 仲間と、夢と、様々な感情をヤマ国に残して。俺とヴィンスは、大きく開いた船の搬入口へと入っていく。

 バックミラーに、港の入口に沿って、シィカスの白い花が咲いているのが見えた。

 もう、春が来る。

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