ニシキ課長
次の日、俺はニシキ課長に別室へ呼び出されていた。
ナミへの取り調べは昨日の夜中まで続いたため、目の奥がごろつく感じで、眠い。そして、先程からニシキ課長がくどくどと説教を垂れているのも、もちろん昨日のナミへの取り調べが原因だ。
「それでですね、本庁さん」
「ユージです」
「本庁さん」と呼ばれる度に、自分の名前へ訂正をしているが、どうも改める気配がない。その呼びかけは嫌味のつもりだろうという理解はしているが、俺も訂正することをやめない。
「証拠もないのに当署の警察官を犯人扱いとは、これは問題ですよ」
「証拠はあります。犯人からかかってきた電話の声が、彼女と合致したんですから」
「その電話がかかってきた時、彼女は署内で立派に勤務中だったというじゃないですか」
「電話の音声は、事前に収録されたものである可能性が高いので、アリバイにはなりません」
「そんな収録はしていないと、彼女は否定しているんですよね」
「まあ、犯人グループの一味なら、普通はやりましたなんて認めませんよね」
「総務課から刑事課に、苦情が上がって来ているんですよ、不当な捜査だと」
「証拠がある以上、真っ当な捜査です」
小言に対して逐一反論をしていたが、その問答に堪忍袋の緒が切れたのか、突然ニシキ課長が声を荒らげた。
「とにかく、彼女が本当に犯人の仲間だという確証が上がらない限り、彼女に近づくことを禁じます。違反した場合は正式に、本庁に意見を上げさせてもらいますからね、本庁さん」
「……ユージです」
ニシキ課長はもっと穏やかで、やる気のない人物かと思っていたが、頑固なところはあるようだ。ただ俺としても、昨日やった徹底した取り調べで何の手がかりも得られなかった以上、ナミに拘る必要性も感じていない。
深く息を吐きだし、わかりました、と応える。
「よろしく頼みますよ」
ニシキ課長も納得したように頷くので、俺はとっとと捜査に戻ろうと、軽く頭を下げて部屋を出ようとした。その背中に、彼の小さな呟きが届く。
「まったく、しなくても良い捜査で面倒を起こしやがって」
と。咄嗟に燃え上がった苛立ちを腹の奥に収め、俺は何も言わずに部屋を出た。
そこでは、ノラが心配そうな顔をして、俺が出てくるのを待っていた。否、正確にはノラの表情は無のままなのだが、俺にはそう見えた。
「ニシキ課長、何の話でした?」
「……まあ、ナミさんへの取り調べは、これ以上許されないということだけだな。俺もそのつもりはなかったから、問題はない。リリちゃんの通学路を調べに行くぞ」
手短にノラへ説明をして、腕にかけていたグレーのコートを羽織ると、署を後にする。ノラもまた、素直に俺の後に続いた。
はじめてノラを見た時は何の冗談かと思ったが、実際ノラは優秀だ。過去の事件について、望んだ情報をいつでも素早く提供してくれる。
基本的に愛想がなくて、言葉も多い方ではないが、素直な心根は感じる。他の署員のように、俺に対して嫌味を言ってくる訳でもないし、指示には素直に従ってくれる。
俺は、彼女が相棒で良かったと感じていた。
ニシキ課長のせいで足止めを食らってしまった。
昨日も向かったコン家まで車を走らせながら腕時計を確認し、俺は内心で舌打ちする。現在時刻は朝の七時四五分。リリの通学時の街の様子を見るにはギリギリだ。ちらりと助手席を見れば、ノラは相変わらず、両手でシートベルトを握って大人しく座っている。
「昨日取り調べをしたナミさんとは、ノラは仲が良いのか?」
問いかけると、ノラは少し考える様子を見せた。
「お昼を一緒に食べたり、仕事終わりに気になったレストランへ、ごはんに行ったりする程度には。プライベートでの付き合いはほとんどありません」
仕事終わりに飲みに行く、というのではないところに、ノラの年齢を改めて感じる。
「ノラは、ナミさんのことはどう思う? 何か事件に関与していると思うか?」
「いえ、全く」
今度の返事は早かった。
「どうして?」
「彼女は真面目で、金銭感覚はいたって普通ですし、何か大きな買い物をしている様子などもありませんでした。借金をしている様子もありません。もし誘拐事件に何らか関与していたとするなら、身代金の一部でも、彼女の懐に入っていないとおかしいですよね?」
「そうだな」と俺も頷く。
ナミは警察官であるから、警察がこの誘拐事件に対して、熱心に捜査をしていないということが事前にわかっていただろう。そうだとしても、何の見返りもなく、誘拐という一級犯罪に関わるとは思えない。
また昨日の取り調べの様子を見て、俺としても彼女が嘘をついているようには見えなかった。
なら何故、彼女が言った記憶もない彼女の声が、犯人からの電話としてかかってきたのか。謎はいっそう深まった気がする。
車は程なくしてコン家の前に到着した。コン夫妻の了承を得て車を置かせてもらい、リリがいつも使っている通学路をたどるように歩いてみる。
コン家があるのは、閑静な高級住宅街の一角だ。
周囲には子供のいる家庭は多くないらしい。加えて、富裕層というのは一般人とは生活のリズムが違うようだ。朝の通勤通学の時間帯も、そう多くの人が常時いる感じではない。かといって、全く人影がないかといえばそうでもなく、いつ人に出会うかという中で、子供を誘拐するのは難しいように思われた。
住宅街を抜け、角を曲がると正面に森が見えた。軽く山になっているようで、緩やかな坂道が続く。この緑道は、都会の中にあるそれとは違い、本格的な自然を感じる。人通りももちろん、住宅街の中と比べると一気に少なくなる。
「子供を誘拐するとしたら、この辺りが狙い目かもしれないな」
俺の言葉は、傍から聞いていたら物騒極まりないだろうが、こういう捜査は犯人の気持ちになって考えることが重要だ。
「そうですね。この緑道は、リリさんの通う学校の課外活動でも、良く使われるようです。ただ、ここで誘拐するとなると、車での誘拐はしにくくなりますが」
「その通りだ」
周囲の木々に遮られて見通しが効かない。その分人目につかずに事を起こせるが、緑道には歩道しかなく、車が入ってこられる広さはない。
しばし歩みを進めると、森が一度途切れ、その左手に畑が見えた。さらにその向こうに、ぽつんと一軒家が建っている。
畑にかがみ込む人影が見えて、俺は脇道を逸れて、そちらへ近寄っていった。
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