犯人の声

 刑事課はすでに閑散としていた。確かに就業時間は過ぎているものの、ここまでそれを守れている刑事というのも珍しい。

 フロアの奥へと向かい、特殊犯捜査係の、部屋の扉をノックする。短い応答が聞こえたので中へ入ると、相変わらずの部屋の様相だ。ノラは俺に続いて中へ入ってきて、扉を閉めると、その前に所在なさげに立っている。というか、そこ以外に居場所がない。

 振り向いたサイチが俺の顔見て、神妙な表情をしているのだけが、昨日と違った。

「渡した音声データ、解析できたか?」

 問いかけると、サイチは眉を寄せた真剣な表情そのままに、頷いてみせる。

「おお。さすが仕事が早いな」

「そういうのいいから、ちょっとこれ聞いて」

 俺は本心から褒めたが、サイチは心ここにあらずという感じだった。彼はパソコンのマウスを操作し、画面に表示されていた、ソフトの再生ボタンを押す。すると、スピーカーから男の声が流れてきた。

『一〇〇〇万イェロは用意できたか』

 声だけで判断するのは難しいが、あまり若くはなさそうだ。印象としては五〇代くらいの、低めの男性の声。その言葉は間違いなく、昼間犯人が告げてきたものだ。

「これが犯人の加工前の声っていうことか?」

 そうなら、犯人像がかなり絞れる。捜査が一気に前進した気がして、思わず心が騒ぐ。しかし、サイチは相変わらず神妙な表情のまま首を振った。

 再度彼の指が動き、次のオーディオの再生ボタンを押す。

『一〇〇〇万イェロは用意できたか』

 流れてきた音声の、内容や言い方のリズムは同じだが、その声は先程のものとは全く違う。今度は女性の声だった。おそらく若めの、二〇代くらいだろうか。

 何を聞かされているのかと困惑する俺を尻目に、サイチはまた次のオーディオを再生する。

『一〇〇〇万イェロは用意できたか』

 台詞は同じで、これもまた声が違う。先程よりも、もっと若い女の子の声。子供らしい幼さが残っている。

「サイチ、これはどういうことだ?」

「俺が聞きたいくらいだけど。もらった声のデータを分析したら、八人の人間の声に分けることができた。今流したのは、その一部」

 いまいち理解が及んでいない俺の表情を見て、サイチはさらに言葉を続ける。

「つまり、あの声はデジタル加工されてああなっていた訳じゃないってこと。実際に八人の声が重なっていたものだったんだよ。この八人の音声には、加工の痕跡が一切なかった。つまり、合成音声でもなければ、ピッチ等がいじられた様子もない、実在する人が話したままの声ってこと」

 サイチの言っていることはわかるが、解せない。

「八人が同時に、電話の向こうで話していたということか?」

「そう。それか、事前に収録したものを流していたか」

 サイチの付け足した言葉に頷いた。八人が同時に喋ったという、その声はあまりにも揃いすぎている。即興であそこまで合わせるのは難しいので、事前に収録したものを流したと考える方が納得できる。

 あの電話では、そこまで複雑な会話をした訳ではない。ミオリが問いかけた質問にも答えず、通話は切れてしまった。事前に録音したものでも十分だったはずだ。

「つまり、犯人は八人組のグループだった?」

「可能性はあるけど、こんな子供もいる犯罪グループ? ちなみに声の感じ、成人男性四名、成人女性三名、女児一名っていう構成かな」

 サイチが言いながら、最後に流した子供の声を、もう一度再生する。確かに常識では考えられないが、すでにこの誘拐事件は、常識では考えられないことだらけだ。

「誘拐してきた子供を懐柔するために、子供が仲間にいたほうが都合は良いかもしれないだろ」

「だとしても、わざわざグループ全員の声を晒す必要なんてあるのか? 何のために? まあ、俺にはどうでもいいけど」

 考えすぎてわからなくなったのか、自分のキャラを思い出したのか、サイチは急に投げやりになる。ふーっと息を漏らして、オフィスチェアに深く凭れた。

「この八人分の声を、全部過去のデータベースと照合できるか?」

「できるけど、警察のデータベースに残ってる声のデータなんて、大した人数じゃないよ」

 サイチの言葉はもっともだ。

 顔写真や指紋は、警察関係者をはじめ、犯罪者、もしくは一度でも疑いをかけられた者、被害にあった者など、多くの者が収集されてデータベースに残されている。しかし、声紋が残されている者など、たかが知れている。それこそサイバー犯罪や詐欺等で、声が物証として起訴に至った犯人くらいだ。

「それでもやらないよりはマシだ」

 当たって砕けろの精神で俺がそう指示を出した時、今まで押し黙って、俺達の会話を聞いていたノラが、小さく「あの……」と声を挟んだ。

「二番目に流した女性の声、もう一回再生してもらえますか」

 サイチが伺うように俺の方を見るので、頷いて促す。

 彼の指が動き、再度声が流れ出す。その声を聞いて、ノラは意を決したように俺を見上げてきた。

「やっぱり、この声、私の友達の声にすごく似ているんです」

「何? その友達って、どういう子なんだ」

 まさかの有力情報に思わず勢い込んで尋ねる。ノラはぱちくりと目を瞬かせ、大層なことをあっけらかんと答えた。

「ミミサキ署、総務課のフォン・ナミです」


 その後、俺はノラを連れて総務課に駆け込んだ。

 一階にある総務課は、刑事課同様に閑散としていたが、目当ての女性はまだ総合受付の側で事務作業をしていた。ノラが名前を上げたナミという女性は、昨日俺に刑事課の場所と、エレベーターがないことを教えてくれた彼女だった。

 ナミと再度言葉を交わし、俺もノラと同様の確信に至った。確かに、声が良く似ている。

 不思議がるナミに、犯人が告げたものと同様の台詞を言ってもらい、それを録音してサイチに分析を頼んだ。

 結果、九六パーセントの確率で本人だという。

 証拠から言えば、どう考えてもナミは黒。しかし、彼女にはそんな台詞を収録した記憶はなく、連続誘拐事件への関与を、完全否定したのだった。

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