ノラ刑事 -2-

 動揺に次の言葉が出てこない俺の様子をよそに、少女は俺を、猫のような大きな瞳で見上げ、頭を下げる。

「三年前から事件を担当しているノラです。よろしくおねがいします」

「えっ……と……? ノラ、ノラちゃん、さん。えっ、三年前?」

 色々と情報処理が追いつかない。しどろもどろに問いかけると、ノラは無表情のまま、コクンと頷いた。

「ノラさん、は……とても若く見えるのですが、その。おいくつ、ですか?」

 普段、初対面の女性に年齢を尋ねることはしない。しかし、まずはこれを聞かねば何も話が始まらない。俺の問いかけに、彼女は細い眉をきゅっと寄せた。

「失礼な。見かけで判断してもらっては困ります」

 その抗議をする口調に、しっかりとした意思を感じて。俺はどこかほっとすると同時に、自分の振る舞いを反省した。ここの課長が刑事だと紹介してきたのだから、彼女は刑事に間違いないのだ。

 身体的に、ものすごく幼く見えるだけなのかもしれない。そこに踏み込んではならなかった。そう謝罪を述べようと口を開きかけて。

「私はもう一五歳です」

「だよね? 一五歳だよね!?」

 ノラから告げられた、予想通りの年齢に思わず大きな声が出る。そんな俺の様子は、ますます彼女を憤慨させたようだ。

「飛び級で高校を出て、警察学校も主席で卒業しました。射撃試験の点数は歴代一位だとお墨付きもいただいています。れっきとした刑事ですので、ご安心ください」

 ノラは胸を張りながら言い、取り出した警察手帳を開いて、俺の目の前へと突き出した。そこには確かに、警察官の制服を身に纏った、ノラ自身の写真が嵌った身分証がある。制服を着ていると、ますますコスプレじみているが。

 俺は息を吐きながら額に手を当てた。

 俺自身も大学を卒業後、一年間の警察学校と交番勤務を経験して刑事になった、社会人としても二年目のヒヨっこだ。若さ故に舐められることも多く、その時の腹立たしさはよくわかる。彼女が刑事であるのなら、そこはそれとして扱わねばならない。三年前からこの事件を担当しているのなら、彼女のほうが俺よりも、刑事歴としては先輩に当たるのではないか。

 そもそも、先程ニシキ課長から説明された言葉は、ノラの年齢以上に看過できるものではなかったはずだ。

「わかった、ノラ。事件について説明してもらえるか。捜査本部が立たないっていうのはどういうことなんだ」

 一瞬どう呼ぶか迷ったが、どう呼んでも違和感があったので、タメ口に呼び捨てでいくことにした。俺が気持ちを切り替えたのを察し、ノラは再び無表情に戻ると、突き出していた警察手帳をジャケットの内側にしまった。

「ご説明いたします。こちらへどうぞ」

 ノラの案内に従い、刑事課の奥へと進んでいく。周囲の刑事達は、早くも俺に対する興味を失ったようだ。各々の仕事に戻っている。それにしても、ここの刑事課はあまり忙しそうではないし、緊張感もない。

 俺の脳裏には、先程までいた長閑な駅が思い出されて、なるほど治安が良いのだろうと結論付ける。

 案内された先にはノラのデスクがあり、ちょうど隣には誰もいないようだった。雑多に書類が積み上げられているだけのデスクの椅子を引き、腰を下ろす。

 同じように席についたノラは、ブックスタンドに立て掛けていたファイルを引き出して広げた。ノラのデスクは綺麗に整えられていた。物が無さすぎることもなく、必要十分な物が置かれている。

 彼女が、本人が言うように優秀な刑事なのだろうということは、デスクの様子から察することができた。

「こちらが、今までのミミサキ市児童連続誘拐事件の発生事象を、時系列順にまとめた資料になります」

 ノラが示したファイルのページには、年ごとに、事件の事象が日付と合わせて記載されている。

「誘拐発生日は全て二月中であるという共通点を除いてまちまちですが、事件発生日からカウントを始めると、毎回同じスケジューリングになっているのです」

 彼女の声は少女らしく高めだ。ただ、物言いは落ち着いている。説明をしながら、その繊細な指先が紙面の上を示す。

「誘拐が行われるのは平日の午前中。その日の午後には、誘拐された被害者の家に電話が入ります」

「身代金要求の電話か?」

「はい。『娘もしくは息子を誘拐した、返して欲しければ一〇〇〇万イェロ用意しろ。金さえ渡せば、傷一つなく子供を帰すことを約束しよう。後のやり取りについてはまた電話する。指示を待て』という内容で共通しています」

 俺が頷いたのを見て、ノラはさらに説明を続ける。

「概ね、すぐさま被害者家族から、警察に通報があります。特に『警察には連絡するな』等の脅しや、要求がないことが理由でしょう。誘拐発生から四日後には、再度犯人から電話があります」

 ノラの指先が、ファイルの上を移動する。

「『一〇〇〇万イェロは用意できたか』という問いかけに始まり、それに用意できた、と答えると、『何月何日の何時に、どこどこへ金の入った鞄を置いて去れ。一時間後に、子供は自分の足で家へ帰ってくるだろう』という、身代金受け渡しの指示が出されます」

 ノラの指先が示すまま、毎年の事件の日付を確認していく。たしかに説明の通りに動いている。

「金が用意できない、もしくは渡せない、と断った場合はどうなる? 今まで、全て諾々と従ってきた訳ではないだろう」

 この事件に対する警察のやる気のなさは、現時点でもよくわかった。だが事件発生から数年までは、きちんと重大事件として扱っていたはずだ。確か昨日シンさんもそんなことを言っていた。

「断った場合は、再度四日後に電話がかかってくる、というサイクルを繰り返します。もちろん、誘拐されている被害者はそのままです」

 なるほど、それが最初の事件で、被害者の拘束期間が長くなった理由かと思う。犯人は何故か、すべての行動を四日ごとのサイクルで行っているようだ。

「指定された場所に空の鞄、もしくは贋金を置いた場合は?」

「犯人から電話があり、次の身代金受け渡しの指示があります」

「それは、置いたのが贋金だとバレているということだよな? 受け渡し場所に、張り込みはしていたんだろう。誰が確認に来た」

 俺の当然の問いかけに、ノラは首を振った。

「誰も」

「どういうことだ?」

 眉根を寄せる俺の顔を、ノラは無表情のまま見返してくる。

「もちろん、身代金を置いた鞄の周囲を監視するように、複数の捜査官が張り込んでいました。結局、誰も近づいてくる者はいなかったそうです。それでも工作は通用しなかった」

「そんな事がありえるのか?」

「実際ありえているので、仕方がないですね」

 ノラの言葉に、昨日も同じようなことをシンさんから言われたな、と思い出す。思わず押し黙った俺の様子を見て、彼女は次に、デスク上のカレンダーを指差した。

「今年の誘拐事件が発生したのが三日前の二月七日。そして、明日犯人から指示の電話が来ます。それを受けて、指示通りに身代金を置けば、誘拐されていた被害者も無事帰ってきて事件は解決。捜査本部を立てる必要はないのですよ」

 説明は終わった、とばかりにファイルを閉じるノラに、俺は目を見開く。

「いや、待て待て。事件解決って、犯人も逮捕できずに解決もなにもないだろう。金だって取られているじゃないか」

「今年の被害者家族も、身代金の一〇〇〇万イェロを渡すことには快諾しています。今年の被害者の名前はコン・リリ。家族は、娘が無事に帰ってくるのなら安いものだと」

 ノラの口調は客観的で淡々としており、感情は伺えない。しかし彼女もこの捜査方針に納得していることは伝わってくる。だが、俺は容認できない。

「そうして犯人を野放しにするから、毎年被害者が出るんじゃないか。俺は犯人を逮捕するためにここに来た。捜査は徹底的にやらせてもらう」

 デスクの上に置いた拳を握り、一切引かないという態度で言いきる俺に、ノラは小さくため息をついた。

「ユージさんが本庁から来た段階で、捜査指揮権はあなたにあります。私はあなたに従いますよ。ただし、捜査本部は立たない、それは動かせません。捜査は私とユージさんの二人でやる必要があります」

 ノラの言葉に、俺はすでに昨日から決めていた覚悟を、さらに強固にする。もう後には引けない。いかに周囲のやる気がないとしても、事件は実際に起こっていて、被害者が生まれているのだ。

 毎年被害者が生まれる原因は、警察の怠慢に他ならない。さらに、大切な金が悪党に奪われている事実を見過ごすことは、俺の沽券に関わる。

「犯人から二度目の電話がかかってくるのは明日と言ったな?」

 ノラが頷く。

「逆探知を行う特殊捜査官は」

「同席しません。過去にも逆探知は行われましたが、全て失敗に終わっていますので」

「そんな事、今回もやってみなければわからないじゃないか」

 食い下がる俺に、ノラは無言で、刑事課の中から繋がっている扉の方を指差した。

「何?」

「特殊犯捜査係はあの部屋の中にいます。同席の交渉をなさりたいなら、ご自由にどうぞ」

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