ふたりが死を別つまで

菊湯 博稠

第1話‐① 日常

 カンっとグランドに小気味のいい音が響き、俺の手に確かな手応えが伝わってくる。二遊間を抜けた球は左翼も抜け、悠々と二三塁が帰ってきた。

「ゲーム!」

 審判のコールと共に、我らが草野球チーム・ボンレスチキンズは逆転勝利を決めたのだった。

「やったぞシズ坊、ついに俺たちの勝ちだ!苦節8年、隣町のやつらにもうでかい顔はさせねえぞ」

「ああ、これで会合の仕出し優先権はうちの商店街のもんだ!」

 商店街で肉屋をやっているゲンさんが、戻ってきた俺の肩をバシバシと叩いて破顔する。そのまま俺のわきの下に手を入れて持ち上げ、周りのチームメイトに見えるようにぐるぐると回し始めた。今年で60になるとは思えないパワフルさだ。チームメイトのおじさん達はというと手を叩きあったり、対戦相手である隣町商店街チームのスモールフライズと煽りあったりと各々喜びを分かち合っている。


 ひとしきり喜びあったあと、まだ熱は冷めやらぬも帰り支度を始めた。

「ゲンさん、腰は大丈夫?俺を持ち上げるなんて無茶するなあ」

「なあに平気さ。しかし重くなったなあ。ちょっと前までランドセル背負ってたってのに」

 腰をさすりながらニっと笑いかけてくる。

「勘弁してよ、俺もう21だよ?そんな子供じゃないって」

「生まれた時から知ってる身としちゃあ、いくつになろうと子供みたいなもんだがな。だが頼りになる男に育ったのは確かだ。お前さんが助っ人に入ってくれて俺たちはメキメキと強くなったからな。指導に選手にと大助かりだ」

「最初のころのおっちゃん達は力任せに振り回すだけだったからね。なまじ当たればホームランになる筋力があるから更にブンブンしちゃって。それじゃあ足とコントロールの魚屋さんたちには敵わないよ」


 つらつらと話しながら帰り道につこうという時に訪ね人がきた。対戦相手であるスモールフライズのエースであり俺の友人の新井薫だ。ゲンさんと別れ二人で家路につくことになった。

「ついに負けちまったな。こちとら甲子園出場のエース様だってのに形無しだよ」

「けど高校野球に選手全員ホームランバッターのチームなんていなかっただろ」

「当たり前だ。それが三振上等で振ってくるだけでも怖いってのに、どこかの誰かが余計な入れ知恵するもんだからスイングがコンパクトになっちまった。しかもザルだった守備も、お前が入ってショートの穴が塞がったときた。うちのおっちゃん達じゃあ一つ点を挙げるのにも苦労するってのによ」

 別にスモールフライズの面々が特別非力というわけではないのだが、いかんせん比較対象がゴリラでは仕様がない。バントやスティールを駆使して点をもぎとり、その1点を死守して逃げ切るのが彼らの勝ちパターンだ。

 苦笑しながらも楽しそうにする友人と軽口をかけあいながら、近況報告の流れになった。


「雪野はまた人助けやってるの?」

 俺、雪野雫は現在20歳の大学生だ。勉強したいものがあるわけでもないので適当な文学部に推薦で入り、先輩から簡単な単位の情報をもらって進級だけは問題なくしている、どこにでもよくいる大学生だ。運動神経だけは良かったので、高校時代から様々な部活に助っ人として顔を出していた。その一環で地元の草野球もしていたというわけだ。名前に関して不満に思ったことはないが、この180㎝90㎏のガタイに似合わないのは自覚がある。

「ああ、明日はバスケの練習試合だし、明後日は空手、他にはイベントスタッフとか図書館ボランティアとか色々だな」

「そりゃ、高校の時より知的なのが増えてるな。けどそれだけじゃないだろう。お婆さんの荷物持ちとか体が不自由な人の案内とか、はてはクラスメイトがやばい先輩とトラブった時の折衝とか、そういうのもやっているのか?」

「まあな。助けてほしいと言われたんだ。助けない理由がないだろう」

 当たり前だという顔で答える俺に、薫はあきれた表情をこれ見よがしに向けてくる。この友人、新石薫は高校からの付き合いだ。頭が良く気さくな性格で、ぱっとしなかった中堅高校野球部を初めて甲子園に連れて行ったエースピッチャーの凄いやつだ。肘の故障がなければもっと上を目指せたし、プロ入りだって夢ではなかったと素人目にも思う。今はリハビリがてら草野球に参加しているがかつての剛速球は見る影もない。まあそうでなければ多少俺がアドバイスをしたところで、うちの扇風機ゴリラが当てられるわけがないのだが。ちなみに魚屋あらいの一人息子である。

「僕はそういうお前を尊敬しているし凄いやつだと思っているよ。でも自分の安全を後回しにするのは、ずっとどうかと思ってきてるんだ。何度も伝えたけどね。ヤクザや半グレなんかの揉め事には首を突っ込んでないだろうね」

 彼のほうは見ずに。

「・・ああ」

「その間!絶対になにかやっただろう」

「いや先輩の彼氏が既婚者で、知らず知らずに不倫に巻き込まれてたから、その護衛をしただけだ。危ないことはない」

 もう一度あきれた顔をしてからため息をつく。

「もう、お前のそれは死ぬまで治らないんだろうな。助かっている人が沢山いるのはわかってるから止めはしないけどさ。手に負えないとわかったらお前もちゃんと助けを求めるんだぞ」

 本気で心配してくれているのを感じる。彼は高校で出会ってからというもの、折を見てはこうして考えていることを伝えてくれる。俺にだけではなく、関わった人には努めてそう接している彼こそが、本当に人を助けられる人なんだと俺は思う。筋肉でしか解決できない俺では心にまで寄り添えない。

「ああ、努力する。・・ちなみに、イベントも図書館も筋肉担当でまったく知的ではないけどな」

「ははっ、まあそうだろうな。いいんじゃないか、そういう安全でのんびりした案件のほうがお前に似合ってるよ」

 それからは子供に読み聞かせをした話や不倫野郎の顛末などを話し、別れ道に来たところで解散ということになった。

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