ボタン

よもぎパン

第1話 幽霊自販機



「ホムセン前の自販機、またダメだったんだって」

「えー、まじ? やっぱ何か憑いてんじゃん」


 ガコン、と商品取り出し口に、密度の高い重みが吐き出された音が響く。

 それを取り出すこともせず、俺は続けて小銭をコイン投入口へと入れた。隣の自販機の前では、二人の女子生徒が話し込んでいる。

 つとめて無関心を装いつつ、俺はそっと、見知らぬ女子生徒の声に耳をそばだてた。


「あの、昔からあるアイスのやつだよね?」

「そうそう。パパいわく、何回修理に出してもダメなんだって。機械自体も何度か変えてるらしいんだけどさ、工場では問題なくても、現場持ってくとダメらしい」

「やっぱり勝手にアイス出て来ちゃうんだ? 種類選べないのつらくね?」

「ロシアンアイスとかいって、ここの男子生徒がネットで動画流してるらしくてさ、勘弁してくれーってパパが嘆いてたよ」

「ほんっと馬鹿だよねあいつら」


 木陰になった中庭の自動販売機。見慣れた制服をまとう少女たちはきゃらきゃらと笑う。

 小銭を入れ終えた自販機は、爽やかな青いランプを燈らせた。投入した金額、きっかり100円。選択肢は少ないとはいえ、自動で格安の飲み物を提供してくれるこの機体は、俺たち学生のライフラインと言っても過言ではない。


「なーに迷ってるん?」


 突然背後から聞こえた声に、俺はハッと顔を上げた。

 後ろからぬっと白い腕が伸びる。ピンク色の爪で彩られた細い指先が、煌々と光るボタンを押す。ガコン、と再び商品取り出し口の中で重い音が響いた。


「うち、紅茶物語やって言うたやん」


 そう言って俺の視界に回り込んできた茶色い頭。クラスメイトの井崎いさきまどかは、「うっわ、最低」と、それでなくとも小さな身体を折り曲げて、自動販売機の商品取り出し口を覗き込んだ。


「なんで一本ずつ取り出さへんの?」

「先にボタン押してからまとめて取った方が効率いいだろ」

「詰まるんやって。ほら、うちの紅茶物語ちゃんが奥で詰まっとる」


 井崎は本腰を入れて飲み物の発掘に乗り出した。

 小さな背中が丸まって、ガコ、ガコ、と商品取り出し口の中身を揺すっている。先に買った俺のサイダーが、次に落ちて来たミルクティーといい具合につっかえているらしい。 

 悪戦苦闘する井崎をよそに、俺は隣の自販機へと目をやった。先ほどまでそこに居た二人の女子生徒は、すでに姿を消している。


「さっきの、四組のチエちゃん。彼氏おるから諦めや」

「そんなんじゃない」

「じゃあなにぃよ?」


 井崎は俺へとサイダーの缶を差し出す。不自然に長いまつげがびっちりと並んだ大きな目が、俺を見上げる。

「早よ答えんかい。昼休み終わるわ」つんと澄ました小さな唇がてらてらと光っていた。昼飯に唐揚げでも食べたのだろう。


「……ホムセンのさ、自販機」

「ホムセン? 白橋んとこの?」

「そう。そこの自販機、有名だろ。アイスのさ」

「ああ。お金入れた瞬間、勝手にアイス払い出されるんやっけ」


 それがなに? と、井崎はなおも不機嫌そうに問う。


「さっきの人がその話してたんだよ。機械入れ替えたけどまたダメだったって」

「へー、故障ちゃうんや。せやったらあの話もほんまなんやろか」

「あの話って?」

「あそこ、たまに出るらしいで。幽霊」


 なんでもないことのように井崎は言う。

 また家庭科室にゴキブリ出たらしいよ、くらいの声色で。


「うちのバイト先でも見たって人おるもん。子供の幽霊やって」


 そう続けつつ、井崎は首に下げたキャラクターもののポーチから小銭を取り出した。「もういっぽん、お茶買おう思うて来てん」

 チャリンチャリンと小銭が機械に吸い込まれていく。腕の血管が甘痒くなって、拳を握りしめた。


「で、ホムセンの自販機がどうしたん? 夏らしく肝試しでもしようって?」

「それ、俺のせいかもしれないんだ」

「は?」

「ホムセンに出る、子供の幽霊。俺のせいかもしれない」

「……どういう意味?」

「子供ってさ、小学校低学年くらいの男の子だろ」

「…………」


 井崎は何も答えなかった。ただただ、顔を強張らせている。それが何よりの答えだ。


「あんた、なんか、心当たりあるんか」

「ある」


 井崎の問いに短く答え、俺は再び青く光るボタンを押した。

 ガコン。また、商品取り出し口に缶が排出される。血管の中を何かが這い回るような気持ち悪さに俺は踵を返した。「ちょっと!」缶を二本抱えた井崎が慌ててついてくる。二人、生徒で混雑する廊下を足早に進んだ。


「ちょお待ってぇや、心当たりってなに?」

「心当たりは心当たりだろ」

「ええねんそんなまどろっこしいんは! どういうこと?」


 どういうこともなにも、そのままの意味だ。


「なに、あんた何したん? いつの話?」

「……子供の頃の話だよ。十年くらい前」

「なに、したん。あんた」


 いつも威勢のいい転校生の声が、わずかに震えている。

 それに返す言葉もなく、俺は教室へと足を踏み入れた。

「待ちぃや」細い指が、俺の二の腕を掴む。井崎は戸惑いに揺れる瞳で俺を見上げていた。何度も繰り返されるまばたきが、彼女の動揺を物語っている。


「なあて。なんとか言うたらどうなん」

「……ごめん」

「ごめんって、」

「今はまだ、話せない。ごめん」


 井崎の、艶やかな爪が食い込んだ腕を振り払って席に着いた。

 汗をかいたサイダーの缶を机に置く。その向こうで、斜め左前の席に着いた井崎が不満げな表情を浮かべているのが目に入った。ごめん、と心の中で念じる。

 今はまだ、話せない。あの話をして、井崎が自分に今のままの友情を向けてくれると思えるほど、俺は馬鹿でも愚かでもなかった。あの夏の日の記憶が脳裏をよぎるたび、血管が疼いて足をばたつかせたくなる。


『ああ、きみ、アイスが欲しいのかい──?』


 違うんだ、おじさん。そんなつもりじゃなかったんだよ、俺は。俺は──。




 


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