裏切りの刃

(いいのか……こんな事してて……)


王国から貸与されたタキシードに身を包んだ来斗は思う。


「どうしたのですか? ライトさん……随分と浮かない顔をして」


 闇のように黒い、漆黒のドレスを着たティアが言う。


「魔王軍の六天王がすぐそこまで迫ってきているのかもしれないのに……こんな悠長な事やっていていいのかなって」

「もう、ライトさんは真面目すぎるんですよ……思い詰めているだけではどうしようもない事だって、世の中にはあると私は思うんです。遊べる時とか、休める時に休む事だって必要だと思うんですよ」


 ティアはそう来斗に語りかける。


「それもそうかもしれないな……一理ある」


 HPやMPなどのステータスには見えないような、目に見えない精神的な疲労も存在する。ずっと気を張っていると重要な時に集中力が発揮できなくなるかもしれない。緩ませる事が可能な機会があるのならば、一旦はこれからやってくる危機や戦闘などは棚上げして、休む事も重要ではないか……。来斗はそう考えを改めた。


「ありがとう、ティア。俺も少し羽を伸ばしてみるよ」


「ええ……きっとそうした方が良いです。考えているだけではどうしようもない事も世の中にはあると思います。なるようにしかならない事も絶対にあるはずです」


 ティアは少女のような見た目をしているが……今まで生きてきた年は相当なものだろう。達観しているのかもしれないし、同年代の少女などより余程含蓄があるように来斗は感じられた。


「そうだな……それもその通りだ」


 危機が迫っているからといって、ずっと張りつめているわけにもいかない。人間は休息を取らなければならないし、睡眠もとらなければならない。そうしなければ本来の状態(コンディション)をキープできない恐れがある。


 万全の状態でなければ、いざとなった時に上手く動けない可能性があった。


「ん? ……」


 ふと、来斗が入口の扉を見やると、遅れてやってきた他のクラスメイト達もホールに入ってきた。


「三雲君!」


 来斗の存在に気づくと、一目散に可憐が駆け寄ってきた。可憐はティアとは対照的な純白のドレスを着ていた。何となく、彼女のイメージにぴったりだな、と来斗は思ったのであった。清純な印象の彼女に純白の白はよく似合う。そんな気がしたのだ。


 彼女はまたもや、躊躇いなく来斗の手を握る。彼女の体温が直に感じ取れ、来斗の心臓の鼓動が思わず、高鳴ってしまう。


「本当に生きてたんだ……良かった。あの時ありがとう、三雲君のおかげで私は命を救われたんだよ……」


 涙ながらに可憐は来斗に感謝の言葉を伝えてくる。


「あ、ああっ……それは良かった。北城さん……その、皆見てるからさ」

「ご、ごめんなさいっ! わ、私、勝手に舞い上がっちゃって!」


 可憐は慌ててその手を離し、若干の距離を取った。


 しかし、また別の人物がそれと構わずに、来斗の手を取った。金髪、碧眼の美しき少女。この国の王女であるソフィアだった。


「ありがとうございます……救世主様。あなた様のおかげであの危険な地下迷宮(ダンジョン)は静められました。これもあなた様のおかげです」


 王女ソフィアもまた、涙ながらに感謝の言葉を伝えてくる。


「お、王女様……。お言葉は嬉しいですが、王国の危機はまだ完全に去ったわけではありません。更なる苦難が襲い掛かってくるのは明白です。喜んでいる場合では――」


「ですが……あの地下迷宮(ダンジョン)をたったのお二人で攻略なさったその力は本物のはずです……。あなた様ならきっと、この王国を救ってくださるでしょう。きっと……」


ソフィアは恍惚とした、見惚れるような瞳で来斗の事を見つめてくる。


「救世主様……この王国をさらなる魔の手から救ってくださった暁には……あなた様さえよろしければ、私と夜の熱い営みを――」


 ソフィアは発情期の雌猫かのように、来斗に対して熱烈にアプローチをしてきた。


「は、ははっ……」


 来斗は苦笑いをしていた。そんなに簡単に救えるとも思えない。来斗は一度、その敵の凄まじさを経験しているのだ。そして、前回の来斗達はなすすべもなく、敗北を喫している。とても軽々しくこの王国を救えるなんて、彼女に明言できるはずもなかった。そんなのはただの虚勢だし、大ボラでしかない。


「ふーん……ライトさんは随分とおモテになるんですね……」


 ティアは面白くないような表情をしていた。どうやら不貞腐れているようだ。


「な、なんでティアが怒るんだ」

「別にー、怒ってなんかいませんよー。ただなんか、面白くないなーって。そう思っただけで」

 

 どうやら妬いているようだ。彼女は。要するにそういう事であろう。


「――ん?」


 その時であった。来斗を見やる怪しげな視線に気づいた。物陰から不気味な視線を感じる。その視線を送っているのはあの影沼であった。


影沼の視線……それは来斗に対して、嫉妬しているとか、羨んでいるとか、そういう次元を超えていた。


 あの眼に込められているのは来斗に対する明確な殺意であった。


(まさかな……)


 気のせいだろう。そう思いたい。これから更なる危機が襲ってくるというのに、無内でいざこざを起こすつもりは流石の奴もないだろう。そう思いたい来斗ではあったが、どこか頭の奥底で、影沼に対する猜疑心を抱かざるを得なかったのである。


 ◇

(影沼視点)


(へへっ……いいさ、別によ。今、どれだけあいつが良い想いしたってよ。せいぜい、最後に良い想い出を抱いてあの世に逝けばいいさ)


 影沼は物陰から来斗の様子を見ていた。あのクラスでも底辺に位置し、自分より下だと思っていた来斗。この異世界から来ても外れ天職である無名剣士【ノービス】を授かり、自分より完全に下の存在だと見下していた来斗。


 そしてあの地下迷宮(ダンジョン)の崩落で完全に死んだと思っていた来斗。そんな来斗が良い想いをしている事が影沼にとっては最高に気に入らない事ではあった。だが、それも奴にとっては最後の想い出なのだと思えば、何とか我慢できる事であった。


 奴の顔を二度と見る事がなくなると思えれば、余裕をもってその様子を見ていられるというものだ。


(へへへっ……見てやがれよ、あのゴミ野郎の来斗君よぉ……)


 影沼は舌なめずりをしている。彼はもう、これから危機が迫ってきているという状況だという事など、全く意にも介していなかった。彼にとってはそんな先の話はもう、どうでも良かったのだ。それほど彼の頭には血が昇っていた。


 正常な判断ができなくなっていたのだ。


(せいぜい良い想いをしとけよ……なんてったって今日がお前の命日なんだからよっ……くっくっく、あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!)


 影沼は今宵、パーティーが終わり皆が寝静まる頃、来斗を手に掛ける事を決めていた。


 そして楽しいパーティーが終わり、夜も深まっていく。


 そしてついには深夜を迎えた。影沼の凶刃が来斗に襲い掛かる時が来たのである。

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