彼が樹木屋になりまして、

海老名河継

第1話 樹木屋の誕生!

 水曜日の深夜。救急車のサイレンが鳴り響く。

「ハルト!ハルト!大丈夫!?しっかりして!」

ハルトの彼女、ミオが必死に呼びかける。

「ハルト!死んじゃだめ!」

やがて救急車は病院へ到着し、ハルトは手術室へと運び込まれた。ミオは涙ぐみながら祈るように頭を抱えて待合室の席に座った。

 ハルトは大学を卒業して働き出したばかりの新入社員。春から期待を胸に膨らませて社会に羽ばたいていったはずだった。しかし、入社してみると、ハルトの職場は過酷だった。入社当日から研修もなく、いきなりの配属。そして、その日から毎日深夜まで残業続き。当然、残業代は一銭も出ない。人間関係も悪く、1番年下のハルトは先輩たちに仕事を押し付けられる日々が続いていた。ミオはそんなハルトを支えるため、ハルトと同棲し、共に暮らしていた。

「ただいま。」

今日もハルトが帰ってきたのは深夜1時。目の下に膨れ上がったクマをつくり、顔は死んでいる。もうこんな生活をハルトは1年近く続けていた。

「ハルトおかえり。大丈夫??」

「ご飯は軽く食べてきたから、すぐお風呂入って寝るよ。夜遅くまで起きててくれたんだね。ありがとうミオ。」

「ねぇハルトやっぱりこんな仕事おかしいよ。はやく辞めて転職しよう?」

「まだ1年も経ってないから転職なんてできないよ。それに今は繁忙期だし辞められない」

毎日こんなやり取りをしては次の日を迎え、唯一休みがある日曜日だけ朝から晩まで寝る日々を送っていた。

 そんな矢先のことだった。ある日、大学の昼休み中のミオにハルトから電話がかかってきた。

「今日は少しはやく帰れそうだから夕方に帰るよ」

ハルトは元気そうな声をしていた。

「よかった!やっとはやく帰れるんだね!私も大学が終わったらすぐに帰るね!」

ミオは一安心した。

その日、ハルトはミオと久しぶりに楽しく夕食を共にして就寝した。

しかしその日の深夜だった。

ハルトは突然、風呂場で首を吊った。

ミオが物音に気づいて、すぐさま紐をほどき、救急車を呼んだので、一命を取り留め、しばらく入院することになった。

 ハルトの意識が戻ると、ミオはすぐに退職するように勧めた。ハルトもさすがに職場に戻りにくいと、すんなりと退職した。

「ハルトしばらくゆっくり休もう?ハルトが元気になったら一緒に旅行とか行ってリフレッシュしようよ!」

「そうだね。でも次どうしようかな…」

「次って仕事のこと?」

「そう。1年足らずで退職しちゃったから転職先もかなり絞られるな〜って思って」

「そんなことよりまずは元気になることだよ!まだ考えるのが早すぎる」

ミオがそう励ますが、ハルトははやくも転職サイトに登録し、次の勤務先を探していた。

 次の日、ミオがハルトの病院に訪れると、ハルトは何やら嬉しそうに紙に書いていた。

「ハルト何してるの?」

「実は次の仕事を見つけてね。ほら!」

「樹木屋?」

「そう!樹木屋!」

「なにそれ?木を売るの?」

「木のことならなんでもするんだよ」

ハルトは笑顔で答えるが、ミオはなんのことかさっぱりわからない。

ミオはハルトがおかしくなってしまったのではないかと心配した。しかし、ハルトは本気のようだ。

「実は入院中にもうチラシと名刺を作ったんだ!」

そこには「樹木屋、木のことならなんでもお話しください」と書いてあった。

「ハルト木に興味なんかあったっけ?」

「なかったよ。でも今はものすごく興味がある!」

はたして、こんな調子で樹木屋?なんてやっていけるのだろうか。ミオは疑問に思っていた。

 それから1ヶ月が過ぎ、ハルトは無事に退院していた。そして彼は例の樹木屋の準備に本気で取り組んでいた。まさかハルトが本当に樹木屋を始めるとは夢にも思っていなかったので、びっくりしたが、ハルトが何をするのか興味があったのでミオは見守ることにした。

 ある日、いつも黙々と一人で樹木屋の準備をするハルトが

「ミオも手伝ってよ!今からビラ配りに行くんだ!」

と声をかけてきたので、ついていくことにした。一緒に近所の家から遠くの住宅街までポストにビラを一枚ずつ投函くしていく。これがいったいどうなるのだろうか。ミオには全くわからなかった。

 ビラを半分配り終えたところで、ハルトは声をかけられた。

「あのう…先ほどこの紙を見たんですけども…おたくが樹木屋さん?」

年老いたお爺さんだった。

「そうです!」

とハルトが嬉しそうに答えると、お爺さんは、

「少し相談したいことがありましてな。ワシの家までついてきてくれませんか」と

ハルトたちに言った。

ハルトは「喜んで!」とスイスイついていく。

 お爺さんの家に着くと、庭先には大きな大木が聳え立っていた。

「実はこの木なんですが、大きくなり過ぎて困ってしまいましてな。ワシの家系は先祖代々ずっとこの家で暮らしてきたんじゃが、子どもは遠くに行ってしまいましてな。どうやらワシがこの家の最後の住人になりそうなんですわ。ワシも長くないから、この土地を売るときに困らないように早めにこの木を処理しておこうと思いましてな。ただ、切り倒して処分するのももったいないと思って、せっかくなら、何か思い出に残るような形で木を切りたいと思って声をかけたんじゃよ。」

お爺さんはそう説明する。

「ハルトやめときなよ。こんな大きな木一人でどうすることもできないよ。専門家じゃあるまいし」

ミオはハルトに駆け寄り小声で言った。

ハルトは「承知いたしました!喜んで対応させていただきます!」と笑顔で伝えた。

「ハルトどうするの!?木を切る道具も何もないよ!?」

「あっ、ほんとだね!」

ハルトはアハハと笑った。ミオは本当に無計画なハルトに驚きながらもハルトの久しぶりの笑い声に少し喜びを感じていた。

「木を切る道具ならワシの家にたくさんあるからそれを使っておくれ」

お爺さんがそう言うとハルトは元気よく返事をし、作業に取り掛かりはじめた。

「よし!始めるぞ!」

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