2 プリューム村にようこそ

第7話

 

 暁の魔女と呼ばれる少女、レイシー・アステール。

 彼女が小さな荷物を抱えて王都から徒歩で三日ほどあるプリューム村に少ない荷物を抱えて引越ししたのは一週間と少しほど前のことだ。


 自由に生きたいと願った彼女が最初にしたことは、頼まれた開墾作業。そのとき、不思議な感情が体の中を駆け抜けた。


 レイシーは、自分一人では何もすることができない女だと思っている。なんせ何の意志もなく、命じられるままに生きてきたからだ。ウェイン達と旅をするようになって、彼女の中に、ほたほたと静かな水が流れ込んだ。それは少しずつ、彼女が知らない間にたっぷりと体に染み込んでいて、彼女を生かすものになった。


 だから、次はレイシーの番だ。できることは磨いた魔術の腕だけ。物騒で、戦いの場でしか役に立たない。そう思っていたけれど、もしかすると、何かできることがあるんじゃないだろうか……?



「それなら、店か何か開いたらいいんじゃないか?」


 自分自身でもわけがわからない感情を、ぽつりぽつりとウェインに語りかけ、知っていく。そして件の台詞であった。レイシーは瞬いた。「みせ」「店」 繰り返して頷く。「誰が」「レイシーが」 指をさす。なるほど。


「む、無理に決まってる!」


 屋敷の中では、珍しくもレイシーの大声が響き渡っていた。ついでに、天井からどさどさと埃も落ちたから、きれい好きの勇者、ウェインは思わず眉をひそめていた。



 ***



 レイシーが王から与えられた屋敷は、彼女一人が使うには手にあまりすぎるほどのお屋敷だった。村人達が住む集落からぽつんと離れて建っていて、長く人の手が入っていないのか歩けば埃だらけになる。傷んでいる箇所も多いから、今から雨漏りが心配だ。


 旅をしている最中は屋根がない場所で寝ることも多かった。客人さえ来なければ何の問題もない、と思っていたはずが、やってきたのはレイシーと共に一年の旅をしてきた勇者その人である。ウェインは「引越し祝いだ」とたっぷりの食料や生活用品の備蓄を背負い馬に乗って、にかりと笑っていた。


 ――お前が、それを求めるのなら、いくらでも力を貸すよ。


 そう言って背中を押してくれたのはウェインだ。レイシーにとって、彼はとても大切な仲間の一人である。他の散り散りになってしまった仲間が描かれた姿絵は、寂しくないようにと屋敷に入ってすぐにある広間の一番の場所に飾っている。


「そ、それで店って? なんでそんなことを言うの?」

「なぜってお前。つまり、レイシーの目標は、自分の力でしっかりと生きて、かつ特技を活かし、新しい自分になろうってことだろ?」


 そんな感じと言えばそうなんだけど、特技を活かすと言われると何か違うような。あとは実際口に出されると恥ずかしいものも感じるので、唯一綺麗にしたテーブルを見つめつつ、椅子に座ってもじもじする。


「そう……なの、かしら……」


 でもそんな意気地のない自分の声に気づいて、首を振った。からっぽだったレイシーだけれど、大事にすると決めたものもある。スティックのように小さくさせた杖を手のひらの上で遊ばせた。杖のサイズは彼女にとって自由自在だ。プリューム村に住んでいる以上、あまり目立つことはしないようにしようと思ったのだ。


 ウェインの言うとおりだ、とレイシーは改めて、大きく頷いた。ウェインがおさげにくくった長い黒髪も一緒に動く。「よし」と腕を組んでふんぞり返りながらウェインは続ける。


「いいかレイシー。人間、生きていくには金がかかるんだ」


 ウェインは伯爵家の次男坊であるのだが、貴族らしからぬ庶民的感覚も持ち合わせている。ウェインにとってもレイシー達と旅をした一年は大きなものだった。レイシーは自分ばかりが与えられたものだと思っているが、実際はそんなことはない。


「この間、報奨金の大半は使ってしまったって言ってたろ? 家賃はないからいいとして、それ以外にも衣食住、少しずつでも金は減っていく。だから、自分の力で生きるっていうんなら、まずは金を儲ける手段を作らないといけない。わかるか?」


 ゆっくりと頷く。レイシーは人よりも金に対する執着は薄い。今まで彼女がすべきことと言えば、魔術の腕を磨く。ただそれだけで十分だったからだ。けれどこれからは違う。レイシーは、自分を生きるための糧も同時に得なければいけない。


「魔術を特技として活かしたい。もちろんこれは問題ないし、尊重すべき考えだ。が、生きていくってんなら、そこに金も絡ませないと十分とはいけないと思う。もちろん、趣味と仕事は別にしてもいいし、そうしてるやつが大半だと思う。でも、レイシーはそんなに器用じゃないだろう?」


 レイシーがわかるように、ゆっくりと一つひとつ、ウェインは説明をしていく。無理だと最初は叫んだものの、彼が言っているのはしごく当たり前なことだ。

 ときおり、レイシーはひどく自分自身が恥ずかしくなるときがある。世間知らずで、臆病で、ちっぽけな自分が嫌になった。そんなときはいつも杖を握りしめて、下を向いたまま唇を噛み締めた。


 まともに人と関わることなく、来る日も来る日も魔術ばかり。毎日へとへとになっていたから体は辛かったけれど、心の中は楽だった。他者に言われたままに、何も考えずに行動していたからだ。


 だから、今度はまっすぐ前を向いた。ウェインは、そんな彼女を見て驚いた。しかしレイシーの内心に引っ張られたのか、手のひらサイズにしていたはずの杖はすっかり体の半分ほどの大きさになっていた。そして杖を握りしめたまま、レイシーの体ごと小刻みに震えている。


 ライガーに睨まれたスライムのごとく口元を引き結び振動し続けるレイシーを見て、わざときつい表情を作っていたはずの彼も、思わず破顔してしまった。慌てて口元を押さえつつ視線をそらす。咳き込みを繰り返して、もとの顔に戻して、呆れたように首を振る。


「まあ、おいおい、かね。金もまだ使い切ったというわけじゃないんだろう」


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