第二話 大賢者ハニンカム

2-1 勇者の称号

 ライラヴィラは賢者と住んでいる自宅で目を覚ました。

 見慣れた木板の高い天井が目に映る。

 何があったのだろう。奥深くの記憶を探った。

 あの時、何かが自分の中へ侵入したような気がする。

 胸元に魔力の違和感を感じて、ベッドの上でゆっくり身体を起こした。 


「ライラ、目を覚ましたか」


 ベッドの近くに置いてあった丸椅子に座った男が立ち上がる。

 黒髪から生えた二本の黒いツノが目に入った。魔族のレグルスだ。

 彼が部屋から出て行くと、向こうで数人が話してる声が聞こえてくる。

 やがて部屋の扉が開き、彼と共に賢者フォルゲル、乳兄妹のジェイド、治癒師ヒーラーで親友のアイリーンが現れた。 


「ライラヴィラ」


 フォルゲルがそっと水の入ったグラスを差し出した。いつもの無表情なおきな

 彼女はグラスを受け取り、ゆっくりとひと口飲んだ。水魔力の疲労回復魔法が施されている。


じいさま……」

「三日も眠ってたんだ、無理に喋るな」


 レグルスが金の瞳を細めて見つめてくる。彼は諭すようにうなずいた。


「良かった……! どうなるかと」


 アイリーンはにじんできた瞳をぬぐった。きっと何日も看病してくれたのだろう。目の下にクマがある。


「もうしばらく休むがいい」


 賢者はライラヴィラを正視したあと、静かに部屋を出ていった。


「ディルクはトラヴィスタの国王陛下に今回の経緯いきさつを報告しに出向いてる。しばらくすれば戻ってくると思うよ」


 勇者がその場にいない理由をジェイドが伝えた。


「ライラ、手を貸してね」


 アイリーンは彼女の淡紫たんしの手を取ると診察を始めた。


「怪我や骨折は無し。呼吸や筋肉も正常。五感も異常無し。魔力は……何か凄いのが心臓にあるみたいだけど、それは賢者さまが診てくれるって聞いたから。少ししたら起きて歩いてもいいわ」

「ありがとう、リーン」

「これがわたしのお役目だもん」


 アイリーンはそっとライラヴィラの手を下ろし、猫耳を立てて満面の笑みを浮かべた。



 ◇ ◇ ◇



 翌日になるとライラヴィラは食事も摂れるようになり、日常生活を送るのには支障がなくなった。日頃の勇者候補者としての肉体強化訓練が効いてるらしい。長くせったため少し筋力が落ちたが、基礎訓練を再開すればいずれ戻るだろう。


 レグルスが部屋にかけてある少年の絵の前にたたずんでいる。彼は部屋にライラヴィラの食事を運んできて、そのまま部屋で彼女が食べ終わるのを待っていた。


「その絵ね、よく分からないのよ」


 ライラヴィラはベッドに腰掛けたまま、絵を見つめる彼に語りかけた。


「小さい時の私が描いたらしいって爺さまからは聞いたけど、全く覚えてないの。でも見てると切なくなるの。だからきっと子どものときの、大切な誰かなのだと思う」

「俺に……似てないか? 黒髪に、黄色く塗られた目。頭のはターバンだな」


 レグルスが不思議そうに絵を見つめたまま言った。青年の彼を少年にしたような絵にはライラヴィラも同感だった。

 しかし彼は魔界ダークガイアに住む魔族。人界ライトガイアで会う機会があったとは到底考えられない。ライラヴィラは魔界へ一度も行ったことがなかった。


「それは私も思った。だからあなたに初めて会ったとき、妙な懐かしさを感じて」

「そうか。俺が大切にしている母親の絵と同じだな。あれも誰に描いてもらったのか覚えていない」


 ライラヴィラはレグルスがカフェで見せてくれた絵のことを脳裏に描く。黒髪の綺麗な女性だったがはかなげで実体感がなかった。ただ描き方はライラヴィラと同じ技法だろうと予想できた。


「爺さまから聞いたことあるよ。こういうのって『既視感デジャビュ』って言うんだって」


 彼はまた魔力隠蔽いんぺいを自身に施しているのか、炎と風の魔力は感じられるのに、秘めた闇が哀愁を絡ませている。頭はまたターバンで覆って黒いツノを隠していて、本当に絵の中の少年が大人になって現れたようだった。



 ◇ ◇ ◇



 玄関から聞き慣れた男の声がした。


「入るぞ、ライラは起きてるのか?」


 勇者ディルクだった。


「来てくれたの!」


 ライラヴィラは玄関まで彼を出迎えた。巨人族タキラの彼は腰をかがめながら扉を通り抜ける。中は天井が高く、彼も背を普通に伸ばすことができた。

 ディルクは別の部屋にいた賢者フォルゲルにも顔を出して、何か少し会話したあと戻ってきた。


「もう動いていいのか? 元気そうで良かった」


 ディルクは嬉しそうに顔を緩めた。


「勇者か」


 レグルスも奥にあるライラヴィラの部屋から出てきた。ディルクが彼の姿を確認する。


「二人に話があって来た。ジェイドには先に伝えたから」


 ライラヴィラがディルクとレグルスに居間へ来るよううながすと、彼らは椅子に向かい合って座った。それを見てライラヴィラは台所に入り、棚に並べられていた何十本もの茶筒から来客用の茶葉をひとつ選ぶ。急いでお湯を沸かし、茶をポットにれて運んだ。


「はい、どうぞ」


 ポットから湯呑みに注がれた緑の液体は、少し目を刺激する湯気が上がった。香りも何か違う。もしかして目的とは違う茶を淹れたかとライラヴィラは気づいた。


「あ、待って! 間違え……た…………」


 しかし静止の言葉は間に合わず、レグルスが茶を口にした後だった。

 彼は目をきつくつむり、口を歪ませながらそれを喉の奥へ押し込んだ。


「なんだっ、この激烈に、辛いのは!」


 レグルスは舌への強い刺激にせた。ライラヴィラは慌てて台所へ戻ってコップに水を汲み、それをレグルスに差し出すと、彼は勢いよく飲み干して喉の刺激を収めた。


「おまえ、前にもクソ苦い茶を……って違うな、おまえじゃない、勘違いだ……」


 彼は大きく息を吐いて言い直した。

 向かいに座っていた勇者ディルクが申し訳なさそうに苦笑いした。


「忠告が間に合わなかったな。ライラには何度おかしな茶を飲まされたことか。これは青辛滅菌茶せいしんめっきんちゃだろう。ほんの少量飲むだけで風邪によく効く、珍しい薬茶だ」


 湯気から感じた目への刺激で気付いていたディルクは、口をつけてない湯呑みをライラヴィラに返した。


「ごめんなさい……」


 ライラヴィラは二人に謝って、来客用の緑茶を淹れ直した。二人は新しいお茶を慎重に口にしたが、そのあと美味しそうに飲み込んだ。それを見てようやく空いていたレグルスの隣の椅子に座った。彼らの顔を何度もうかがう。また失敗してしまった……これで何回目だろう。


「昨日、トラヴィスタの国王陛下に謁見して、今回の大魔王討伐のことを報告してきた」


 緑茶を飲んでひと息ついた勇者が、二人の顔を交互に見た。


「今回の功績を踏まえて、ジェイドに勇者の称号が贈られることになった」


 ディルクはレグルスに視線を合わせて、ひと呼吸置いた。


「そして、あんたにもだ、レグルス」

「何だって?」


 レグルスは眉をひそめる。


「今回、大魔王を討ったのは三人だと、遠くから見ていた者が複数いて、報告が上がってしまったらしい。あの騒ぎだったからな。それで問われて、仕方なく国王陛下に事実を伝えた。自分とジェイドと、もう一人だと」

「俺は魔界の魔族だ。その俺が大魔王を討つというのは、ザインとの約束を果たしただけであって、本来は謀反むほんを起こしたと断罪されて当然の行いだ。勇者の称号など受け取れん」


 レグルスは顔を背け、瞳を閉じて唇を噛んだ。


「あんたが魔族だということは国王陛下には伏せてある。いま知ってるのは俺とジェイド、ライラ、アイリーン、そしてフォルゲル様だけだ」

「三人だというならば、ここにいるライラに勇者の称号をやればいい。こいつが光魔法でザインの意識を戻したから、何とかなったようなものだ。何か不都合があるのか?」


 ディルクはレグルスの不快感をあらわにした態度を見つつも、話を続けた。

 どうしてレグルスに勇者の称号という話になっているのだろう。ライラヴィラは魔族である彼が勇者になるとは考えが及ばなかった。


何故なにゆえか分からないが、賢者フォルゲル様がライラは駄目だと、そうおっしゃってる。そして魔族であっても、あんたが勇者の称号に相応しいと」

「俺は絶対、そんなものは受け取らん!」


 レグルスは怒って立ち上がり、大きな音を立てて扉を開け放ち、賢者の家を出ていってしまった。


「レグルスは大切な親友を、約束とはいえ手に掛けたのよ。そんな称号、残酷過ぎる。わたしも称号なんて、いらない」


 友の命を奪うことになった彼の心情を思うと、胸が苦しかった。

 ライラヴィラはディルクがいるのも構わず、レグルスを追って家を出た。

 


 ◇ ◇ ◇



 レグルスは賢者の家の裏手にある、人が一人寝転べそうな大木の切り株に腰掛けていた。二つの腕輪を手に持ち、じっと見つめている。

 ライラヴィラは背中を向けて座っているレグルスを見つけると、そっと彼の近くに寄り、彼に背を向ける形で同じ切り株に座った。


「わたし、勇者の称号なんて、いらないよ」


 背中合わせの彼に向けてライラヴィラはそっと話しかけた。ただそこから何を続けて言えばいいものか、思いつかない。


「……そうか」


 レグルスは一言だけつぶやいた。

 夏の終わりを告げる風が森の木々を揺らし、濃い緑の葉がこすれる音だけがサラサラと聞こえていた。緑の向こうからは虫のかすかに鳴る。


「これは……ザインが身につけていた腕輪だ。あの場所に落ちてたから、拾ってきた」


 彼は背を向けたまま話し続けた。


「あいつには妻がいてな。俺とザインと彼女は同じ師匠についていた修行仲間だった。彼女にこの腕輪を持っていって、すべて打ち明けるつもりだ。俺があいつを手に掛けたと」

「そういえば、妻にって、声みたいなのが最期に聞こえた」

「ああ。ザインは彼女にベタ惚れでな、俺が彼女にあいつからの手紙を渡したりしたもんだ。全くシャイな奴で、まさかあんな姿に、なっちまうなんて……」


 レグルスの嗚咽おえつが聞こえてきた。

 ライラヴィラは彼にかける言葉が見つからず、背を向けて座ったまま、彼が落ち着くのを待った。


 夏の終わりだというのに、風が冷たい。鳥がギーギー鳴いて羽ばたく。

 遠くから鐘が鳴る音がかすかに通り抜ける。

 またしばらくして、彼はゆっくりと語りだした。


「大魔王とは、人界ライトガイアの連中は知らんだろうが、魔界ダークガイアを支えるための人柱なんだ」

「人柱って?」


 ライラヴィラは初めて聞くことだった。

 太古の時代、厄災を収めるために罪のない人間を生き埋めにしたという、むごい人柱の伝承は聞いたことがあったが、魔界には今でもそのようなことがあるのだろうか。

 大魔王とは、わたしが考えているものとは全然違う存在なのだろうか。


「ザインは魔界の最後の人柱になるつもりだったんだ。もうこんな悲劇は終わらせるんだと。だが万が一ということもあると、その時が来れば自分を手に掛けろと。半ば強引に約束させられた」


 切り株の背後からレグルスが立ち上がる気配がした。


「おまえの優しさに少し救われたかな。話を聞いてもらえてよかった」


 レグルスはライラヴィラには目を合わさず、背中を向けたまま賢者の家の方へ戻っていった。ライラヴィラは彼を追う気になれず、座ったまま悲しげな虫の音に心を沈めた。

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