偉大なる先輩達

@samayouyoroi

セキとリョク

「リョクいっちゃう!?」

その先輩は嬉しそうにそう言ったそうだ。


現代の我々は情報化社会などと呼ばれる世界に生きており、その利便性と引き換えに多様な価値観という名前の様々な制限の元に生きている。個人情報の名の元に、実はインターネットではその個人情報を登録しないと利便性の半分も活用できないという訳の分からない矛盾の元に疑問もなく暮らしている。


しかしつい数十年前まではそういう時代ではなかった。その時代はさほどの矛盾もない代わりにインターネットというモノもまだ黎明期であり、そして現代では許されざるべき横暴や蛮行が横行していた時代でもあった。


そのどちらが良い時代か?という問いがあるとすれば、それは個々の価値観としか言いようがない。しかしひとつだけ確実に言える事はある。その時代──バブル時代は確かに熱く面白い人が多かった。その残光だけでもひとつの逸話を為せる程である。


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私が彼らに会ったのは特定労働者派遣でその会社に常駐した時の事だった。当時の私は技術者など名ばかりの全く何もできない唯の青二才でしかなく、従って常駐先で直接指導を仰がなくてはならないという、一体何の為にそこに行ったのか周囲も自分も全く分からないという状態だった。


しかしそれが逆に幸いでもあった。当時はもう既にバブル時代ではなかったが、その常駐先の先輩方はバブル最後期の就職世代であり、その現代の常識からは大きく逸脱した様々な常識と怒声を以て、この何もできない青二才に遠慮会釈など全くない指導を敢行してくれたのである。


私を直接指導してくれたT先輩は、素晴らしい感性と会話の間の取り方をお持ちの方で、その会話の上手さはとても私の稚拙な文章では再現などできないが、この逸話の本当の語り部はこのT先輩なので、まずこの方がどういう方だったのかを説明しなくてはならない。なるべく緻密にひとつの逸話を紹介させて頂こう。


T先輩は最初に会った時には既に一児の父だった。そしてどんなに仲の良い若夫婦でも一緒に生活すれば気詰まりもするもので、つまりガス抜き的に奥様は実家に戻られる事もあったそうだ。そんなT先輩を私はある時飲みに誘った。


「Tさん、今日ちょっと飲み行かない?」

我ながら呆れてしまうが、当時私はT先輩に敬語など全く使わなかった。


「ああごめん。今日はダメなんだよねえ」

T先輩は微妙な顔で誘いを断ってきた。


「どして?」

不思議に思って私は訊き返す。


「明日、嫁さんが実家から帰ってくるからさあ」

T先輩は少し悲しそうな顔と声でそう言った。しかし私には意味が分からない。


「なんで?」

若くて敬意も言葉も持ち合わせていない青二才はそう訊いた。その言葉にT先輩は、苦笑だか微笑だか、或いは本当に面白がってるような、不思議な魅力的な笑みを浮かべながら私を見つめてぼそりとこう言ったのである。


「…俺の部屋になってるんだよね」

つまり今夜中に「俺の部屋」を「家庭」へと原状復帰しないと奥様が激怒する訳で。


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T先輩から聞いたバブル時代の逸話は面白おかしかったが、それは単に話術だけのものではなかった。例えばT先輩の同期にA先輩という方が居たが、このA先輩は存在自体が既に面白かった。


今でこそ会社で男が髪の毛の色を染めたり抜いたりするのはさほど珍しくもないが、そのA先輩は完璧に近い金髪で、男にしてはかなりの長髪であり、当時の常駐先が結構な大手であった事も手伝って、その容貌は一種異様な存在感を醸し出していた。


「あいつに話しかけたら絶交だからな!」

T先輩は裏でA先輩を指して周囲の同僚に半ば冗談でそう言っていたらしい。


ちなみにこれは本当であるかは判らないが、A先輩は昔水泳の選手であったらしく、髪の色は長年プールに浸かっていた影響でそうなったらしい。事実は今も判らない。髪型は単なるファッションである。


前置きが長くなったが、この逸話はそのT先輩とA先輩がある時一緒に中堅社員研修を受けた時の後日談である。


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「いやあ、もうひどくってさあ」

T先輩は相変わらず惚けるような笑顔で楽しそうにそう言った。


中堅社員教育のための研修はそれはそれは厳しかったらしい。その内容はほとんど中学校の林間学校並の自由度の無さに加えて、食事の質も量も大層悪かったそうだ。


「まあ、諸先輩方の偉功が、ね…」

T先輩は惚けるようにそう言った。


つまりT先輩やA先輩は当時の私の小さな常識を大きく凌駕する方々だったが、そのT先輩やA先輩のさらに先輩という存在は本物のバブル時代の英雄達であり、つまり「就活にアルマーニを着て行った」とか「ベンツで説明会に行った」とかいう伝説に登場する勇者達であった。その勇者達を中堅社員に再教育する為にかなり厳しい指導が実施されていて、その風習がずっと残っていたのである。


「とにかくメシがまずくってさあ」

T先輩はにこにこと嬉しそうにそう言うのであった。


そこで彼らは当然空腹を抑えるために自力で食料を調達しなくてはならない訳だが、山間の生活では街に降りて定食屋に行く訳にも行かず、その栄養補給源はロビーに備え付けられていたカップ麺の自動販売機しかなかったらしい。


つまり研修中の最大のご馳走はマルちゃんの赤いきつねか緑のたぬきしかなく、このふたつのどちらがより美味しいかは研修課題よりも大きな議題になっていたそうだ。


「やっぱたぬきっしょー」「いやあきつねでしょー」

中堅社員として会社の屋台骨を支えるべき人材の議論としては些か滑稽に思えるが、まず生物として栄養を確保しなくては中堅社員も何もないのである。


そしてこういう状況は必要もないのに妙な隠語ができたりもする。即ち赤いきつねを「セキ」、緑のたぬきを「リョク」と言い表し始めたそうだ。


「リョクいっちゃう!?」

A先輩は嬉しそうにT先輩にそう言ったそうだ。元々お互いなんとなく隔意のあった二人は、しかしこの悲惨な研修中は同じ驚異に晒される者同士として親睦を深めたらしい。要するにカップ麺どっち買うか?というだけの事ではあるが。


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研修から帰ってきてもしばらくは「セキ」「リョク」と言う事もあったが、生憎と当時の私の常駐先にはマルちゃんの自動販売機は存在せず、またそもそも都市部にある会社でわざわざ毎日カップ麺を食べる必要もないので、自然とその表現は廃れた。


今でもたまにコンビニなどでそれを見かけると、その独特の表現と共に古く懐かしく熱い時代の事を思い出す。たまにT先輩やA先輩に会いたいとも思うが、さてその後はどうなった事やら。現代の常識に晒された先輩方がかつてのままである筈がない。


しかし例えどうなられていても、或いは会えなくても、私の中に居るT先輩やA先輩はあの日の姿のままであり、それで充分だと思っている。


バブルも、その残光も過ぎ去ったが、思い出は今もなお色濃く残っている。

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