1-3 微睡の再会

 透き通った快晴は、絶好の入学式日和だ。まだ少し頬をなぞる肌寒さは残るものの、のどかな春の陽光の中、少し大きめの制服に着られた新入生が歩いている。


 かくいう僕もそのひとり。中学の時と同様に、成長するからと今の背丈よりも大きい、ややブカブカとした制服を着ていた。しかし、あまり身長が伸びず、最後までサイズが合わなかった中学の頃を思えば、たいして期待はできない。


 近くの海から潮の香りをのせた四月の強い風が吹くと、桜の花がヒラヒラと舞い落ちる。アスファルトの上を淡い桃一色に染めた光景は、ハリウッドのレッドカーペットならぬ、ピンクカーペット。僕たちをVIP待遇で歓迎してくれているみたいだ。


 粋なお出迎えを受けているのに、寝不足で気分の悪い僕は不安定な足取りで学校に向かっていた。フレッシュな新入生の中に、生ける屍が混じっている絵面だ。


 原因はズバリ、ドリドリだ。舞織に新曲が与えられ、上位報酬で新衣装つきのSRが手に入るイベントが開催されてしまい、寝る間も惜しんでスマホを叩いていた。舞織に性的な劣情を催す異教徒や、イベント上位を走ることだけにしか興味を持たない連中に、推しを渡すわけにいかない。舞織担当マネージャーの僕にとって、これは聖戦。絶対に負けられない戦いが始まった。


 新曲も舞織の新境地ともいえるクールな曲で、作詞も作曲もドリドリの仕事は初めてというクリエイターだったので、新鮮な気分でプレイしていた。高校進学前で時間はたっぷりあったので、社会人のマネージャーたちが働いている間も、僕はシャンシャンとノーツを叩き続ける。初日が終わった時点で二〇位以内に入っており、正義は勝つと高笑いしていた。


 しかし楽しかったのは最初だけ。振り上げた拳を下げることはできず、キリン並みの睡眠時間しか取らないで、ひたすらイベントを走り続ける。その結果、なんとか上位五〇位以内に入ることができたものの、ヘロヘロの状態で今日の日を迎えてしまったのだ。


 何かを得るためには、何かを諦める必要がある。マネージャーとしての正義を貫き、推しを手にする代償に失ったものは健康だ。残念なことに、新しい衣装を着て踊る舞織を見ても、今回ばかりは回復しなかった。


 イベント自体は昨日の夜までだったのだから、終わった後にぐっすり眠れたはずだ。しかし目は冴えて眠れそうになかった。朝日が昇るまで一〇年以上も前のゲーム実況動画を見てしまった。


 体調が最悪なのも睡魔が限界なのも、身から出た錆でしかない。もし僕が女子ならば、寝不足で荒れに荒れた肌に嘆いていたはずだ。こういう時、男の子でよかったなと思う。


 入学式を体調不良で休むわけにもいかず、爽やかな陽光と鼻をくすぐる潮風に包まれ、ふらつきながら歩いていた。


 校門の近くに来ると、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。新入生歓迎演奏といったところかな、少人数で春らしい爽やかな曲を吹いていた。奏でられるメロディは、まっさらなキャンバスを持ってきた僕たちに期待や不安の絵の具を与えてくれる。


 僕の手元にある絵の具はどんな色になるのだろう。はっきりしない頭で考えながら教室へと向かった。


 風高の近くには海が広がっているので、教室の窓からは、紺碧の海と遠くに見える島が一望できる。もっとも、授業中でも広大なオーシャンビューを楽しめるのは、窓際席の生徒くらい。名前の順だと真ん中くらいの僕の席は、不幸にも教卓の目の前で、青い海の代わりに目に優しい緑色の板がある。すぐに声の大きな担任の先生がやってきて、僕たちは入学式へと向かった。


 校長先生の話が長いのはどこでも同じらしい。中身があるとは思えない話を延々と続けている。

 もしかしたら部活動と同じように全国校長大会なるものが存在しており、あいさつの長さを競っていたのかもしれない。だとすると、似たような話を何度も繰り返すのはマイナスポイントだ。短い時間で要点をきっちり伝えてこそ、ワンランク上の校長先生じゃないかな。どうせ話が長くなるならば、生徒が聞いて飽きない会話構成を目指してほしい。さっきから起承をリピートしているだけで話にオチがない、と上から目線で批評して意識を保っていたが、とうとう限界がやってきた。だんだん遠くなっていく声に、ぐるぐる視界が回ってしまい──。


「ううん……?」


 気がついたら僕はベッドの上で横になっていた。天井にはひじきに似た模様が敷き詰められている。小学校の時も、中学校の時も保健室の天井ってあんなだったなぁと思う同時に、自分がどこにいることを理解した。どうやら入学式の最中に倒れてしまったようだ。


「やってしまった……」


 寝不足による貧血なのかな。入学式で倒れてしまうなんて最悪だ。


「良かった。目が覚めたんですね」


「え、あ。はい……?」


 スタートダッシュ早々やらかしてしまい頭を抱えていると、誰かが話しかけてきた。柔らかく甘い女の子の声だ。


 それも、どこかで聞いた記憶がある。ゆっくりと体を起こすと、声の主が心配そうに見ていた。


「へっ?」


 突然の雨に濡れたカラスのように、艶やかな黒髪だった。理想の黒と呼ぶにふさわしい、平安美人たちが憧れた黒髪のその下に僕の視線は向けられる。桜色の眼鏡に、ちょこんと泣きぼくろのアクセント。髪型も目の色も違うのに、あの日の幻と重なっていく。


 ああ、また夢を見ているんだ。僕はまだ、起きていない。さもなきゃあの人とまた会えるわけ、ないじゃないか。


「……です」


「はい?」


 あまりにも都合の良い夢が産んだ偶像に、僕は手を伸ばす。温かく柔らかく、やけにリアルな感触だ。


「えっ、あの?」


「好き、です」


「え、ええ!?」


 声にならないうろたえに込められているのは、純度満点の困惑だろう。カーッと頬を赤らめて戸惑う彼女は、返事なんて出来そうにない。でも十分だった。一方的に満足した僕は、また目を閉じた──。

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