第16話 揺れる王都

 ダンジョン開放から半日。王城に程近い法務宮に駆け込んできたのは、汗だくの衛兵だった。


「王城より、報告ッ!」


 法務宮は王国の政治的中枢。王の裁可が必要な少数の案件を除き、政治的な決定は全てここで行われる。

 本来は政治中枢であるはずの王城と切り離されたのは、政治能力のないお飾りの王が続いた結果だ。それも官職にある貴族たちが継承権争いに関与し、優秀な――傀儡になることを拒絶した――王族を排除したため。

 いまの王国は、法服貴族によって維持管理されていた。それは同時に、王宮との相互不干渉も暗黙の了解となっていた。


「……なん、だと? もう一度言え」


 法務宮での裁定権を持つ宰相の前に立ち、王城からやってきた衛兵は、しきりに汗を拭う。

 走ってきたからというのもあるが、青褪めた顔は恐怖と動揺を残している。


「はッ、王城で、原因不明の奇病が発生。衛兵二十四名、魔導師九名、使用人七十四名が錯乱状態です!」


 錯乱状態の意味がわからず尋ねると、衛兵は珍妙な動きを見せる。


「……なんだそれは」

「ですから、満面の笑みを浮かべて、この動きを続けるのです。会話は成り立たず、体力の限界を超えたものは倒れて痙攣を」


 手をゆらめかせ、上下に屈伸するような動作。それは子供がスライムの真似するさまに、どこか似ていた。

 ゆらゆらピコピコと大の大人が繰り返す姿はバカにしか見えないが、衛兵の表情は悲壮なものだった。


「恐ろしい……」


 隣で見ていた部下の官吏がボソッと漏らしたが、恐ろしいというより馬鹿馬鹿しい。だが、それだけに不気味だった。それは本当に病なのか、何かの呪いなのではないか考えたところで宰相はハッと我に返る。


「おい、王族は! 陛下は大事ないか⁉︎」

「……いまの、ところは。しかし、原因が不明では対処のしようがなく」

「宮廷魔導師はどうした! 呪術の痕跡がないか調べさせろ!」


 宰相の指示を聞いて、衛兵は反応せず目を泳がせる。その顔には、どうしようもない失望が現れていた。


「どうした。王族を守るのが宮廷魔導師の役割だ。その程度の事態は、自ら対処に動くのが当然だろう」

「はい。ですが奇病を、魔導師の闇魔法によるものと断定した、第二王子殿下が」

「……まさか」

「独断で、を」


 救済手段を自ら潰したか。なんと愚かな。宰相は罵倒の言葉を懸命に呑み込む。

 そもそも王族が愚鈍な俗物ばかりなのは、そうなるよう選りすぐってきたから。それを望んだのは、外でもない法服貴族とその門閥だ。


「王都の衛兵に通達。王城を封鎖、隔離しろ。誰も外に出すな」

「しかし、城内なかには、まだ……」

「命令だ」


 話は終わったとばかりに吐き捨てると、宰相は衛兵を置き去りにして立ち去る。いまに煩わされている暇はない。

 王族が自ら破滅に向けて動き出したというなら、それは彼ら自身の問題だ。病であれ呪いであれ、王城の住人が全滅したところでお飾りの王が差し代わるだけ。次の手駒は公爵領に控えている宰相夫人エルミール。継承権を返上していない彼女を女王に据え、自分は王配として国を動かす。それも悪くない。


「宰相閣下」

「わかっている」


 急な異変の原因を特定するなら、を疑うのが常道だ。


「ダンジョン爵が、何かを行なったのだろう」


 王城とて無防備ではない。よほどの毒や魔法でもない限り、無効化するだけの備えはあった。件の奇病とやらは、それを擦り抜けて発生したわけだが。

 宰相にとって、問題は“それが何か”ではない。それが“何を目的にしたものか”だ。


 宰相は法務宮の一階にある下級執務室に向かう。

 ふだんは緊急性も重要性も低い案件を扱う大部屋だが、いまはダンジョン開放に伴う特別対応の拠点となっていた。そこに詰めている下級官吏は、状況の把握と問題への対処を行ない、情報を取りまとめて報告を上げる。


 しょせん社会の最下層にある冒険者と偽貴族の化かし合いだ。どこで誰が何をしようと、どれだけのダンジョンやダンジョン爵が生き残ろうと潰されようと、王国にとって損失になどならない。だが、年に一度の大きな祭りとして大量の人と物とカネが動き、商工業が活発になることで国内の活性化につながっていた。

 この時期に動くカネの多くは、臨時徴税として法務宮に入る。その額は、秋の領地税に次ぐほどのものだった。

 領地税は地税だ。耕作面積と収穫高から算出され、多くは物納される。煩雑で非効率なものだ。

 対して貨幣のまま動くダンジョン開放の特別税は、法務宮にとって貴重な臨時収入と言えた。


「ダンジョンの状況はどうなっている」

「各ダンジョンの攻略は平均して二層から三層、大きな成果の報告も、大きな被害の報告もありません」


 中級官吏のイスラ子爵に尋ねたところで、返ってきた返答に宰相は眉を顰める。

 王国全土にある十三の公認ダンジョンからは、間諜や各種魔道具を通じて情報がここに集められてくる。その分析と資料編纂は下級官吏の役割、それをまとめて宰相に報告を上げるのは管理責任者である中級官吏の仕事だ。

 返答のように例年通りであれば、イスラが書類の数字を睨みつけたまま固まっているのはおかしい。


「懸念事項は何だ」

「奇妙なことがひとつ」


 イスラは冴えない痩せた中年男で、地位も家格も功績も低い。学者肌というのか貴族としての生存能力に欠けるところがあるが、頭は悪くない。それに加えて勘が鋭いのだ。誰も気付かない問題を、いち早く察知し対応を思い付く。


「正確に報告しろ。異常事態があったのはどこだ」

「王都から最も近い、エルマールです」


 ダンジョン開放からすぐに冒険者が押し寄せて、開始から一時間半刻で狭い入り口を発見、現在までに九十七名が内部に入っている。その後三時間一刻半で攻略されたのは二階層まで。

 いまのところ目立った成果も被害の報告もない。


「だから、奇妙なんです」


 そこでようやく宰相が問題の根幹を理解していないのに気付いたイスラは、いくつかの書類を指す。

 エルマール・ダンジョンを攻略する冒険者の、平均的な年齢と練度と人数、装備の状況。バラバラだが、共通しているのがひとつある。誰もが日帰りの軽装で、持ち物も小さな水筒や簡単な傷薬程度だということ。

 冒険者の足や乗合馬車なら、王都まで三十分四半刻で行き来できる立地のせいだろう。過去に死者を出したことがない、安全な初心者向けダンジョンということもある。気軽に入って、気軽に出てくる。それがエルマール・ダンジョンの売りだ。

 なのに、新しく開放されたそこは……


「誰ひとり、戻ってこないんですよ」

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