第12話 でえと

 休日は休日を満喫することに意味があってだな…。

「あのね、無理だったら、別にいいんだけど…」

 もじもじして下を向く姪っ子の姿を目にして自分の迂闊さに舌打ちしたくなった。

 いや、打たなかったけどね…。再度誤解されてはたまらない。さっきは表情に出たのか、それとも独り言が出てしまったのか…。いや、そもそも嫌だなんて頭の中でも言ってない。と自分に言い訳してみる。

「無理なんてことは、ぜんぜんない」

 ぜんぜんの部分を強調しておく。いくらわざとらしくて白々しくても白は切り通すのだ。

「そうだよ、そうだよ、無理なんてことはこのバカ息子に限ってはぜんぜんないんだよ。あんたも休みくらいはちょっと外に出て遊んできな」

 まったく悪口に続けて小学生男子にでも言うような言い草だ。リビングの隣、吊り戸棚で隔たられただけのキッチンから母親がまくし立てている。急に洗い物の手を止めて怖い顔で目配せしてくる。声に出さないように口を動かして何か言っている。

 いくら察しの悪いボクでもわかろうと言うものだ。外に出ない姪っ子(母親からしたら可愛い孫だな)に少しでも良い風に当たってもらいたってことなんだろう。まあ、母親も普段の日は頑張って気を使っているのは知っている。それがなかなか上手くいってないのも知っている。まあ、当たり前かもね。高校辞める事態までどうしようもなくなった息子に対してだって何もできなかったんだから、ボクよりひどい状態の今の姪っ子ちゃんは…、やっぱり手に余るか…。

 まあ、姪っ子ちゃん自身からどこかに行きたいって言い出したんだから、その絶好の機会を逃したくないって気持ちはわかる。

 ボクだって、それは逃したくないし、そんなこんながなくったって他ならぬ姪っ子ちゃんの頼みなんだから聞き入れないわけがない。(なんか婉曲した言い方だけど、性格だから仕方ない)

 食後のコーヒーを一口すする。苦味が少しだけ舌を刺激する。これで頭がスッキリするんなら儲けものだけど、鈍化した精神はこれくらいではびくともしない。

 まあ、それでも今日は気分がいい。たまにはいつもならやらないことをやってもいいかもしれない。

 なんだか知らないけれど、今日はグッスリ眠れた。いつもなら夜中に一度ならず二度までも何かの物音に反応して目覚めてしまうのだけど、今朝は起きたら朝だった。いやいや、起きたら朝なのは当たり前だ。こんなんで驚く自分の感覚が変すぎて笑ってしまう。

「…なにかおかしかった…?」

 今日はもう出かける支度を終えているのか、普段とは違ってジーンズにカットソーのシンプルな姿の姪っ子はコーヒー入りホットミルクに口を付けた。大きめのマグカップを両手で包むようにして持っている姿はなんとも女の子らしい。男子比率の多い我が家にとってはいつ見ても新鮮だ。

 突如として我が家は十代女子の暮らす家庭になってしまったんだな、とか実感する。こうやって気を使ってパジャマというかその代わりのスウェットなんだけど、そんなだらしない格好でウロウロすることはしなくなった。休日だというのに起きてすぐにジーンズとシャツとカーディガンに着替えたりしている。まあ、寝る格好としては見苦しいものじゃないのかもしれないけど、やっぱりね。

 とりあえず出かけるのは午後からにしてもらってコーヒーをもう一杯飲んだ。

 今日は本当に清々しい朝だった。

 こんな感じここ最近めったにないことだ。

 なんとはなしに昔のアニソンが鼻歌ででかかったけど、ヘンに(キモいとか?)思われそうだから止めた。

 その後は無言で歯磨いたり、髭剃ったりと仕事に行くのと同じ要領で身支度を整えていく。

「…休日つぶしちゃって…、ごめんなさい…」

 仏頂面なんてしてるから罰当たった。また誤解された。ウチの人間はここまでボクに注意を払ってくれたことなんてないからなあ。表情も気をつけることにしないとなあ。

 いや、違うか…。

「そんなに気にしなくていいよ。この顔は生まれつきだから。わかりづらいかもしれないけど、気分は上々なんだよ」

「そうそう、はなみたいなかわいい子とデートできるんだから幸せ者だよ」

 母親はモテない男に対して言うような昭和みたいなディスリをする。さっさと自分だけ用意を済ませて毎週恒例となっているフラダンスのレッスンに行くようだ。

 まったくお忙しいことで…。

 うむ、まあ、それなら予定は変更するか…。

「お昼は向こうで食べよう」

「うん…」

「ん?」

「ううん。なんかね、今日はおじさんローテンションだな、て…」

 そうかな…。やっぱり休日っていうのもあるのかな。体の調子がいいぶんそれと引き換えに心が落ち着いているというか…。ゆったりとした感じになってしまっている。

 もう少し引き締めたほうがいいのだろうか…。



 おお…、平日なのに人出があるなあ…。

 車で三十分も走らせると大きなショッピングモールがある。

 ここならお目当てのものがあるんじゃないのかな。

 それはまあ午後にでもしてもらって、着いたらお昼近かったから、とりあえず昼飯をどこにしようか相談した。

 どこか落ち着いたレストランにでもと思ったけど、たっての希望でフードコートにあるチェーンの讃岐うどんのお店で食べることになった。

 なんか讃岐うどんがどうしても食べてみたいらしい。うーん、もしかしたら今現在あの「うどんは女子力」とか言っているアニメでも見てるのかな。

 試しに聞いてみる。

「もっといいとこで食べたっていいんだよ。金ならあるんや」

「ううん、いいよ、大丈夫。なんかね、ふう先輩とか見てたら讃岐うどんが食べたくなっちゃって」

「そうか…」

 あのアニメはボロ泣きするよな、とか続けそうになって慌てて口をつぐんだ。どこまで見てるのかわからないのに、うっかりネタバレするようなこと言ってはいけないいけない。

 かけうどんの中にかけ放題の天かすとおろし生姜をたんまり乗せて、半熟卵の天ぷらを付けた。食の細い姪は同じかけうどんでも小を頼んで、天かすもおろし生姜も遠慮してちょびっとしか乗せなかった。でも半熟卵の天ぷらは旨いので勧めた。

 時間が少し早かったからか、フードコートの席はすいていて、割とゆっくりと昼食をとることができた。

 なんだか今日は食べ過ぎた感が胸の辺りまできている。朝が遅かった割に昼が早かったからかもしれない。

 食後は散歩がてらにだだっ広いショッピングモールの中を見て回ることにする。

 食べている間にここに来た理由はすでに聞いていて、内容的には腹がこなれてからの方がいい感じだ。

 とりあえず二階の真ん中あたりに位置するフードコートから、端っこの方に向けて歩き出す。

 洋服屋さんが多くて、あまり興味の持てるものはなかった。だいたい最近洋服なんて仕事に行くときの物しか買ってない。それも通販オンリーだ。もともと興味が薄いからそれでもぜんぜんOKで、逆にこんなやって洋服屋さんなんてところを見て回ると品物の多さに目が回る。

 特にマミの付き合いで女物の洋服屋さんを見て回った時はひどかった。あまりにカラフル過ぎて、目に直接飛び込んでくるみたいで…。

 今日も入り用があるのかと思って身構えていたけど、ぜんぜんそんなことする気は起きなかった。

 その予兆はお昼を食べている時からあった。

 それは唐突だった。

 同年代くらいの女の子達の声が聞こえた途端だった。それは本当にカラフルな色のついた声だった。

 はなの箸を持った手がピタッと止まった。そしてどんどん箸の先が揺れて大きくなって、手が震えて腕が震えて、このままだと体全体が震えるに至る前に声をかけることができた。

「ここは安全だよ。ここにはいないから」

 はなは数秒ボクのことを見つめると、ふぅと大きなため息をついた。

「うん…」

 一言呟くように言うと、また何事もなかったように食べ始めた。

 やっぱり…、やっぱりまだダメなんだな…。

 その後、店内を散歩している時も、同年代くらいの女の子達を見る度に背中から硬直している気配がわかった。

 だから、というか、それしか選択肢がなかったんだけど、出来るだけ明るめの方には行かなかった。ボクが行くような洋服屋さんはダークな色が多いし、それ以外は家電量販店とプラモデル屋さんと本屋さんを物色した。まあ、腹がこなれるのが目的なわけで、だから何も買うことはなかった。あんまり良い客じゃないなあ…。

 はなはなんとなく緊張した面持ちだったものだから、話すことも自分の昔話をつらつらと一方的に喋るだけになった。

 頃合いを見て…、そう、我が親愛なる姪っ子殿の調子が回復しているように感じてから…、それから遠くからなんとなくお店を見てすいているようなのを確認してから、今日のお目当てにたどり着いた。

 大規模にチェーン展開しているシアトル系カフェだ。

 ここが目的だとは聞いていたけど、何の理由があってのことかは聞かなかった。どうせ飲みながら話す話題はそれだろうから。

 本日のコーヒーをブラックでいただく。いつもはミルクドバドバの姪っ子ちゃんは本日は同じものを注文した。まさかブラックで飲むのだろうか。ミルクやキャラメルで山が作られているものがいいんじゃないかと思うだけどなあ。十四歳女子が飲むものとしてはね。

 ソファーのある席に座ってコーヒーを一口啜る。それだけで舌に美味いと感じる。コーヒーの良し悪しをうんちくを交えながら語れるような上等な脳みそは持ってないけど、美味いか不味いかくらいは判断できる。さすがに一杯の値段がウチで買っているコーヒー粉の袋半分の値段がするだけはある。

 今日のコーヒーはマンデリンということだった。なるほど、苦味がある。これを舌に心地よいと思うのは、コーヒーという飲み物を飲み慣れているからだろうね。

 チラッと正面に座る姪の姿を確認する。

 おお、なにを頑張っているのだろう。ブラックのままコーヒーを一口優雅に啜って顔をしかめている。そんなに無理しないで、家で飲むようにミルクをドバドバ入れていいんだけど。

「おいおい…」

「大丈夫…」

「大丈夫…、なわけないよなあ」

「ううん、ヘーキ」

「平気って無理しないで、ミルク持ってきてやろうか?」

 やっぱり二口目で降参したのか、眉をしかめたまま無言で頷いた。

 しょうがない。ミルクやら砂糖やらが置いてある場所から適当なものを持ってきてやった。さっそくやっぱりドバドバ入れ始めた。

「今日はいけると思ったんだけどな」

「なにが…?」

「コーヒーをそのまま飲むの」

「ブラックでか…?」

「そうか、黒いからブラックか…」

 神妙な顔をして、カップの中を見つめている。おお、なんと珍奇な場面だろうか。大人びた表情をして中学生の女子がコーヒーカップで悟ったようになるなんてね。

 こうなんというのか、大人の階段を一歩踏み出そうとしている瞬間に立ち会えているというか…。

 まあでも、ここはあんまりはしゃがないでおこう。

 おっさんはこれだからダメだと思われそうだ。

「…ここまで来て、そのなんというか、そのブラックコーヒーを飲みたかった、のか…?」

 姪っ子はまたもや神妙な面持ちでコクリと無言で頷いた。

 まったくどういう心境なのかねぇ。変わっているというのかなんというのか。

 いやまあ、ヒトのコトは言えないか…。なんかこうわき道に逸れたところに拘る辺りが血筋を感じてこそばゆいというか。

「オジさんの飲んでるコーヒーってあんまりにも苦いから、お店のとは違うのかなって思って」

 失礼であるなあ。生意気に評論めいた口調だ。ミルク色多目のを飲んでるくせに。

「プロの味はどうなのかと思って…」

 まったくもって失礼千万だなあ。

「それでどうでございましたか、おひいさま」

 朝に淹れているフレンチプレスよりはなんぼかスッキリした味わいで、さすがハンドドリップは違うと思うけど。果たして…。

「…よく、わからないね」

 両手に包んだコーヒーカップの中を覗いている。自分の姿が写っているに違いない。心がぴょんぴょんするかな。

 まあ、程遠い表情だ。哲学的命題を解き明かしそうな趣きすらある。

「同じくらいに苦く思える。こうね、小説とか読んでるとね、その苦さの中に甘みがあるとか、芳醇なものを舌で転がしているとか書いてあったりするけど、まったく…」

 実に素直でけっこうなことだ。こればっかりはたぶん「大人になれば舌が変わる」というのを待つしかないのかもしれない。

 それは感覚が鈍麻するってことなのか、経験値が上がってしまったということなのか、もう変わってしまったボクには見当がつかない。

「ま、好き好きってことで納得すればいんじゃない…?」

「うーん、そうなのかな」

 納得はしないようだ。それもそうかと思うけどね。

 本当、こればっかりは時間がなんとかしてくれるしかない。あまりある時間を過ぎてこそ手に入れるものなのかもしれない。

 そうだねぇ、あえて思い出さなくても、若い頃は納得のいかないことが多かったよな、こんな感じで。

 特に十代の前半くらいなんて、ただただ刺激に過剰に敏感で、思考がそれにぜんぜん追いつかない、そんな季節だったように思う。

 そんな脳の在り方が、なんか羨ましい。すべてが消失してしまったようなボクからすれば、やっぱりそれは大切なもののように思える。

 いやあ、やっぱりこれはオジさんの夢想ってやつかもしれない。

「コーヒーがね…」

「うん…?」

「ブラックコーヒーが飲めるようになったら…」

 姪っ子の眼差しがいつにも増して真剣で、コーヒーの暗い表面に映る自分自身に語りかけているように見える。

「…もしかしたらいろいろなことが気にならなくなるかなって…」

 そうか……、

 繊細な感覚に連なるナニモカモを、たぶん積極的に捨てたいんだな……。

「まあね……、大人になってコーヒーなんか飲めたりなんかしても、すべての苦いものに耐えられるわけじゃないんだけどね……」

「そっか……」

 残念そうに呟いたけど、それでも何か納得したような表情をした。

 なんだかとっても謝りたい気分に襲われる。それでも何も言わなかった。

 しばらくは二人して色の違うそれぞれのコーヒーをただただ黙って飲んだ。

「オジさん」

「ん……?」

 コーヒーも残り少なくなってきた頃だった。

 上目遣いで覗き込んでくる。今日はおろしている長い髪は艶やかな黒で、手櫛で後ろにスーッと流した。

 なんだか十代のあの頃に戻ったしまったみたいに一瞬だけドキッとした。でも残念ながらおっさんのボクはそれは一瞬のことだけでそんな艶姿にやられることはないんだね。

「わたしたちって周りからどう見られるかな?」

「ああ、親子だろ?」

 間髪入れずとはこういうことだな。

 どう考えてみてもこれしかないし、それ以外には、どう見ても思われるわけがない。

 だいたいこの二人を見てオジさんと姪が二人でいることを想像できたら、それはその人がヤバイなあ。超能力というか、妄想が過ぎるというか。

「ちぇっ、歳のものすごく離れた恋人とか夫婦とかに思われないかな」

「思われないよ、ぜったい」

「オジさんに合わせて大人っぽいシンプルなものを着てきたのに……」

 ああ、それでこの格好か……。大人か……、大人ねぇ……、大人っぽいのかねぇ……。

「そんなボクなんかみたいなのと……」

「だってオジさんくらいの歳の人と付き合うってことは二十歳は過ぎているはずだし。それともさんじゅうだいかな?」

 うーん、そんな無理しなくてもね。

 あんまり大人の階段を大急ぎで上らなくてもいいだけどな。時間ってやつは平等主義者で、残酷って言ってもいいくらいイヤでも向こうからやってくるからね。

「そうだな……、あと十年もしたら大人になるんじゃないかな」

「……、オジさん、それは当たり前」

 ジト目で迎えられてしまった。



 その後は、茶店に併設されている本屋になんとなくよった。まあね、行くところがここくらいしかないというのか、なんというか。まあまあボクらしいというのか……。

 買いたい本はあまり見つけられなかった。でもでも、収穫はあった。姪っ子ちゃんが異世界転生モノのラノベを購入したのを見届けることができた。うん、なんか順調にイヤなオヤジになってるなあ。

 そんなこんなでもう完全に他にやることもなくなったから、後は帰るだけになった。今日一番の重要な用事も済ませたことだし。

 本屋を出てモール内をぶらぶらと歩き出す。確か駐車場はこっちの方に停めたはず……。姪っ子ちゃんがすぐ後ろに付いてきているのは確認済み。まあね、もう中学生なんだからそれほど気にすることもないんだろうけど……、さっきみたいなことはたぶん稀だろうし……。

 数メートルは行ったと思う。

 急に背筋に悪寒のようなものを感じた。イヤ違う。ダメだな、これでは。ボクという人間がこのような感覚を感じたならば、こう表現するのが正しいというものだ。アムロくん。 きらりーん。額に小さな稲妻が走った。まるでNTみたいに。

 それはたぶん予感めいたものだったのだろう。未来予知とかみたいな。これから起こる出来事のための用心をせよ、という。

 しかし用心なんてできる余裕はなかった。

 それはすぐに、まったく数秒後に、現実となって目の前に現れたのだ。

 ほんの最初それは景色の中の違和感として捉えていた。何気ない動きだった。最初はそう感じたんだと思う。

 でも、何気ない動きは、こんなにも素早くてぎこちないものなんかじゃないんだ。

 脇の店頭に立っていた人物だった。

 その人物はまるで驚天動地な出来事を目撃でもしたようにびくっと体を震わせた。

 それは、ボクを見て、それがボクと確認した瞬間に起こった。目と目が合った瞬間に。いや、ボクだけのことじゃない。その後ろを、ボク達を見ての行動なのだろう。

 品定め途中の持っていたハンドバックを結構な勢いで落とした。ボサッと。

 なんか手が震えている。体全体も震えている感じだ。

 引きつった笑顔が作られた。口元から歯列矯正の金属が見えた。

 見知った人間だ。職場のバイトの後ハイ、真面目な女子大生。名前は……、

「セ、セ、先パイ……、き、奇遇ですね。こんなところで」

「まあ、そうだね。奇遇といえば奇遇かなあ。買い物かい?」

「はい……、その……、あのですね……」

 休日なのに真面目さが伝わる女子大生というのも珍しいものだが、その徹頭徹尾真面目な後ハイは、ボクを見てあからさまに動揺していた。しどろもどろを隠せない感じだ。

 視線は彷徨いがちで、ボクをちゃんと捉えられていない。いや、ボクを捉えているわけじゃない。明らかにボクの隣を意識している。

「先パイ、そちらの方は、先パイの、その、お嬢さんですか?」

 あ! そうか! しまった! ぬかった……。そうだった。今日は独りではないんだ。

 隣には姪っ子ちゃんが肩を並べるようにして立っている。まあ、距離は近いかな。近いな。そう、これは肉親の距離だな。

 どうするか……。説明するとなると原稿用紙百枚では足らないくらいなんだけど。

 ……うーん、どうしたものか。別に娘として紹介してもいいんだけど。はながどう思うかだよなあ。微妙なお年頃だし、経緯が経緯だからなあ。

 横目でちらっと見る限りでは、やっぱりちょっと微妙な顔をしている。

 そうだよなあ。こんなあか抜けないむさ苦しい男がお父さん言うのはイヤだよなあ。そりゃあ、わかる。ボクは若々しさってものが足りないからな。

 どう説明するかなあ。

 姪と伯父さんが仲良くモールでショッピングなんて奇跡が今この場で起きてるなんて誰も信じてなんかくれないだろうし。

 どうするか……。

「あのね、これね……」

「お、お休みのところを失礼しました」

 大仰におじぎをすると、女子大生は大慌てで、そうまるで逃げるように小走りで走り去ってしまった。鈍くさいようでいてけっこう速い。

 まったく取りつく島もないというのはこういうのを言うんだな。

 というか、改めて考えてみると、これはこれでなんとなくマズくはないだろうか。

 やっぱり……、即答で娘だって答えた方が良かったかもしれん。こっちも合わせるようにシドロモドロになったのが余計にあらぬ誤解を生んだのかも知れない。

 この二人を端から見て、親子じゃないと知ったらどう想像するだろうか……?

 オジとメイなんて超能力者でもないとわからないはずだし……。

 想像力過多というか情緒豊かだからなあ、あの娘は……。なんかパパ活とかに見られていたらモンダイだよなあ。ヤバイかな。マズイかな。

「オジさん、今の人……」

「なあ、ボク達って何に見えるかな……?」

「……」

「……」

「……親子でしょ」

 まあ、そうなんだけど……。

 なぜだか姪っ子ちゃんにジト目で見られてしまった。



「なにをそんなにプンスカしてるんだ?」

「してない!」

 にべもない。即答だ。

 歩くスピードが速い。振り向いてもくれない。これはこれは相当なものだ。

 どこが悪かったというのだろう。あの後ハイの女子大生が去っていった辺りから雲行きが怪しくなって、今じゃご機嫌が完全に斜め四十五度だ。

 いやまあ、あれが原因なのは確かだろうけど、あれの何が原因なのか皆目検討がつかない。あれはボクの人間関係に置いての誤解に基づく事実誤認がなされただけの話ではないのか。

 姪っ子ちゃんにしてみれば、ただ目の前で若い女性が慌てて逃げ去っただけのことで……。

 やっぱり十代の女子にはなにか気になることがあったのだろう。

「いや、なにか知らんけど、ごめんな。さっきの人は仕事先のバイトの大学生でね……、なにか、ちょっと勘違いしてるんだよ」

「勘違いじゃないよ」

「……へ?」

「勘違いなんかしてない!」

 どかどか歩いていたはなは急に立ち止まると、なにかを堪えるように肩を震わせている。

 俯いていた顔を上げるといきなり振り向いた。キッと睨みつけてくるその目に涙が溜まっていた。

「オジさんもパパとおんなじだ!」

 それは弾劾であった。糾弾であった。世の全ての中年男性に対する怨嗟と告発であった。

「オジさんも若い女の子と付き合いたいんだ!」

 ……至言だ。まったくもって至言過ぎて声も出ない。

 実際そうとも言えるし……、しかしそうとは言えない。(気もしなくはないというか)

 その至言はこんなボクにも当てはまることではあったし、今となっては当てはまるものではない。

 昔の、そうちょっと前までのボクならそうだったのかもしれない。まだ独身であるからして、そういう若い女の子との出会いがあって、あーだこーだがあって、ということが起きたっていいじゃないかと思わないでもなかった。

 ま、あの頃は、若かった……。

 でもなあ、今となってはなあ。病気になってからはなあ。どうだろう? どうなんだろうねえ、男として……。

 あ! やばい……。そんなこんな韜晦なんてしてる場合じゃなかった。

 はなちゃんが……、あのかわいらしい姪っ子ちゃんの肩がぷるぷるしている。

 やばいなあ。

 だんまりしていたボクは何も言えずに呆然としていると見られているのかもしれない。あまりにも真なる真実を突きつけられて。

 これはいかにもマズイなあ。

 はなの目には涙が溜まっている。本格的に泣き出しそうな気配だ。

 はなの立場からすれば、ボクの行為(?)は信頼を裏切るものだったに違いない。

「あ、あのね……、はなちゃん、冷静に」

「いまさら名前で呼んだって!」

 えぐえぐした感じなのに鋭い言葉だ。

 確かに今更だ。

「あ、あのう……」

 そんな時だった。これはお約束の常道だ。

 救世主なのか、悪魔なのか。

 仁王立ちしているはなの後ろの方から、あの後ハイの女子大生が現れた。

 いい場面での登場なんだから颯爽と現れればいいのに、本人の性格故かおずおずと遠慮がちだった。

 まったく……、こんな状況を作り上げておきながら華麗にとんずらしていってからに。

 なんか恨み言が出てきてしまった。

 はなはその声で後ろを振り向いた。すべての元凶だと思っているのか、動作に怒りが込められている。

 後ハイの女子大生くんは一瞬びくっとした。はなの涙ぐんだ鋭い視線を受けてのことだろう。

 でもその後がなんかいけない。予想の斜め上をいっている。

 冷静に客観的に見ると、なにやらこやつにやけているように見える。ぱっと見、そんなに変わっているようには見えないけど、いつもの真面目オーラが剥がれている雰囲気だ。なんというかくだけた、いやくずれた感じになっている。というのか。

 そうだな、擬音というかそんなものにすると、今の後ハイちゃんはデヘヘという感じか。

 やばくないか……?

「あ、あの……」

 言ったきり、一呼吸おいている。ためが長い。それだけ感極まっている感じだ。

「お、お嬢さん! お、お友達になってください!!」

 思いっきり深くお辞儀をして右手を突きだしている。交際の申し込みをするように。

 いや友人でも交際というから、そうだな、これはプロポーズか……。なんというのか、大時代的なオーバーな振る舞いというのか。お嬢さんときたか……。

 はなは完全に気勢を削がれたみたいだ。「へ?」という間抜けな声がしたかと思うと、ぎこちなくロボットみたいな動作でこっちに振り向いてくる。困った情けない顔になっている。

 まあ、いい気味である。勘違いした罰であるよなあ。

 だいたいボクを侮ってもらっては困る。はなの父親、我が不肖の弟と違ってボクは徹頭徹尾モテないんだ。そのモテなさぶりは自分でも感心してしまうほどだ。アイツみたいに若い部下なんかと不倫するような関係になるわけがない。いや間違えた。できるわけがない。

 おお、盛大に韜晦と自虐が混じっている。まあ、悲しいけどこれ現実なのよね。

 ホッとはしてるけどね。

「オジさん、どうしよう……」

 いつまでもお辞儀しながら右手を突きだしてくる後ハイちゃんに、はなはきょろきょろと周りを見回している。まあ、人気がないのが幸いだ。とは言っても少ないながらも人は好奇の視線を向けてくる。

 はなは顔を真っ赤にして困った顔のまま、そそくさとボクの後ろに隠れてきた。

 こんな状況は耐えられないよなあ。まあ、ボクも驚いたけど、こんなバカげたやり取りはマミとのことで慣れているから、まあいいやって気分でいる。

 ただはなには酷かもしれない。こんな状況はどの程度の酷かはわからないけど、恥ずかしい状況には違いない。黙って隠れさせてやるのが情けというものだ。

「これはいったい、どういった趣旨なのかな?」

 いつまでも固まった刻の中にいるのもどうかと思うから、ここはこの場の最年長が心を砕いてみようと思った。

「ああ、先パイですか。先パイのお嬢さん可愛いですね、先パイに似てなくて良かったです。それでですね、あのですね、先パイ、お嬢さんをください! あ、じゃなかった。友達になってもいいですか!」

 微妙に前半部分が失礼であるな。それでいて後半は不穏当な発言だ。後ろのはなの気配がなんだか怯えたものになってきている。ま、こうなってはいつまでも面白がっているわけにはいかないなあ。

「あのねえ、なんかいきなりな展開だからちょっと言っておくけど、初対面の相手からいきなりそんなこと言われて、フツーはヤバイとか思うよね。想像できないかなあ?」

 最初なにを言われたのかわからない感じでキョトンとしていたけど、面白いことに急に後ハイちゃんの顔が変わってまさしく縦線が表れた感じになった。手足をわたわたと大きく動かし出して慌てふためいている。

「す、すいません、すいません。わたし、なにやってるんだろう……」

 そしてペコペコと謝りだした。その誠実な雰囲気はいつもに戻っている。

「先パイ、いやお父さん、色々とお騒がせして申し訳ありませんでした」

 なんか訂正して話を捻らせるのはこの場になってどうかと思うから曖昧に頷くだけにした。お父さんのお兄さんだから、まあ、似たようなもんだろう。

「あ、あのですね、わたし、あの、一目見て、あのその、お嬢さんのことが好きになってしまって……。ああ、あのですね、好きというのは別に男の人に対するものじゃなくてですね、それはラブというよりライクな感じというか、それともちょっと違う感じなんですが……」

 おいおいなんかまたおかしなスイッチが入っちゃったみたいだ。こう上滑りするように早口になったら要注意みたいだ。

「そ、そのですね、なんというか、常々妹みたいな女の子とお友達になりたいなって思っていまして。あ、実際には妹がいなくて一人っ子なので、ただの願望なんですけど……」

 なんだかいったいなにをいいたいのかわからん。願望と言うより妄想?

「そ、それでですね、すごく妹にしたい女の子が目の前に急に現れたので、なんか神様ありがとうみたいに舞い上がって、それでなんかいつもの自分じゃないくらいドーヨーしてしまって……」

 ま、ドーヨーというのは今で続いているようだけど。それを指摘はすまい。もうここまで来たら全部吐き出させるほうがいいに決まっている。反論やら何やらはその後のことだ。

「そ、それでですね、あの、さっき慌てて逃げるようになっちゃって、ちょっとなんというか、勘違いされちゃったかななんて、後から気付いちゃって……」

「勘違い?」

「はい。まったくの勘違いなんですよ」

「なにが?」

「そう思われていたら不本意なんで」

「だから、それはどういう」

 なんかちょっとイライラしてきた。その申し訳なさそうにする歯切れの悪さはその先にイヤな気分が待ち受けてるに決まっている。経験上。

「だからですね……」

「うん……」

「だから、あの時あんな風に逃げてしまったのは、先パイのことが好きだから娘さんがいるのを知って動揺したわけじゃないんです。誤解されたらイヤなんです! 先パイのことはこれっぽっちも好きじゃないんです!」

 いや、あの、誤解、してないよ。してない。そんな、念押ししなくたって……。

 まったくもってボクはモテない。改めて本人から否定されるんだから。

 はなが誤解したようなことは、まったくないと本人が否定しに来てくれた、ということだ。ご丁寧なことだ。

「あのですね。だからですね、お嬢さんに誤解されたらイヤだなって思って追いかけてきたんです。ただお嬢さん見たらなんかまた舞い上がってしまって……。わたしが好きなのはあくまでもお嬢さんであって、それを正確に伝えたくて……」

 はいはい、トドメを刺さなくても死んでますよ。

 後ハイちゃんはもじもじしてボクの背中を気にしている。伺っている。背中に隠れている一目惚れの相手を……。

「まあ、君の言いたいことはわかったと思うよ、たぶん」

 背中で感じる雰囲気がほんの少しだけ緊張が解けたような感じがした。

 それはまあ彼女に気を許したわけじゃなく、コトの顛末が知り得たからに違いない……。


 そして数回のお辞儀を残して、今度は本当に後ハイちゃんは去っていった。後日、ちゃんと挨拶をしたいということだ。ちゃんとってなに?

「……オジさんの嫌疑は晴れたね」

「嫌疑なんて最初からない」

 いなくなった途端、後ろから出てきたはなはボクの前に回り込んでニヤッと笑った。

 まったく……。

「オジさんはぜんぜんモテないんだね」

「そうだな、それには自信がある」

 本当だ。今日のこのことはその自信を強固に上塗りした。心がばきばきになるくらい。

 それにしてもなんか楽しそうに大人をからかうはなに、少し水を差してやった。

「ま、ボクはモテないけどね。はなはモテモテで羨ましいかぎりだよ」

 冗談の波長を口調に込めていた。でもはなはそこに冗談ではすまないものを見つけてしまったみたいだ。

「そうだ。オジさん、どうしよう?」

 その急に困った顔になる姪っ子を見て思う。

 ま、これも人生だよ。

 なんとなくだけど、いい友達ができそうな予感がする。たぶん。


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