第10話 けっとう
親から子へ、子から孫へ続いていく。
競走馬、サラブレッドは脈々と血を受け継いで今に至る。今いる競走馬の血統をずっとたどっていくと、三頭の始祖まで遡ることができる、という。
そしてその血脈はなにを運んでいるのか?
速く走る力だ。どのように速く走るかはそれぞれあると思う。例えば単純にスピードとか、それからタフなスタミナとか直線で踏ん張る勝負強さとか。でも追い求めた末に体現させようとしている力というのは究極的には速く走るための能力だろう。まあ、それは一般的に言われている、つまりは巷間に流布していることではあるのかもしれないけど。
本当かいな……。
馬は、まあ走る能力が繋がっていくというものであるからいいのかもしれない。人間だと何を繋げていくのものなのだろう。世の中でいういい能力というものは受け継がれていくものなのだろうか。まあ、なんか運動能力とか頭の良さは遺伝的なもの、才能というものが大きく関わっているように見えたりする。
うーん、でもまあ、それも努力次第でってところがあるのかもしれない。努力も才能って言葉もあるしね。
視力は、けっこうな確率で伝わっていくような気がする。母親は近視で、ボクも近視だ。ただ父親は目がよくて弟も目がいい。伝わり方がなんか均等じゃない。あとは体型とか……。母親の実家はずんぐりむっくりした体型だけど、父親の方は痩せ形だ。ボクは母親の方で、弟は父親の方で。ああ、後は頭髪問題だ。母親の父親、ボクにとってはおじいちゃんは若い頃から頭は禿げていた。しかし父親の父親、向こうのおじいちゃんは死ぬ時まで白い髪の毛はけっこうふさふさしていた。父親も禿げてないし、弟もそうだ。なんか血統の配分に悪意を感じるのだけど。
まあ、身体的な形状は仕方ない部分ではあると思うよ。どうしようもない。諦めは十代のとき、二十代のとき、三十代のときとそれぞれ付けてきた。
しかし四十代で降りかかってきた問題は、諦めると死に直結するような問題だった。
確かに、母親の母親、おばあちゃんもそうだった。母親も叔母もそのけがある。しかしこんなのが遺伝するとは思いもしなかった。
ボクの血統には血糖の異常が出る要素がある。たぶん。
普通に生活していた。普通に食べたり飲んだりしていた。確かに仕事が不規則だったから運動は疎かにしていたとは思うけど、それはみんながそうだと思う。ラーメンは好きじゃないし、カツ丼の類もそんなに食べに行かなかった。ケーキバイキングなんて一度も行ったことがないのに。
病院に行ったときには血糖値というか、ヘモグロビンA1cという値がそうとう高くなっていた。
その、世間に言われる糖尿病ってヤツだ。
まったくね、悲しい……。
まだそれでも良かった。おばあちゃんのようにインシュリンの注射を打つわけではなかったから。薬を飲むだけで今のところすんでいる。
それは、でも、ひどい症状が比較的すぐに出たからだし、ボクが怖がりだったからそれですんだにすぎない。
あのまま、あの状態のまま、我慢していたらどうなっていたのか……。目を持っていかれたか、足を失っていたのか、いや命もなかった……。
異様な喉の乾きから始まって、だるい、動けない、動いても淀んだ油の中を這いずるみたい、水を飲んでも飲んでも乾きが癒えない、おしっこにいつもいっていてフラフラして、やせ細っていった。体重が中学二年生のまだ子供っぽかった頃まで落ちてしまった。痩せたとか喜んでいたのは最初の内で痩せ方の急激さは異常だった。
視界がいつも暗い感じで、息をするのも辛かった。
ボクは会社の椅子に座って、もう死ぬならここで死んでも仕方ないか……。と自嘲した。目が回って耳鳴りもひどかった時だ。
でも、苦しいのを我慢していられるのも、それが最後だった。ボクは限界の限界、そのキワまで我慢できる人間ではなかった。
金銀妖瞳の美男子の帝国の双璧と謳われた高級将校の死に様が格好良くて憧れていた。死の寸前まで端然としている姿に、ボクも死に際には潔くしようと心に決めていた。いやその人までとはいかなくても、あの嫌われ者の義眼の軍務尚書の死に際でもいい、じたばたせずに剛毅に死を向かい入れようと、そう思っていた。
でも……、
でもね、無理。そんなのほんと無理。一ミリもできない。
もう病院へ駆け込んだ。間一髪だった、かも。
死のドアを見ただけで、もう竦んでしまった。縮み上がった。ぶるった。もう涙と鼻水を垂れ流して懇願して、お願いしますと泣き叫んでしまいたかった。
その結果が、これだった。
「また? そんなに見つめてないでいいかげん早く薬を飲みなよ。いつもなんだから」
生意気盛りの姪っ子ちゃんはボクが薬をちゃんと飲むかどうかを監視している。いつもの朝だ。
「わかってるよ、飲みますよ」
そう、いつも薬を飲む前には、こんなことを思っている。
競走能力が伝わるのだったら良かったのにね。
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