第53話 魔族の地

 俊夫とレジーナは、ブリタニア島のドーバーまで来ていた。

 この街に来ると空気が変わった。

 明らかに人外の者、魔族ともいうべき者達が至る所にいたからだ。


 それでも、人間やドワーフといった種族もそれなりにいる。

 彼らは交易に来ていたり、この街に店を開いている者達だ。


「意外と人間がいるんだな」


 俊夫の言葉に、レジーナは暗い顔をする。


「観光客ならいいんですが、彼らは魔族の死体を買取に来ているのです」

「物好きな奴等だ」


 俊夫は興味を惹かれないが、他の者には宝物のような存在だった。

 この国に住んでいる魔族が死んだりすれば、それは貴重な素材となる。

 それらを買い取る機会を逃さないように滞在しているのだ。


 大陸にいる魔物からは取れない物は特に貴重だ。

 死体を売り、その金でこの国無い物を買う。

 必要な行為とはいえ、それを嫌う者は多い。

 そういった死体に群がる者達を、レジーナもよく思っていなかった。


 俊夫はそんなレジーナの心境など気にする事なく、街を眺めていた。


(魔族の国なのに、街の見た目は他と変わらないな。背中に羽が生えてたり、手足が多い奴が歩いているってくらいか)


 もっと特徴的な建物があるのかと思っていたが、建物は人間の国と変わらない事にガッカリしていた。

 観光目的といっても、魔族を見に来ているのだろう。

 他に見る物がない。


 俊夫がそう思い、周囲を見るのに飽きてきた頃。

 それは起こった。


 背後から、何者かに抱き着かれたのだ。


「パパーーー」

「はぁ?」


 子供に背後から声をかけられる。

 それも、予想外の言葉で。


 俊夫が背後を振り向くと、10歳くらいの黒髪の少年が抱き着いていた。

 背中に真っ黒な翼が生えているので、ただの人間ではないのだろう。


「なんだ、お前は!?」

「パパ、会いたかったよ」


 少年は感動の涙を流している。

 けれども、俊夫にはこんな子供に付き合ってやる義理はない。

 振りほどこうとするが、子供のクセにやけに握力が強い。

 素の力では俊夫よりも強そうだ。


「ジャック、やめないか。手を離せ」


 額に角を2本生やし、紫色の肌をした鬼のような大柄な男が現れた。

 ジャックと呼ばれた少年の手を外そうとするが、鬼のような男でもなかなか外せない。


「おい、なんだこのガキは」


 俊夫はその男にジャックの事を聞く。


「すいませんね。母親に旦那のような恰好をしてる人が父親だって聞いたらしくって。今までにも何人かに抱き着いて離れなかったんですよ」

「違う! 本当のパパなんだ。今までの偽物とは違う! 髪の色だって一緒だ!」


 ジャックはローブをしっかりと掴み、俊夫の背中に顔を引っ付けている。

 絶対に離れないという意思表示だろう。


(おいおい、勘弁してくれよ。いきなり流血沙汰じゃ、魔族だって引いちまうじゃねぇか)


 この面倒なガキを殴り殺そうかとも思ったが、人通りが多い。

 かならず、どこかで噂が流れる。


”魔神が魔族の子供を殺した”と。


 魔族の倫理観など知ったことではないが、それでも相手が悪い。

 大人であれば無礼打ちだとかで済むかもしれない。

 だが、子供相手にムキになるのは大人げないだろうと、俊夫も少しだけ思う。

 これから戦争に導くなら、人の上に立つ器という物を見せねばならない。

 クソガキ一人のために、面目を捨てるわけにはいかないのだ。


「なぁ、あんた。良ければウチの店で食ってかねぇか。人間向けの料理屋だから、安心してくれていい。少しすりゃ、ジャックも落ち着くんだ」

「そうか……」


 ジャックは飲食店の下働きなのだろう。

 もしかすると、父親を求めて人が多く行き交う街で働いているのかもしれない。

 俊夫は優しい笑みと声で、ジャックに声をかける。


「なぁ、ジャック。もし良かったら、働いている姿を見せてくれないか。ジャックの働きっぷりを見てみたいんだ」


 その言葉でジャックは子供らしい無邪気な笑顔を見せる。

 ガッチリ掴んでいた手も放してくれた。


「うん、わかった見ててよ。絶対見ててね」


 ジャックは涙を拭いて、近くの建物へと向かう。

 そこが食堂なのだろう。

 俊夫はジャックが中に入るのを見届けると、レジーナを連れて立ち去ろうとする。


「ちょっと、ちょっと旦那。ジャックの働きっぷりを見るんじゃなかったのか」

「えっ、なんで?」

「なんでって……」


 鬼の男は絶句する。

 いくらなんでも、子供に希望を持たせて落とすのは酷い。

 魔族とはいえ、普通の感性を持っている者にとっては、酷すぎる行為に思えた。


「そうですよ。少し店に寄っていくくらい良いじゃないですか。あの子が可哀想です」


 比較的マトモな考え方をするレジーナが、俊夫を咎めるような視線で見ている。


「なんだ、お前は子供が好きなのか?」

「子供は宝です。嫌いな人なんていないでしょう」


 そう答えるレジーナの尻を掴むと、俊夫はニヤニヤと粘着質な笑みを浮かべる。


「そうかそうか。あんなに嫌がってたのに、やっぱり母親になりたかったんだな。ははーん、さては料理で家庭的な女をアピールしてたってわけか?」

「い、いえ。そういうわけでは……」


 俊夫が魔神だと打ち明けてからはマシになったが、それでもレジーナの混血児に対する心理的抵抗が無くなったわけではない。

 魔神との子なら光栄なのかもしれないが、偏見はすぐには修正できないのだ


「まぁ、少しくらいなら良いか。上に立つ者として、下々の生活も見てやらないとな」


 魔神だからといって王のように振る舞えるかわからない。

 にも関わらず、俊夫はすでに支配者として傲慢な態度が表れ始めている。

 すでに王として君臨する気満々なのだ。




「軽く食べられる料理を頼む」

「ジュースもね」

「うん、わかった」


 結局、俊夫は食堂に入る事にした。

 純粋に魔族の食べ物がどんなものなのかという興味もあったからだ。

”さすが魔神様だ”と思われるには、子供にも優しくしているところを見せる方が良いだろうという打算もある。


 これはレジーナの反応から考えた。

 魔族と言えど、普通の人間のような考え方をするのならば、それに合わせた行動をする方が良いだろう。

 誰だって嫌な奴に従うよりも、仕え甲斐があった方が良いに決まっている。

 嫌々働くよりも、自主的に動いてくれる方が仕事の効率も上がるのだ。


(これからは支配者としての立ち回りを要求される。俺にそんな事ができるのかな?)


 俊夫の一介の営業社員。

 後輩はいたが、部下を持ったことなどない。

 不安ではあるが、ゲームなのでなんとかなるだろうと思っているお陰で気楽でいられる。

 料理が来るまで、レジーナと話をしていようと思っていたら鬼の男が現れた。


「すいません。無料にするんで、ジャックとちょっとだけ話をしてもらえませんか?」

「下働きに随分気を使うじゃないか」


 鬼の男は、優しい目つきでジャックを見る。


「よく働いてくれるからですよ。子供なのに力があるし、様々な魔法も使える。水魔法で水瓶を満たしてくれるだけでも、かなり助かってます」


 そして今度は、少し悲しそうな顔をする。


「望まれぬ子だからとはいえ、母親のハーピーに育児放棄されているんです。少しくらい、まだ見ぬ父の面影を追わせてやってくれませんか?」


 どうやら人情溢れる男のようだ。

 だが、だからこそ俊夫は不思議に思う。


「あんた、魔族だよな?」

「ええ、ハイオーガですよ」


”ハイ”が付くので、ただの雑魚では無さそうだ。

 なのに、なんでこんなに甘いのか。


「……まぁいい、連れてこい」

「ありがとうございます!」


 礼を言い、去って行く男の後ろ姿に深い溜息を吐く。


(なんでオーガが人情味溢れてるんだよ)


 俊夫は不安になる。

 千年という時が、魔族の在り方にも影響を与えた。

 自分たちの考えが正しいという思いも、戦争に負けた事で揺らいでしまったのだ。


 最初は天神側陣営の思想を取り入れ、次は勝つという目的があった。

 同じ魔神陣営として苦難を乗り越えてきた仲間と支え合う内に、やがてその思想に取り込まれてしまった。

 困っている人には手を伸ばし、苦難があれば共に乗り越える。

 今では、人間よりも思いやりの心を持つようになっていた。


「レジーナ。こんな奴等で戦争は大丈夫なのか?」


 指導者層は違うのかもしれない。

 それでも俊夫は聞かずにはいられなかった。


「もちろんです。いざとなればみんな戦います」

「……そういえば、お前もそうだったな」


 レジーナも正体に気付かれて、兵士を殺していた。

 子供に甘いところはあるが、それでも戦う時は戦えるのだ。


(戦えないとかいう奴は、戦場の真っただ中に放り出せば戦うようになるだろう。無抵抗で死ぬような奴は、どうせ生かしておいても何の役にも立たん)


 人の心を持っているかどうかで言えば、俊夫の方が魔族寄りだ。

 ハイオーガの方が優しい心を持っているというのは、一体どういう事なのだろうか。


「お待たせしました」


 ジャックが持ってきたのは、大盛りのフィッシュアンドチップスと、小さな器に入ったウナギのゼリー寄せ2つ。

 それとアップルジュース3つだ。

 机の上にトレイごと置くと、ジャックは俊夫の隣に座る。


「パパ、見ててくれた」

「あぁ。パパじゃないけど、見ていたよ」


 ハイオーガと話をしていて、ジャックの仕事ぶりなど見ていなかった。

 しかし、見ていないといえばジャックがどういう反応を示すか。

 それを考えると面倒なので、適当に嘘を吐いたのだ。


「そういえばレジーナ、混ざり者は嫌いなんじゃなかったのか?」


 ジャック本人が目の前という、嫌なタイミングで俊夫は聞く。

 だが、レジーナは気にする素振りを見せなかった。


「ハーピーは女しかいないので、他種族と子を作る必要があります。そういう生態である以上、それを否定するつもりはありません。その子は珍しく男の子で、人間の特徴を多く持って生まれてきたようですね」


 ジャックは、人間の背中に黒い翼を生やしているだけだ。

 あまり魔族っぽい感じはしない。

 翼をもぎ取れば、人間の子供で通用するだろう。


「そういうものなのか」


 ハーピーの生態など、どうでもいい。

 ジャックを見て、思い浮かんだ混ざり者を話題に出しただけだ。

 現に今も、興味無さそうにウナギのゼリー寄せを口に含む。


(マッズ、ウナギの処理してねぇのかよ……)


 味付けが悪いわけではない。

 下ごしらえをまともにされていない、ウナギの生臭さに顔をしかめた。

 同じように食べているレジーナの方を見ると、彼女は味わって食べている。


「懐かしい味です」

「そうか……」


(食べ慣れたら美味く感じるようになるのか?)


 だが、俊夫は食べ慣れるまで食べ続けようという気にはなれなかった。

 なんとなく、ゼリーをのせたスプーンをジャックの口元に持っていく。


「食うか?」

「うん!」


 スプーンに齧りつくように、ジャックはゼリーを食べる。


「美味しい! パパ、ありがとう」


 ジャックは無邪気な笑顔で俊夫に礼を言った。

 そして俊夫も優しい顔をジャックに向けてやる。


(あぁ、可哀想に。食堂の下働きだから、ロクなもん食ってねぇんだな)


 ジャックは、俊夫に食べさせてもらうのが嬉しかっただけだ。

 食堂でのジャックの扱い自体は良い方だ。

 それを俊夫は気付いていない。

 扱いが悪いのならば、こんな風に気を使ってもらえるわけがない。


 俊夫が何を考えているのか、外からはうかがい知れない。

 レジーナは二人の様子を微笑ましく見守っていた。


「残りも食っていいぞ」


 そう言って、残りのゼリーを押し付ける事に成功する。


 俊夫は食べたくない。

 ジャックは美味しいと喜ぶ。


 双方、得をする取引だ。


 俊夫はポテトチップを齧りながら、ジュースを飲む。

 こちらは普通に食べられる味だった。


「ねぇ、パパ。僕も一緒に連れて行って。パパと一緒に居たい……」


 すがりつくような視線で、俊夫にねだる。


「もし、俺が父親だったら、きっとこう言うだろうな。”男は生まれた時から一人で生きていく運命だ。誰かに頼るのではなく、一人で人生という道を歩いていけ”ってな」

「でも……」

「お前はここで働いているじゃないか。もう、立派に独り立ちしている。お前も男なら家族に頼らずに、強く生きろ」


 俊夫は面倒事を避けた。

 自分は父親じゃないと、ジャックが理解するまで付き合うつもりはない。

 それに、この食堂で必要とされる程度には働けている。

 男なら独り立ちしろ、という方向で誤魔化そうとした。


 ジャックは、俊夫のような恰好をしている者を父親だと思い込んでいる。

 思い込みが強いのならば、それを利用するだけだ。


”男は一人で強く生きていくべきだ”


 そう思わせて、自分から意識を逸らすつもりだった。


 俊夫は笑顔で、ジャックに親指をグッと立てて見せた。

 ジャックはしばらく迷うようなそぶりを見せた後、涙目でグッと親指を立てる。


「寂しいけど、頑張ってみるよ。でも、また会いに来てね」

「もちろんだ。前向きに検討しておく」


 検討するだけで来る気はない。

 口先だけだったとしても、希望を持たせてやるくらいの優しさを、俊夫は持っているつもりだった。

 もっとも、それが優しさかどうかは、受け取る側次第だが。

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