第44話 脱出
この世界において、夜は魔物の時間だ。
人口の多い地域は魔物の排除が進んでいるが、広大な領土の割りに人口の少ないソシアでは多くの魔物がのさばっている。
隣国のポール・ランドもそうだ。
領内の掃除を終えても、すぐにソシアから魔物が入り込んで来る。
だから、夜になる前に街や村に集まる。
そのお陰で、俊夫は人目を気にする必要無く街道を疾走していた。
朝日が昇る頃には、ケーニヒスベルクの街壁が見える場所までたどり着いた。
(よし、ここまで来れば大丈夫だろう。人に見られるのも嫌だし、ここらで少し休憩してから行くか)
そう思って足を止めた俊夫の背後から何度目かの音が聞こえる。
「オエェェ、オロロロロ――」
レジーナの嘔吐する音だ。
移動を急ぐため、俊夫はレジーナを背負いながら高速で走り続けていた。
しかも、国境付近では道から外れて川を飛び越えたりもしていたのだ。
その激しい上下運動にレジーナは耐えられなかった。
だが、俊夫の後頭部にゲロをぶちまける気にはなれなかったし、横を向いて吐くにも体勢を崩して落ちるのも怖かった。
そんなレジーナが取った行動は――
”俊夫のローブ、そのフードの中にゲロを吐く”
――というものだった。
ちょうど目の前に良い感じのゲロ袋があったのだ。
それを使わない理由はない。
それがローブのフード部分だとか、そんな事を考える余裕はレジーナには無かった。
俊夫はレジーナを下すと、水筒とセーロの丸薬を手渡した。
話をしてもらう前に体調不良で死なれては困るのだ。
(うわ、クッセー。美人だろうが中身はやっぱり一緒だな)
いくら美人が出したものでも、気持ち悪いものは気持ち悪い。
俊夫は洗浄の魔法を使ってフードを綺麗にする。
その後でレジーナにも魔法を使い、汚れを落とした。
その時に”自分は殺されるのではないか”と勘違いして、レジーナはビクついていた。
だが、すぐに自分の汚れを落としただけだと気付いて、少し落ち着いたようだ。
(あー、ちくしょう。眩しいな)
夜が明け、地平線から覗く朝日が眩しい。
特に夜目が利くように意識していた事もあって、よけいに眩しく感じていた。
(けど、フードは被れねぇよなぁ……)
魔法で綺麗にしたとはいえ、ついさっきまでは使用済みのエチケット袋状態だったのだ。
それを被ろうという気にはなれなかった。
俊夫は、その原因を作ったレジーナを見る。
レジーナは両足を開いてその間にお尻を下す、いわゆるぺたん座りをしていた。
セーロの丸薬で気分は楽になったのだろう。
今は俊夫を睨みながら、水筒の水を飲んでいる。
その反抗的な目が気に入らなかったので、俊夫は少し意地悪な事を言う事にした。
「なんだ、まだ元気そうじゃないか。ベルリンまでこのまま走るか」
「お願いだから、それはやめて」
レジーナは俊夫から目を逸らし、弱々しい声で懇願する。
それだけ、俊夫の背中の乗り心地は最悪だったのだ。
今まで乗った事のある馬よりも速く、風を感じられるのはとても良かった。
しかし、一歩毎に襲い掛かる激しい上下運動による振動には耐えられなかった。
特にレジーナの胃袋が。
(俺が魔神だと伝えれば、従順になるんだろうか? だが、今はまだ早い。こいつは演技ができそうにない。俺が魔神だと知れば、きっとどこかでボロを出す)
レジーナに演技ができるなら、俊夫相手に反抗な目をしたりはしない。
もしも、俊夫が奴隷になったならば、飼い主に盲目的に従順なフリをして行きやすくするだろう。
反抗するなら、時期を見計らってからだ。
感情を抑えられないのか。
演技ができないのか。
それとも、そんな事すら思いつかないほど無能なのか。
いずれにせよ、レジーナに魔神だと打ち明けるのに、今は時期尚早と考えていた。
「とりあえず、変装っていうのができるのならやっておけ。馬車か船を使うにせよ、街に入らないといけないからな」
「どうせ私は奴隷なんだから、ダークエルフを連れていても良いんじゃないの?」
レジーナの言葉に俊夫はため息を吐きながら、やれやれと首を振る
「わからないのか? タルノフスキはポール・ランドの有力者だ。そのタルノフスキが死んだ日に、入札争いをしたダークエルフの落札者がホテルから不自然に姿を消した。容疑者として浮かび上がるのも時間の問題だろ? だからダークエルフじゃなく、エルフ連れという風にしておく方がいいんだよ」
「それって、人を殺して無ければ必要無かったわよね?」
正論ではあるが、それは通用しない。
「お前はあいつを殺すために落札したようなものだからな。その疑問は持つだけ無駄だ。当面の間は正体を現さないようにな」
「そう、わかったわ」
俊夫の言葉にレジーナは不本意そうな顔をした。
”ダークエルフである事が悪である”
この世界でそう思われている事は理解しているが、他の種族に化けるのは屈辱的だ。
例え、過去の戦争で敗北した種族であっても、自分の種族には誇りもあるし愛着もある。
変装するのは、自分でダークエルフという種族を否定してしまったような気になって心が苦しいのだ。
だが、今は仕方がない。
魔神の捜索という重要任務は続いている。
ただでさえ、ダークエルフという事が発覚して捕らえられたのだ。
それだけでも死を覚悟するには十分な出来事だ。
奴隷になってしまったが、命は助かった。
それなのに、俊夫の罪に連座して処罰されるという事は避けたかった。
レジーナは大人しく俊夫の指示に従う。
左手に付けているブレスレットを、撫でるように軽く触った。
すると、レジーナの皮膚が健康的な褐色の肌から、瞬時に色白へと変わっていっった。。
そして顔も、なんとも言い難い微妙なブサイクへと変わる。
(このブスを連れて歩くのか……)
この世界基準で考えれば、決して悪くはないのだろう。
だが、俊夫基準ではギリギリアウトだ。
もちろん、現実の世界であれば文句は言わないレベルだった。
自分が美女を連れて当然の美男子だとは思っていないからだ。
しかし、俊夫はここをゲームの世界だと思っている。
現実の世界とゲームの世界では、女に要求するレベルも大幅に変動する。
”ゲームでくらいは美女を連れて歩きたい”
そう思うのは、俊夫だけではないだろう。
「肌の色だけを変える事はできるか」
「こちらの方が好みなのでは?」
「いや、元の顔の方がずっと美人だ。今までのままで良い」
「えっ」
出会って以来、隔意のある表情を崩さなかったレジーナの顔に反応が見えた。
別に俊夫は口説こうだとか、心を解きほぐそうだとかは思って言ったわけではない。
自分の所有する奴隷のご機嫌取りなど、そんな馬鹿らしい真似をする気もさらさらない。
ただ、素直に自分の気持ちを伝えただけだ。
言われたレジーナの反応は――
「あなた、混ざり者だったのね」
――侮蔑の目だった。
「混ざり者とはなんだ」
「そんな事も知らないの?」
呆れた顔をしながら、レジーナは言葉を続けた。
「人間ではどういうか知らないけれど、いろんな種族の血が混じった者を混ざり者っていうのよ。エルフの顔よりも、ダークエルフの顔が良いっていうのなら、魔族か魔物の血が少し混ざっているのかもね」
「そうか……」
(魔神だから魔物や魔族といった、味方っぽい種族が美人に見えていたのか? 確かに魔物とかは可愛く見えたりしていた。……じゃあ、ローゼマリーは先祖に魔族の血が混じってるとかそんな感じだったのか?)
今まで相手にしてきた女達は美人に見えていたから後悔はしていない。
だが、周囲のほとんどの女はブサイクに見える女ばかり。
ならば、人間や天神でプレイしていたならば、美女に囲まれてのハーレムだったのではないのか?
そう思うと損したような気分になる。
「ところで、混ざり者はダメなのか?」
「フンッ、当然でしょ。混血なんて汚らわしい」
レジーナ自身の考えか、それともダークエルフの考えなのか。
純血を重んずる思想が根底にあるのだろう。
そこで俊夫はふと思い浮かんだ。
「ハーフエルフは嫌われるとか、そういう設定をどこかで見た事あるな」
「そうよ、混血なんて不潔だわ」
さきほどから変わらず、レジーナは見下すような視線で俊夫を見ている。
当然、俊夫がそれを許すはずがない。
俊夫はレジーナの正面に座り、強い目つきでレジーナの目を見つめる。
「お前さ、馬鹿だよな」
「なにを――」
「自分の立場わかってるか?」
俊夫の言葉で、レジーナは黙って考え込む。
(私の立場は……、奴隷。それもこの男の!)
考えるまでもなくわかる事だ。
だが、混ざり者だと思って、レジーナはついつい調子に乗ってしまった。
それもえげつない男を相手に。
「あ、あの……」
レジーナの目が、怯えの混じった物に変わったのを確認して、俊夫は優しい笑顔に変わる。
「殺したりはしないさ、高い金を払ってるからな。なあに、ちょっとママになるだけさ」
「それは嫌っ!」
「お前の意思は関係ない。まぁ抱かれても妊娠するとは限らないから、神にでも祈るんだな」
「そんな、そんなのって……」
レジーナは絶望に打ちひしがれた。
落札されて以来、性的な話はされなかった。
人を殺すための手段を話され、それを実行し、ここまで逃げて来たのだ。
”もしかすると、自分の体には興味を持たれないのではないか”
そんな淡い期待は泡となって消えた。
それどころか自分の軽はずみな発言で、より一層厳しい状況になってしまった。
きっと、自分への意趣返しとして、妊娠するまで凌辱するつもりだろう。
もっとも、それまで生きていられればだが。
その様子を見ていた俊夫は溜飲が下がる。
確かに見た目は好みのタイプだ。
だが、だからといって甘やかすつもりはない。
彼女は俊夫の所有物なのだから。
「とりあえず、顔を元に戻せるなら戻しとけ。街に入るぞ」
「…………はい」
嫌々だというのがよくわかる反応だ。
だが、命令に逆らう事ができず、顔をダークエルフのものに戻す。
大人しく従う姿を見て俊夫は満足する。
周囲からブス専と思われようが、自分から見て美女であればそれでいい。
「それじゃ行くぞ」
そう言って歩く俊夫の後ろを、レジーナは嫌そうな顔をして付いていった。
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その日の夜、俊夫達はケーニヒスベルクのホテルに泊まっていた。
ベルリン近くの港まで出る船は無く、馬車は翌日に出発するものしか残っていなかったからだ。
取った部屋は当然、ダブルベッド。
レジーナは逃げようとするが、首輪の効果で逃げる事ができない。
裸にされ、ベッドに寝かされた今も、なんとかできないか考えを巡らせていた。
「ちょ、ちょっと待って。私には婚約者がいるの」
「それが?」
レジーナの言葉を気にする事なく、俊夫はシャツを脱ぎ始める。
「わかった、わかったわ。私はあなたの奴隷だって認める。けど、ダークエルフは愛が深いのよ」
「そう」
俊夫はズボンを脱ぎ、ベッドの端に置く。
「奴隷になってしまった以上、婚約者の事は諦めてもいい。けれど、せめて愛を育む時間を頂戴」
「どれくらいだ?」
俊夫は最後にトランクスを脱ぎ捨てた。
「50年……。いえ、30年で良いわ」
「それは長いな」
俊夫はレジーナの上に覆い被さった。
「わかった、大負けに負けて10年」
「無理だな」
「それじゃ――」
往生際の悪いレジーナがそれ以上何も言えないように、レジーナの口を自分の口で塞ぐ。
うめき声しか出せなくなっても、レジーナはなんとかしようともがく。
しかし、それは少し身じろぎするだけだった。
首輪のせいで、逆らうという行為に大幅な制限を加えられているのだ。
この晩、レジーナは”女として生まれてこなければ”と神を恨む事になる。
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