三十二 共犯者
会議室は慌ただしく、それでも事件の終結に向け、活気づいている。
渋井明の乗ったトラックが検問にかかり、本部へ向かっていると連絡が入った。トラックには狩猟に使う道具や麻酔薬が積まれており、内部にある血痕は一部、ヒトの血液であると既に判明した。
自宅にあった証拠が押さえられていると知ると、渋井は概ね容疑を認めたが、弁護士を指名し、その後は黙秘しているようだ。
その少し後、布袋充も弁護士を伴って出頭すると連絡が入った。
「罪は大して軽くならんが、弁護士が入った方が話は整理しやすいかもしれないな」
渋井の指名した弁護士の資料を志賀から受け取り、目を通す。
「あぁ――なるほど」
「瀬戸?どうした」
「布袋充を、逮捕しなくてよくなるかもしれません。彼は、連続傷害事件の重要参考人のていで来るはずだ」
志賀にだけ聞こえるようにそう言うと、志賀は微かに片眉を上げた。
「説明しろ」
会議室の端に寄ったまま、気付かれないよう二人で密談する。
「察するに、布袋充は猫を戻した後ずっと、弁護士と一緒に法律事務所にいたんです。渋井の要請で渋井の弁護士に連絡が行き、渋井の弁護士が布袋充の弁護士に連絡したから、順序よく出頭できた。守秘義務があるので言わないでしょうけど」
「依頼人の保護としては妥当だな」
「ただ、布袋充が思い付ける案じゃない。小出くんは、布袋充が最初から恐喝されて、嫌々従っていたことにするつもりだ。実際、そうだったんでしょう」
「お前が隠してたのはそれか?」
「小出くんが布袋充を助けようと、いくつか仕掛けをしたことはわかってましたが、今、全部わかりました」
「行方不明だけじゃなく、坂上啓の襲撃もか」
おぼろ気に全容が伝わったのか、志賀は更に苦い顔になった。
瀬戸は、太陽を隠していた最後の薄い雲が、やっと晴れたような心地だ。
「一番頭がいいのは小出くんです。僕たちはかなり前から、完全に彼の駒だ」
「お前と気が合いそうだ」
嫌味を言われても、今回はむしろ褒め言葉だ。
「布袋充は、全く加害行為には加担していなかったんでしょう。小出くんは布袋充に全て告白させて、彼の罪を軽くできることに気付いた。もちろん、今後一切、悪事に加担しないことを約束させた上で」
「先に自首させないのは何故だ」
「渋井を先に押さえないと駄目です。それ以前に、坂上くんの事件がなければ、渋井は逃亡するつもりだった。誰かが自分の犯行を模倣できるとすれば、それは布袋充か、別の誰かにどこかで犯行を見られていた可能性がある。捕まる危険もある程度覚悟しているなら、切り取り魔の座を横取りされるのも嫌がるはずです」
「渋井がいかれてんのは、もう充分わかった」
「小出くんは、猫も無事だったし、早く飼い主の元に戻したかった。そしてできれば、窃盗の追及も避けたいと思った」
「よく上手く戻せたな」
「布袋充は、立体的な構造理解は得意です。建築家の息子で、彫刻家志望ですからね。建築物の設計上の死角も、人目につかずに入り込める場所もわかるし――もしかしたら、鍵を自由に開けられる技術もあるのかも。何もないようで、窃盗の才能は大いにあった」
「それは確かに、警察には知られたくない」
「石膏型を渡す交換条件も、渋井の提案だったんでしょう。布袋充から持ち掛けていなければ全部、恐喝による強制的な共犯関係にできる。輸血や精液の採取が強制だったなら、他の被害者と同様、傷害の被害者です。布袋充の罪はほぼ、無くなったようなものだ」
「友情もそこまで来ると、聖人の域だな」
「二人とも、悪い子じゃなくて本当に良かった」
「俺はお前にも、毎日そう思ってる」
「布袋家の弁護士はとても腕がいいんです。弁護士同士の合理的なすり合わせも上手い。彼なら、傷害被害を訴えない代わりに、恐喝を全面的に認めさせる交渉が可能です。恐喝の方がやや罪が軽いし、両方を訴えられるより随分マシだ。猫の窃盗の件と、可能なら、被害者の精液を採取した件もお互い黙っていることにすれば、人体収集と石膏型の話だけに留めて、窃盗の余罪も消える」
「……なるほど」
「証拠として出てきていないところを見ると、手に入れた精液は既に、違法な交配等の目的で売買されたかもしれませんが、それも追及されずに済む」
「眩暈がしてきた」
「警察も、渋井と連続傷害事件だけに集中できます。法律や権利が許す範囲内で、全てが最小限に収まる。渋井は逮捕された場合、戦場での医療行為で心的外傷を負い、精神障害があると主張するつもりでいたんでしょう。無期懲役や終身刑でも、死刑だけは免れるよう、誰も殺さなかったのはそのせいだ。でも、渋井に悟られる前に証拠を押さえて逮捕できたので、警察も面目も保てます」
「お前が犯人を当てられなかったら、どうなってたんだ」
「布袋充の住居に家宅捜索は入ってましたから、トラックを疑うくらいまではいけたはずです。父親の関係者を全員しらみ潰しに当たれば、いずれ渋井を炙り出せた。猫さえ戻せたらもう、いざとなったら公衆電話から法律事務所の誰かが時機を見て、たれ込めばいいだけです」
「俺たちは、知らないふりをする――と?」
「そうですね。無流さんも、小出くんから聞いているところだと思います」
「――坂上くんの事件か」
「坂上くんの事件は、坂上くんが被害届を取り下げるかたちになるはずです」
「最初から――それを見越しての人選ってことか」
「後で三人だけで話しましょう」
「俺の精神がおかしくなりそうだ」
「温泉宿、僕が予約しておきましょうか」
瀬戸がにっこり笑うと、志賀は頭を抱え、深く重いため息をついた。
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