六 噂話

「おめでとう」

「何が」

 来て早々、和美から突然掛けられた祝いの言葉を、理解出来なかった。

「北原画廊で絵が売れるんだろ。相変わらず冷めてるな。啓は」

 和美はそう言った割に、嬉しそうだ。

 きっと僕の反応を予想していたのだろう。

 何事も悪い方に考える癖のある僕は、何でも楽しめる彼に救われていると思う。

「早耳だな。北原さんは有名なのか」

 少し考えてから、彼はまた画帳に目を落とし、呟くように答える。

「マニアックな絵ばかり置いてあるからな。あそこにある美術品は、誰の作品かというより、北原さんが選んだというのが重要なんだ。あの人の目は確かだよ。美貌目当ての客も通い詰めだ。北原さんにはもう会ったんだろ?」

「会ったよ。画廊では見かけたことがなかったから、随分と綺麗で驚いた」

「ああ、店番の女の子がいることが多いよな。奥で商談してるんだろ。一応、うちで一つ美術史の講義を持ってるらしい。履修は来年より先だけど」

「英介さんの叔父さんだっていうけど」

「ああ。高梨先生の絵も置いてあるだろう。あんまり普通には出回らないやつが」

 英介さんに連れられて何度か画廊に行った時も北原さんはいなかったが、昨日の様子を見ると、いない日を選んでいたのかもしれない。

「……なあ和美」

「ん?」

「僕の絵はマニアックか」

「なんだ。自覚してなかったのか」

 彼はくすくすと笑う。

「もっと貰っておくんだった。お前の描く絵、好きだから」

 彼は何故か少し照れながら、長い睫毛を伏せた。

「未知の恐さがあってさ。夢を見ているような。この世に無い色に包まれる感じ」

「過大評価し過ぎだ」

 なんだか急に恥ずかしくなる。

 自分の絵の事を言われているとは思えない程の賛辞だ。

 日頃、的確で辛辣な彼の批評を聞いている身としては、信じられない。

「そうか?」

 和美はいつもの様に、不敵に笑んだ。

「僕は、お前の絵の方が好きだ。絵が生きて動いてるみたいで」

 彼は確かに生きているのだと、感じる事が出来る。

「うちのセンセイは、乱暴だとか雑だとか言う」

「あれだけ動きがあるって、凄いと思うけど」

 ――君の絵は、君の見た景色を伝えるだけでなく、君自身を語ってくれるんだよ

 北原さんの言葉が頭をよぎった。

「動物とか植物以外も色々見えるんだろ?人間は?」

 この講義は眼帯を外している。和美は不思議そうに僕の右目をのぞきこんだ。

「強く思ってるものが見えたりはするかな。今お前が白玉善哉しらたまぜんざいが食べたいと思ってることとか」

「はは、よくわかったな」

「でも、相手が僕をどう思ってるかは、よくわからないんだ」

「ふーん、自分の思いが混ざると駄目なのかな?」

「そうかも。多分、自分が悪く思われてると知るのが恐いってだけだけど」

「もっと自信持ってもいいと思うけどなぁ」

 無理だよ、と和美に言った目線の先に、小出が誰かに呼ばれて出て行くのが見えた。

「あ、そうだ。小出の絵も画廊に置かれるって」

「へえ……今の、布袋ほてい先輩かな。彫刻科の。あいつも友達いるんだな」

 小出の消えた先が妙に薄暗く見えたが、遠くから雷の音がした。そのせいだろう。どこの白玉善哉を食べるか考え始めた和美の話を聞きながら、カンバスに目を戻して筆を動かした。

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