さかなになった日

アサミカナエ

さかなになった日

口から焼きそばが吹き出した。


バラエティ番組に割り込んだ臨時ニュース。

画面の向こうに対峙した白いスーツの女性キャスターは汗を拭い、1度目よりもつまらずに、くしゃくしゃの原稿を読み上げた。


「南極の氷が異常な早さで溶けているという環境問題は以前から話題になっていましたが、さ、先ほどついに、約2カ月後に日本が海の底へ消滅……そして3カ月後に完全に地球が海だけの星になると発表されました」


わたしはティッシュで口をぬぐいながらカレンダーを見上げた。

残念ながら今日は4月1日ではなかった。



ジミンが赤虫を無表情でついばんでいる。

彼は去年、縁日で元カレがとってくれた出目金だ。

元カレと別れたからといって処分するわけにもいかず、そのまま部屋に置いている。

今はわたしが世話をしないと死ぬのに、2カ月後にはこいつが生き残ってわたしが死ぬんだって。

なんだそれ、理不尽だろう。

水槽を蹴飛ばすと、水が跳ねて畳に染みを作った。

むわっと生臭いにおいが鼻をかすめて消える。

ジミンは驚いて水槽を一周したあと、ミズクサの陰に戻り、すずしい顔で立ち泳ぎをしていた。



「ただいまアケミ! ニュース見た!?」


玄関でパートから帰ったばかりの母親がわたしを呼んだ。

アイスを食べながらのんびりと迎えに行くと、意外にも母親はうれしそうな顔をしていた。

彼女の足元、土間いっぱいにパンパンに膨んだナップザックやごついブーツ、ほかにも中身の見えない大きな緑色の袋が置かれているのに気づく。


「ママ、パート先でね、誰よりも早くサバイバルグッズをゲットできたのよ! さすがでしょ~」


手に持っているビニール袋には、ペタンコにつぶれた新品の浮き輪が入っているようだ。

もう一度、荷物を眺める。


「ママ、これでみんなの分、足りるの?」


いくら大量の荷物だからって、小さな民家の土間におさまる程度。

家族3人分の準備が整っているようには見えない。


「急なことだっでしょ。アケミの分だけでも、やっとのことで確保できたのよ」


わたしはアイスの棒を口から出して、ナップザックから母親に視線を戻した。

母親は満面の笑みを浮かべていた。



赤虫の塊が水面に落ちる。

ほぐれてばらばらになり、小さな繊維が舞う。

ジミンはそっと近づき、ぱくっと吸い込むと少し後退した。

水槽にはなんの障害もないのに、彼はいつも慎重だった。


わたしは好んで赤虫を買った。

丸い灰色の餌より、断然こっちのほうが綺麗だから。


ジミンに対しての苛立ちはもう消えていた。

彼はわたしに生かされて、そのあと地球に生かされる。

わたしたちが生かされないのは運命の気まぐれ。

ねたんでも仕方がない。

わたしの命が彼より重いと思うのは傲慢だ。

人類の絶滅が与えられた未来なら、どうやって遂げるかを考えたほうがいい。


わたしが海の底に沈む日、赤虫のように綺麗に弾けることができればいいな、と思った。

パッとピンクの内蔵が水の中に散らばるのを想像する。

海の底から見るそれは、キラキラと光る太陽に撫でられる。

そしてジミンだけでなく、たくさんの魚や微生物の糧になる。

世界一きれいな餌だ。

体が震えた。我ながら名案だと思った。


カレンダーのエックスデーに◯を付けた。

登山グッズの中から抜き出して部屋に持ち込んだサバイバルナイフを愛おしく撫でる。

アジの開きみたいに肉体を開けば、より綺麗に拡散すると思う。


「よくやったな、郁子! さすが俺の嫁だ!」

リビング横の廊下に出ると、いつの間にか帰ってきていた父親の声が聞こえた。

中では両親がわたしをどこかの山に避難させる段取りを組んでいるようだ。

そのまま静かに廊下を通って玄関から外に出て、でたらめな番号に電話をかけた。

わたしはどこにも行かない。

2カ月の間に、開いてくれる人を探さなくちゃいけないのだから。


空を見上げるまでもなく、異常に肥大化した月に見下ろされていた。

最近ニュースでもなんかやってたけど、別段気にしてなかったわ。

ははは! ビバ、典型的楽観主義ジャパニーズ!


そういえば金魚って、海水でも生きられるんだっけ?

まあ、どうでもいいか。あはは!

耳元で鳴り続けるコール音を聞きながら、わたしは大声で笑った。

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