グリモワール図書館
oyama
第一章
1
薄墨界は舗装されていない獣道を歩いていた。高い山だった。ふと手元に視線を動かすと手紙と、それと共に封されていた地図がある。地図には今歩いている道とその先の目的地が書かれてあった。大分コンパクトに纏められた地図だったので、山に辿り着くまでにも時間がかかってしまった。
背広姿で山を登るのは傍から見て滑稽で、とてもじゃないが山登りに適した服装とは言えなかった。現に新品同然のきれいに磨かれた革靴が道によって泥塗れになってしまっている。界はそれでも道を確認しながら目的地へ急いだ。すると、すぐにそれは見えてきた。赤い屋根の大きな屋敷だった。自分の家も、それと同じほどの大きさで見慣れてはいるが、本場のヨーロッパの建築を間近で見られるのはとても感動的だった。界は屋敷の前まで辿り着くと、その見た目の美しさに惚れ惚れとして立ち尽くした。だがすぐに、やるべきことを思い出し、自分で自分の頬を叩き、扉を三回ノックして開いた。
目的地であると記されていたのは、山中にある図書館。しかし、見た目は民家のようで、ただの屋敷にしか見えない。町人の話では、山にはそれしかないからすぐにわかるはずだと言われた。地図には図書館と記されており、屋敷とは書かれていない。考えるだけ無駄だろうと首を振る。
――だがどうだ、屋敷の戸を開いた先には、見たことのない夢のような景色が広がっている。宙に浮かぶ本、ひとりでに動くニケの彫刻、壁には様々な絵画が飾られているがそれも動いている。それと壮観なほどの巨大な本棚の数。外観は二階建てのようだった屋敷だが、その中身は、三階まで続き、吹き抜けとなっていた。二階部分、三階部分にも同じほどの巨大な本棚が立ち並んでいる。この光景に息を呑んだ。うつくしい。目を見開き輝かせ、それらを目で追い、口は半開きのまま固まってしまっている。
「ようこそ」
本棚の影から女性の声が聞こえてきた。界はそちらを向くと、女性は姿を現す。きれいなブロンドの髪に真っ赤な瞳、肌は透き通るように白い。まるで人形が動いているように見えた。その女性は界を一瞥すると、「こちらへ」と単調な声色で踵を返した。界はそれに続いてついて行く。
着いた場所は応接室のようで、先程とは違って普通の部屋だった。普通、と言う言葉が合うか、少なくとも先程の光景を見た後に見ると普通だと感じられるほどの部屋の広さ、調度品が並び、いかにも貴族の持ち物だと言わんばかりの長椅子や机が置かれてある。女性は界に座るよう促すと、向かい合うように座った。
女性は姿勢よく、脚に手を置くと、ティーポットとカップがかたかたと音を立てながら、宙を浮いて机に移動してきた。ひとりでに浮いたそれは、器用にコーヒーを入れると、界の前にカップがスライドしてくる。これは夢ではないのかと界は呆然としていた。
「驚いたかしら?」
女性は珈琲を一口飲むとそう話した。
「え、ええ、まあ」
「そうよね、……改めて、自己紹介させて。私はララ、ここの図書館の館長、と言ったところかしら。この屋敷の持ち主なの」
表情を一切変えず、ララと名乗る女性は話した。
ララ、それは手紙に書いてあった差出人の名前だった。界は手紙を取り出すと、一度確認する。
「貴方が、これを?」
「ええ、そうよ」
界は顔色一つ変えず単調な声で話すララに戸惑ったが、仕事で来ているということを忘れないように、すかさず話を切り出した。疑問ばかり積もるも、それでは話がつきそうになかったから無理矢理だ。
「そうですか……ではララさん。改めて、依頼内容をお伺いしても」
「その前に、聞きたいことはないの?」
界の質問に覆い被せるようにララは聞いてきた。界はどきりとした。父親の真似をしようと、依頼内容を聞こうとしたが、自分には嘘をつけていないようだった。ララにはバレている。
少し躊躇い、図書館のことを聞いてみることにした。
「……そう、ですね。では、図書館についてお伺いしても?」
「構わないわ。先程見たあれ、全部魔法なの」
「魔法?」
界が質問をするとララは初めから気になっていたことを自ら話し出した。それは耳を疑うものだった。けれど、納得のいく答えでもあった。「魔法」だなんて、現代日本でもファンタジーの領域だ。なかなかお目にかかることはない。
「魔法は、この世に蔓延る不思議な力。貴方も使おうと思えば使えると思うけれど」
「い、いやいや。聞いたことないですし、使えるわけないですよ」
「そうかしら?」
表情を変えないララはこてん、と首を傾げた。本当に人形のようで不気味だ。
「まあ、ええっと。ララさん自身が、その、魔法使いってことですか?」
「そうね。厳密には魔女なんだけれど、今はまだ知らなくていいわ」
魔法使いと魔女の違いがそれほどあるとは思えなかったが、物を言わさぬ空気を漂わせる彼女にこれ以上の追及は無意味だと感じ、もう一度依頼について聞くことにした。
「では、とりあえず依頼内容をお伺いしても?」
「ええ。貴方には、この図書館を守ってほしいの」
図書館を守る?
「え? どういうことでしょうか?」
「この図書館、『グリモワール図書館』は、先程言った通り魔法の図書館なの。けれど、私一人では維持し続けることは難しくて、貴方にも協力を仰ごうと思ったの」
「貴方にも、と言うことはほかにもいらっしゃるんですか?」
「そう、二人いるわ。でも、あの二人は司書としては優秀だけれど、“図書館を守る”という点では心許ないの。だから、貴方に依頼したのよ」
ララは、界に依頼をしたと言っているが、手紙には人を指名する文は一文も書かれていなかった。界が来ることを予想していたということだろうか。それに、図書館を守る、というのは――。
「疑問点はいくつかあるでしょうけれど、追々説明させてちょうだい。ちゃんと説明するから」
「……分かりました、引き受けましょう」
界は渋々了承すると、それまで表情一つ変えなかったララの口元が綻んだ。
目の前にいる不気味な女性と話していると、なんだか不思議な感覚になる。会話も噛み合っている風だが、違和感が拭えないでいる。
図書館の方へ移動すると、二人の少女が界に走り寄ってきた。
「誰です?」と界はララに質問した。
「ジカート姉妹。大人しい方がアルベリで双子の姉、元気な方がフレジーアで双子の妹よ。ここ最近働き始めた子たちなの」それにララはまた単調な声色で説明した。
「初めまして」と丁寧にお辞儀をするアルベリ。
「素敵な人ね!名前はなんていうの?」と興味津々なフレジーア。
ララは二人に、界を紹介した。
「彼は“ルイ・ベイル”と言って、今日から司書として働いてもらうのよ。二人で協力して仕事を教えてあげてね。あと、部屋に案内してあげてくれるかしら」
界はその紹介にまたも耳を疑った。
「え、名前」
ララが紹介した名前は、界のフランス名だった。この名前を知っている人は父と一部の人間だけ。ララには一切話していなかった。
「あら、違った?」
「合ってますけど、何で知って」
「私、貴方の家のことも知ってるの」
「え?」
――俺の家の事情も何か知っているのか?
ララの発言に不思議に思うことが多々あるが、フレジーアが界の手を引っ張るので思考はそこで遮断された。
「こっちよ!」
「えっ、ちょっと」
「フレジア、引っ張らないであげて」
三人の姿を見送ると、ララは応接室に戻っていった。
界は暫くは退屈し無さそうだな、と半分諦めていた。
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