第16穴 貫かれた野望
彩也子の睡眠を妨害するほどしっかりといびきをかいて寝ているのに、眠れていないと不調を訴えながら仕事に通い、機嫌の悪さが続いていた亮一だったが、休みの日に、使っていなかった仕事場でゴソゴソと何かしている日が増えた。仕事の話にしては個人的な内容でボソボソと電話で話をしているのを見かけるようにもなった。
ある日、宅配便が届いた。家にいた彩也子が受け取ったので、何気なく品名を見ると『名刺』と書かれていた。
「なんで名刺・・・?」彩也子は見て見ぬふりをしてテーブルに置いておいたが、翌日、小包はなかった。
その週、もう一つ届いた小さな宅配便は『社判』だった。嫌な予感は的中しているとしか思えなかった。
それでも何も言わない亮一に、もう見ていないふりをしているわけにはいかなかった。週末、また仕事場に行こうとするので、彩也子は聞いた。
「社判って何?」
もう隠せないと分かった亮一は、当たり前のように言った。
「会社作ったんだよ。やっぱり今の仕事無理だから自分でやりたいことやった方がいいし、彩也子が心配するから全部決まってから話そうと思ってて」
「会社を作った?会社始めることを心配するとは思わないんだ」
「やる気ないまま通ってても意味ないだろ」
まただ。不機嫌な俺でいても文句言うなよという圧力。本当にずるい。彩也子は、深いため息をついた。
「そもそも、どこにそんなお金があったのよ?」
「おふくろが、歳とってきて元気なうちに自分で身の回りの整理し始めて、昔持ってた株かなんかがあったのを処分したら少しまとまったお金になったらしくて。ちょうど仕事場また使わせてもらう相談した時に、その金、借りれないか聞いたら、もともと親父が買った株で、ほんとは親父が俺に渡すつもりだったやつだから使っていいって言われて」
「・・・お義母さんには、相談してたんだ」
「まあ、仕事場のこともあったし」
彩也子は当然、面白くなかった。いつもいつも、彩也子はカヤの外だった。
開き直った亮一は、急に饒舌になり、
「今の仕事は今月いっぱいでやめる。退職金も出ないと思う。でも、ずっと前の仕事してた時につきあってきたお客さんとかが覚えててくれたりして、またそういう仕事するなら頼むよって言ってくれる人も結構いてさ。保坂さんと一緒にできる部分もあるし。一応会計士さんとかに色々相談に乗ってもらって、登記したりするのに社判が必要だったんだ。新しい会社は来月下旬には始められると思う。給料は今より少し下がるけど、俺の名義になってたじいさんの土地ももう処分してもいいって言われたから、それをうまく運用するつもりだからその辺で足りない分の補充できると思う」
彩也子はもう思いつく言葉がなかった。聞きたいことは山ほどあったが、どうせ何を聞いても彩也子の納得のいく話は聞けないと分かったいたからだ。力なく、
「社判があるってことは、会社の名前ももう決まってるってこと?」と聞くと、
「まぁね」
「なんて名前なの?」
「アルファベットで『グッズワン』」
と言いながら、亮一は空に『GООD’s 1』と指で書いて見せた。
彩也子の心臓が、ドクンと跳ねた。
義母の名前は『
(良子の亮一・・・ってこと?怖い怖い怖い。キモイ。無理無理無理!)
本当の意味は分からないが、そうとしか思えなかった。母への感謝を盛り込みたかったのか、親子の絆を堂々と見せつけているようにしか思えない亮一に、とても「なんでその名前にしたの?」とは聞けなかった。
亮一の予定通り、月末、勤めていた会社を辞めた。
広がる穴に、蟻たちも満足し始めているようだった。
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