第十六話 死中に生あり
何も始まっていない現時点から、既に場内はざわつき時折怒号が飛び交っている。
『本日の挑戦者はデリック選手。シモン選手が怪我で試合を棄権する事となったので、代役としてレッドキャップと戦います』
司会兼審判が手にしているのは拡声器だろうか? それを通じて声が大きく場内に響いていた。さすがはレッドキャップ戦だ。これまでの前座試合とは一味違う。こういうのはこの世界に来て初めて見たが、きっと術式が封入された魔道具のような物だろう。この世界は魔法との関わりは少ない割りに、思い出したかのように不意打ちでお目に掛かれてしまうから侮れない。物珍しさから、ついまじまじと見てしまう。
本来であれば、こんな緊張感のない行動はするものではない。ただ……
「お前みたいなガキ、お呼びじゃねぇんだよ。良いからシモンを出せ!」
代役の俺が余程不満なのか、このまま試合を始める事を不服とする声が多く辟易してしまっていた。怪我で出場できないという言葉を理解する気がないようだ。
おあつらえ向きに空も多少雲行きが怪しい。雨が降る事はないとは思うが、その代わりにブーイングの雨が降り注いでいる。
それを一身に浴びる俺。
こんな現状なら、気を紛らわすべく余計な事を考えるのは仕方ないと言える。何と素晴らしい環境であろうか。こんな状態でレッドキャップの登場を今や遅しと待たなければいけない俺の身にもなって欲しい。
自業自得とは言え、針の筵に晒されるような気分になっていた。
それはそうと、代役の手続きは本当にあっさりしたものだった。町側としては代役だろうと何だろうと試合が成立するならそれで良いという立場であったとか。ボスも最初は何を言われるかと覚悟して書類を出しに行ったのだが、何のお咎めもなかった事に逆に驚いたと教えてくれる。
また、対戦相手が変わるなら賭けのオッズも変更になるかと思ったが、何も変わらなかった。万に一つも俺が勝つとは思われていないという意味である。お客様的にもその辺は同じ認識で、賭け札の販売に混乱は起きなかったという。
ボスには迷惑を掛けたが、大きな影響が出なかったのが幸いであった。影響が出たのはボスに殴られて俺の頬が腫れたくらいである。「こんな事はもう二度とするな」とも言われたな。その程度で済んだので良しとしよう。
代役の件ではオーギュストの横槍を心配したりもしたが、仮にあったとしても興行的な成功の方が大事であったという結果だろう。もしくは、白いのの中ではオーギュストは大した事がないのかもしれないな。
『得物は木の棍棒。先日は組技で敵を撃退した珍しい選手です』
騒がしい会場の中で淡々と進行が進む。誰も聞いていないのを分かった上でしなければいけいない悲しさよ。周囲に流されず背筋をピンを伸ばして黙々と続けていた。仕事とはいえご苦労な事だ。
今回のレッドキャップ戦。アルパカとは
『しかも何とまだデビューしたばかり! 単なる馬鹿なのか、それとも実力を勘違いしているのかは数分の
……って、オイ。司会までそれか。評価して損した気分になる。デビュー戦も似たようなものだったが、本当こういうのばかりだな。相変わらず馬鹿だよ俺は。
もう一つの懸案であったオーギュストの件は、違う形で話が
レッドキャップと戦うのが俺となる……見方を変えれば、お互いの代理人による決闘という枠組みが出来上がったと言える。そこで双方が全財産を賭け、どちらが勝つか勝負するという寸法だ。当然、俺とシモンは俺の勝ちに、オーギュストはレッドキャップの勝ちに賭ける。負けた方が全てを失う。
それにしても、オーギュストの部屋をシモンと一緒に訪ねた時のアイツの顔は傑作だった。会いに行く前に各部に包帯をグルグル巻きにして重症化の偽装を施したのだが、完全に信じきり、物凄く悔しそうな顔をしていた。
勿論、先に俺が肉体言語でシモンの腕をへし折っていたので、バレた所でどの道試合はできない。偽装はオーギュストを納得させるための過剰演出である。シモンの演技も完璧だった。自分達がした事を逆にされるとは考えもしないのだろう。笑いを堪えるのが大変だった。
話は逸れたが、シモンとオーギュストの因縁はとてもシンプルな形に収まる。これで白黒がはっきりする。最初はこの提案にオーギュストが乗るか心配だったが、俺が負けるとシモンは奴隷落ちを覚悟しなければならない(稼ぐ手段のないままの怪我の治療期間は借金生活が確定)と分かった瞬間、そりゃもう大喜び。前のめりになって俺の提案に乗ってくれた。
万に一つも俺が勝つとは考えていないのだろう。余裕の表情で俺に激励の言葉まで掛けてくれた。本当にムカつく奴だよアイツは。
結局の所、この「レッドキャップ戦」はあくまでも手段であり、目的ではなかったという話だ。試合を開催する町側は、
つまり、障害だったのは自らの自尊心のために戦う決意をしたシモンだけだったというオチである。それを俺が文字通りにボッキリへし折った形となる。
蛇足だが、肉体言語での話し合いが終わった後、シモンから恨みがましい眼で「どうしてこんな事をするのか?」と聞かれてしまった。そこは当然「あのハゲがムカつくからに決まっているだろう。負けるつもりで戦う奴は引っ込んでろ」と答えて終了。初めから無理があったんだ。そんな都合良く事が運ぶ筈がない。
格好をつけるとするなら「生中に生あらず、死中に生あり」の格言が一番近い。俺達は剣闘士だ。後先考えずにガムシャラに戦えばそれで良い。それができない奴から命を落としていく。自尊心なんてクソ喰らえだ。戦う理由なんて馬鹿げたもので良い。要はその覚悟ができなかったシモンには、舞台に立つ資格がなかっただけである。それを今回俺が身を持って教えたと言っても良い。
まあ、これだけの事をしでかしたんだ。フィルの手前もあるし、無様な戦いだけはできないな。
今一度、客席をぐるりと見渡す。満員御礼の座席状態。これまでの前座試合では閑古鳥が鳴いて隙間風さえ入ってきたというのに、現在俺が浴びるのは客席からの熱気である。日も傾きかけているというのに、涼しさの欠片さえもない。
ある客は隣と談笑し、ある客は酒を口にし、下品なヤジを飛ばす。またある客は、今や遅しとレッドキャップの登場に心躍らせている。
きっとこの中にフィル達姉弟もいるだろう。確かお姉さんと一緒に行くと言っていたか。例え周り全てが敵だらけだとしても、それだけで頑張れそうだな。
──来た。
ついに視線の先の扉が開く。そこに見えるのは陽の当たらない黒一食の世界。やがて、紅い点が二つ浮かび上がる。
さっきまでの喧騒が嘘であったかのように皆が固唾を呑み静まり返る。現金なものだな。これが分かっていたから、司会も客席を無視していたのだろう。まるで王が登場でもするかのような雰囲気だ。
時を置かずして足音と思しき重低音が響き始める。少しずつ近付いてくるそれは、やがて緑色の巨体へと姿を変えていった。
たかがデカイだけのゴブリンと思うなかれ。一番最後に形作られたのは赤いベレー帽。この町では知らぬ者の無いトレードマーク。レッドキャップの証。待ちに待った御本人の登場だ。
この瞬間、一斉に観客席を興奮の坩堝へと誘う。歓声で頬がひりつく程だ。司会の声もその大音量で掻き消される。まさかこれ程とはな。実際にこの現場を目の当たりにしてレッドキャップの凄さを痛感した。
しかもだ。何故か黄色い声援まで混じっている。それも一つや二つではない。まだ人間相手ならそれも理解できたが、ゴブリン相手に……いや、これが美女と野獣というものかもしれない。
ようやくレッドキャップにお目にかかったが、その第一印象はデカイが驚くほどと言えるものではなかった。大きさで言えば今の俺よりも二〇センチは高く、一八〇センチは軽く超えている。だがその程度だ。今の俺からすればそれでも充分に大きいが、二メートルを超える巨体じゃないかと思っていただけに少し意外だった。
しかし、見た瞬間に他のゴブリンとは違う箇所があった。この筋肉だ。ショートパンツにベストという姿から、これでもかと見せ付けてくれる。デビュー戦の相手が可愛らしいと思えるほどの引き締まって盛り上がった体格。腕は明らかに俺の脚の二倍の太さはある。これだけでも他のゴブリンと一線を画しているのが分かるというものだ。
その上で試合巧者であるという。ただ力任せに殴りつけるだけの馬鹿ではない。相手を捕まえ締め上げたりを平気でする。投げも勿論。それだけでも厄介な相手と言える。
当然体重も一〇〇キログラムを軽く超えているだろう。パワーだけでも厄介な上にウエイトまで追加されると、単なるパンチが必殺の一撃になるのは間違いない。
やはりレッドキャップは、名前付きとなる理由が充分にあった。
「えっ!」
一瞬幻でも見たのかと思ってしまった。何とお客さんの声援に応えて手を振ったり、右腕を掲げてドクロの刺青をアピールしたりしている。しかも投げキッスまで。サービス精神まであるゴブリン。確かに只者ではない。
呆気に取られる俺を無視して、レッドキャップが闘技場中央部の定位置へ……今到着した。
王者の貫禄かそれとも俺を馬鹿にしているのか、一瞥しただけで俺の事を見ようともしない。首や肩を解すように回して、試合開始の合図を待っている。随分と対戦相手を待たせておいてその態度か。少しカチンと来たので、持っている得物を素振りでもして威嚇してやろうと思っていた矢先、
『只今到着したのはこの町のチャンピオン。レッド! キャップ!!』
司会からの選手紹介が入る。
またしても耳をつんざくような大歓声が巻き起こる。名前を告げただけなのに、客席のボルテージは最高潮。声援までも飛び交っている。
『誰もが知っているこの名前。デビューから負け無しの二六戦全勝! まさに生きた伝説。他の追随を許さない。さあ、本日はどんな力強い戦いを見せてくれるのか? もうすぐ最高の処刑ショーが始まります』
「おいっ」
さっきの俺の紹介とは大違いじゃないか。これが新人とチャンピオンの差というか……この時点で俺の負けが確定してしまっている。世間的な評価はこうかもしれないが、これでは賭けにならないんじゃないか? 俺の勝ちに賭けているのは、俺とシモン……他は大穴狙いの酔狂な奴だけだろうな。
まあ、それは良いか。そんな事はどうだって良い。今俺がするのは、目の前にいるこのハゲをぶっ飛ばす事だ。後の事は全て終わってからだ。
レッドキャップとの距離──約五メートル。一歩では届かない距離。そうした中で、場に飲まれないようむき出しの闘志で睨みつける。どんなに分が悪い戦いだと分かっていても、自分自身でそれを認めてしまえば実力の半分も出せない。大丈夫だ。戦いに絶対は無い。攻略方法は必ずある。それを俺が今日証明してみせる。
会場の熱気のお陰か、はたまた試合への緊張感からか、手にベトつく汗が滲んでいる事に気が付く。少し落ち着く必要がある。火照った身体へ新鮮な空気を送るべく、深呼吸を二度三度と行ないクールダウンを行なった。
そんな中、ついに賭け札の販売が締め切られ、開始の合図を待つだけとなる。
「ん?」
いつものように司会がゴブリンを興奮状態にする匂い袋を投げ付けようとしたが、レッドキャップはそれを拒否。それ無しでも戦いができる事をアピールしているようだ。
「そうこなくっちゃあな」
俺の事を見ていないようで、向こうも馬鹿じゃないという事か。そうだな。剣闘士なのに剣じゃなく棍棒で挑むなんて、それだけでどんな馬鹿か何か秘策があると思うか。本当にレッドキャップの名前は伊達じゃない。
いつものようにトンボの構えを取り、少し腰を落とす。相手は……ははっ。一丁前に拳を軽く握って空手の構えのような格好してやがる。これまた厄介だな。
『始め!!』
司会が天高く上げていた腕を一気に下ろす。ついに泣いても笑っても後戻りできない、本日のメインイベントが幕を開けた。
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