第十四話 勝利への秘策
「あ痛ててて……」
「傷口はきちんと洗っておけよ」
泥と屈辱に塗れた身体を清らかな水が洗い流す。
フィンには大きな怪我こそ無かったが、細かい擦り傷や打ち身は数多くあった。流れる水は汚れを落とすだけではなく、沁みる傷口に小さな悲鳴を上げさせる。
それでも俺達二人の顔は晴れやかであった。
大見得を切った俺に待っていたのは白いのとその子分相手の大立ち回り……なんて事はなく、白けた空気だけだった。誰もが俺の言葉に耳を傾けず、笑いものにするだけ。白いのも同様。
たった一言「馬鹿が感染る」の言葉を残して立ち去り、周囲の野次馬も思い思いに解散となった。
そうして広場に取り残される俺達二人。しばらくは拍子抜けしてぽつんと立っていたが、どちらともなく「泥を落とそうか」という事になり、この町の水場の一つにやって来た形となる。着替えも準備していない関係上、する事は頭から水を被るくらいだが……。
「それにしてもデリック、さっき言ってた『レッドキャップ狩り』って一体どういう事?」
一つ訂正がある。フィンだけは俺の言葉を本気だと思っていた。さっきまで泣いていたからまだ眼は赤いが、普段と同じ口調、いや少し嬉しそうだな、そうした雰囲気でこんな質問をしてきた。
「ん? そのままの意味だが、何か変だったか?」
「そういう意味じゃなくて、レッドキャップと戦うのはシモン兄ちゃんだろ?」
「いや、シモンの代わりに俺が出る。さっき決まった……おっととと」
釣瓶から引き上げた水を桶に移す最中に質問されたからか、少しバランスを崩し水が零れる。ついつい返答もぞんざいなものへとなってしまった。
「『さっき』って、それ、デリックが勝手に決めただけでしょう? 誰も本気にしないよ。それに『代わりに出る』って言っても、できないと思うんだけど」
怪訝そうな表情でフィンが俺を見てくるが、その意味は全て分かった上で柳に風とばかりに受け流して、
「まあ、普通はできないな。けれどもその方法が見つかったんでね。問題はない」
いつもの気持ち悪い笑顔でこう答える。迷いなく答える様にフィンは顎をひくつかせていた。
ずっと堂々巡りで考え込んでいたが、分かってしまえば実に簡単だった。どうしてこんな単純な事に気付かなかったのか……きっと俺の中でレッドキャップと戦う事に迷いがあったからだと思う。
けれども今は違う。あの場で言った事に嘘は無い。変な言い方だが、自身で口にした事で迷いがなくなったのだろう。覚悟を決める直前、代役の方法も天啓のように降ってきた。
やはり俺は自分で動く方が性に合っている。どんなに痛い思いをすると分かっていてもこれは治りそうにない。今回はそれが痛いほど分かった。
「やっぱりデリックの言っている事がオイラには分からないよ」
「気にするな。禿げるぞ」
「禿げないよ、馬鹿! それよりもレッドキャップと戦うのは良いけど、どうやって勝つつもりなの? 何か秘策でもあるの?」
「秘策になるかどうかは分からないがフィン、俺が言った『関節技』は覚えているか?」
「うん、覚えているよ……って、まさかデリックは関節技でレッドキャップに勝つつもり?」
コンニャク問答に嫌気が差したのか、今度は質問を変えてくる。俺が勝つつもりでいるのか気になっていたのだろう。気合と根性だけで倒せるほどレッドキャップ戦は甘くないからだ。無策ではないと信じた上での質問だと思う。
シモンと一緒にレッドキャップ対策を考える中、「もし勝ちが拾えるなら」とずっと考えていた。柔よく剛を制す。相手がパワーファイターであるなら、同じ土俵に立たず、それ以外で戦う。今の俺の持ち札ならこれしか考えられない。如何にダウンさせ、関節技に持ち込むか? 相手の体力を削りつつも、隙あらば狙っていく。こうした考えも俺だからできるのだと思う。
同じ戦うなら勝ちを狙いに行かないと。シモンの考え自体は否定しないが、それはやはり面白くない。
「そんなに上手く行くとは思っていないが、それでも可能性はあるだろ? 何か一つの技を極めるだけで良いんだ。何とかなるかもしれないぞ。試合、応援に来てくれるか?」
「う、うん。絶対に行くよ! だから、必ずレッドキャップに勝ってよ!」
初めて会った時のお願いをふと思い出す。あの時は「いつか」と言っていたが、それは思った以上に早い日へと変わった。ただそれだけの事。なら、ファンの願いを叶えるのが今の俺のする事である。
この町に根深く残る色付きの問題やオーギュストとの因縁はあるが、そんな余計な雑音を気にし過ぎていた。ムカつく敵をカラッとスカッと葬り去る。目の前の小さなファンの期待に応える。シンプルだが、俺にはその方が似合わないか?
それに……今ここで俺が何もしないようでは最終的な目標にも届かないような気がしていた。
「ああ、まかせろ……っと、しかし初めてフィンの顔をきちんと見れたが、綺麗な顔してるな。『美少女』って言われないか? いや、整った顔立ちという意味だぞ」
「えっ、ああ、うん……ありがと」
「悪い。変な事言ったな。そう言えば、フィンがシモンの事を知っているとは思わなかったぞ。やっぱり色付きの間ではアイツは有名なのか?」
真面目な話は終わり、俺も気恥ずかしくなったのかつい余計な軽口を叩いてしまう。慌てて訂正したが、微妙な雰囲気となってしまった。怒るに怒れないというか、気を使わせたようだ。
気を取り直して、さっき広場で言っていたシモンの件を聞く事にしたのだが、意外な事実が判明する。
「その辺はオイラには分からないかな。ただ、姉ちゃんの幼馴染でね、何度も会った事があるんだ。シモン兄ちゃんはよく『強くなって白いのをぶっ倒す』って言って、姉ちゃんを心配させてたよ」
「なるほど、そういう接点か。なら、お姉さんにシモンが今アルパカにいる事教えてあげないとな。……うん。全部終わったらシモンを連れていってやるよ。アイツ、この町に来てからずっと外出を嫌がっていたけど、お姉さんに顔を見せて安心させるくらいなら大丈夫だろう……というか無理矢理連れ出す」
「あはは、何それ。けど、姉ちゃんは喜ぶと思う。シモン兄ちゃんがこの町からいなくなってから、ずっと帰りを待っているから」
「愛されてるなアイツ。あー、そういう事か。意地張ってるのか。お姉さん含めて昔馴染みに胸を張れる何かが欲しいんだろうな。何となく分かるが、そういうの無くても元気な顔を見せるだけで喜ぶ筈なのに」
「姉ちゃんは一途だからね」
「良し、汚れも取れたようだな。それじゃあ、家まで背負ってやるから案内しろ」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「おっー、ここがフィンの家か。立派なものじゃないか」
「何言ってんの。古くて雨漏りとかもあるんだよ」
「何言ってんだ。辺境の超貧乏農家舐めんな」
到着したのは、以前アイダと出会った旧市街と思われる長屋の一角。ここにフィンの家があった。
雰囲気はいつも通りだが、体力も消耗したろうし、何より少し足を捻っていた。応急処置として俺のタオルで患部の固定を行なっている。そんな状態で家に帰すのは酷だと判断し、背負ってきた形である。フィンの役割は道案内だ。
家族は全員働いているらしく、戻ってくるのは日が暮れてからだという。この区画の家は皆そうらしい。だから、以前にここに来た時は
フィンの家は簡素な作りの木造建築で戸の建付けが悪く、開くのに少し苦労した。安普請故か隙間風も入ってくるし、排煙設備もないとの事。それでも、この辺ではこれが普通という。
「せめて雨漏りくらいは直したいんだけど、オイラの家、今食べるのでやっとだから……」
「それでガイドしてるのか。家計を助けているんだな。やるじゃねぇか。う……ん? ちょっと待てよ。何か変だ。家族総出で働いて『食うのがやっと』はおかしくないか? 確かお姉さんも働いているんだよな」
「そ、それは……」
アルパカの町はこうした点にも陰があった。いや、正しくはこの国全体の問題というべきか。
「もしかして、死別か」
「うん。父ちゃんがね……」
つまりフィンは母子家庭である。聞けば数年前に病気で父親を亡くしたという。それまでは裕福ではないが、生活に困るような事はなかったのが一変、今では母親の仕事だけでは食べるのさえも困り、フィンと姉が働かないと生活が立ち行かないらしい。
一瞬、色付きは不当に給金を低く設定されているのかもと疑ったりもしたが、さすがにそれはないとの事。両親がきちんと働いている家では生活に多少なりともゆとりはあるそうだ。
ただ、幸いというべきか来年にはお姉さんの就職が決まりそうなので、それまでの辛抱らしい。将来の展望がある事が救いである。
そこまで聞いて一安心をする。この世界の人々は本当に逞しい。俺も負けてはいられない。
「悪い事聞いてしまったな……」
「ううん。良いよ。いつまでも父ちゃんが死んだ事を引き摺ってはいられないからね。オイラも早くどこかで働きたいよ」
そう言いながらも、フィンは椅子に腰をかけ寛ろいだ。
中は綺麗に掃除をされている……というよりは殺風景という言葉が似合う。必要最低限の物しかないようだ。俺の実家も似たようなものだから何だか懐かしい。不謹慎だが幾ら片付けても気が付けばゴミが散乱する今の宿舎に比べれば、俺はこちらの方が好きだったりする。
「悪化させないようにしろよ。そうじゃないと、俺の試合観に行けなくなるからな」
「送ってくれてありがとう。試合頑張ってね」
「おう、任せとけ。フィンの応援があるんだ。格好悪い試合にはしないから楽しみにしておけ」
家族が帰って来ていない所を一人残すのは若干気を咎めたが、まだ俺もゆっくりとはできないので早々に帰ろうとした所で不意にフィンが俺の事を呼び止める。
「待ってデリック。あのさ……オイラ本当の名前は『フィル』って言うんだよ。覚えておいて」
何故そんな告白を突然俺にしたのか理解はできなかったが、俺がプレゼントしたベレー帽を手でクシャクシャにしながら、顔を赤らめて恥ずかしそうにしていた。こんな顔もするんだな。
「分かった。フィルだな。覚えておく」
ニトラではそんな事はなかったが、この町は剣闘士が盛んだからこそ、有名選手は前世であったようなリングネームを使っているかもしれない。それを真似て仕事用の源氏名として使っていても何ら不思議はない。俺もいずれはリングネームを使ったりするのだろうか? そんな事をふと思ってしまった。
俺は源氏名だろうと気にしないが、フィルからすればこれまで騙していたような気持ちだったのかもしれないな。もしくは、本名を明かしても良いと思う程の信用を得たというのかもしれない。どちらにしろ気恥ずかしいのは何となく分かる。
ここまで俺を信頼してくれるんだ。なら、その信頼に応えないといけないな。レッドキャップ戦は不安要素を挙げればキリがない。けれども、それを何とかしようと考える自分自身が面白くなり、ついつい笑みが零れてしまう。
分かってはいたが、どうやら俺は生粋の馬鹿のようだ。そんな思いで帰路へと着いた。
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