第十四話 それぞれの想い

 困惑した表情をしながらも、力強い眼で俺を真っ直ぐに見ながらカルメラ姉さんはこう言った。


「まだ私はデリックが剣闘士をする事を許した訳ではないわ」


 早いもので俺達の一座がこの町を出る日となる。


 全員総出の人海戦術にて馬車への荷物もほぼ積み終わり、今は見送りに来てくれた人達に最後の挨拶をしていた。


 ここコタコタで仲良くなった飲み仲間、懇意にしていた食堂兼居酒屋の店主、最後に大宴会をしたお店と思しき関係者。皆が一時の別れを惜しんでいる。


 そんな中、嬉しい事に俺にも家族が見送りに来てくれていた。カルメラ姉さんも一緒だ。


「それでも今回だけは感謝しているの。ありがとう。デリック」


 深々と頭を下げながら、感謝の言葉を口にした。俺との和解はした訳ではないが、これだけは直接伝えたかったとの事である。


「その言葉は借金を全て返し終わってからで良いよ。だから今回の事は気にしないで」


「……でも」


 俺が怪我の治療を受けてから二日後、宿舎を訪ねてきた父からその後の報告を貰う事ができた。賭けの払い戻し金で無事高利貸しへの利息分を支払い終え、後は融資を受けるだけとなる。また、提出した融資の書類にも不備は無く、受理されたという事だった。

  

 後は、約一ヶ月の審査期間を経ての融資となるが、組合の担当の人も特に問題はないだろうと太鼓判を押してくれたらしい。


 残ったのは融資が下り次第、高利貸しへの借金を完済する事。それからは半年の猶予期間を経て改めて返済が始まる。全ては順調に進んでいた。


 宿舎のロビーで俺は一連の話を聞いていたが、その時の父はまるで憑き物が落ちたかのような晴れやかな顔になっていた。口には出さなかったが、ずっと悩んでいたのだと思う。俺自身は大した事はしていないが、父に明るさを取り戻せ、家に笑いが戻ったなら、それだけでも十分に意味があった。


「ワシは剣闘士の事は分からないが、初めての戦いでよくあんな相手を倒したな。デリックがあれだけ強いとは思わなかったぞ」


「ははっ。そう言ってもらえるのは嬉しいですが、今回は偶然ですよ。ああいうのはもうこりごりです。これからは新人は新人らしく弱い相手と戦いますから」


 そうして父にも俺の周りで起こった事を話していく。運営の手違いで対戦相手が予定とは変わっていた事、デビュー戦は元々は代役でしかなかった事、そして、払い戻し金が二〇倍になった経緯と。


 本来ならこういった長話は飲み物でも交えながらするべきではあるが、今回は広いロビーの隅にあった安普請のテーブルを挟んでの会話であった。椅子があってゆっくりできるだけでも運が良かったという状態。お互いが手持ち無沙汰で話を真剣に聞く姿は何ともシュールであった。


「それなら少し安心だな。その治療の跡を見るとカルメラと同じく剣闘士を続ける事に賛成はできないからな」


 こうして父と話して知った事だが、実は俺のデビュー戦は家族総出で観に来てくれていた。勿論カルメラ姉さんも含めて。なお、姉は闘技場に着くまでは物凄く嫌がっていたが、いざ客席に到着すると率先して観戦しやすい場所の確保に走っていたとか。意外と喜んでいたらしい。


 ただ喜んでいたのもそこまでで、試合が始まると俺は終始押されっぱなしだったし、背中から大量の血を流すし、トドメは勝ち名乗りの最中にぶっ倒れたという事で物凄く情緒不安定だったという。試合終盤はずっと「デリックが、デリックがまた死んじゃう」とうわ言のように呟いていたとか。


 俺としてはあれだけ反対していたのだから、特に姉さんだけは絶対に観に来ないと思っていた。確かに観ていて気分の良い試合展開でなかっただけに、後悔をさせてしまったかもしれない。


「ははっ……恥ずかしい試合でしたね。もう少し危なげない戦いができるように精進します」


 そう言いながら頭を下げる。


「い、いや、十分立派な戦いだったとワシは思う。けれども、デリックが傷つくと悲しむ家族がいる事を覚えておいて欲しい」


「あ……ありがとう……ございます」


 もう一度頭を下げる。何となくテーブルの木目を目で追いながら、こう答えるのが精一杯だった。


 少し気恥ずかしいが、そういう風に言ってもらえるのは素直に嬉しかったりする。こんな感覚は久しく忘れていた。


 「……あっー、その、なんだー。ずっと気になっていたが、幾ら上からブランケットを被っているとはいえ、その格好では寒くないか?」


 父もこういう雰囲気は苦手なのかもしれない。自分で言った一言が恥かしくなったのか、突然話題を変えるように俺の事を尋ねてくる。確かに今の俺は上半身が裸となっており、各部特に胸から背中にかけては包帯代わりの布がグルグルに巻きつけられているのが全く隠せていない。


 これは仕方がない。試合で着ていた一張羅は俺が血を流した事で傷口に張り付いてしまい、手術の前にズタズタに切断されてしまった。再起不可能な状態である。当然、元々が急遽の代役なので、替えの衣装は持っている筈がない。その上、ずっと安静で外に出る事ができなかったので、新しい中古服を買いに行く余裕もなかったというオチである。


 こうした経緯を説明すると父は「なるほど」と頷きながら、足元に置いてあった麻袋から何かを取り出し俺に手渡してくれる。


「なら、丁度良かったな」


「えっ、これは……」


「ワシのお下がりではあるがカルメラがな、お前に渡してやれって持たせたんだ」


「えっ! 姉さんが……」


 父自体も存在を忘れていた上着が、使われずに家に残っていた事を姉さんが知っていたらしい。いつもの過保護だなと思いつつも有り難く受け取る。


「うーん。まだ少し大きかったかもな。本当は採寸して作りたかったが、怪我が治るまでにはまだ時間が掛かるからな。今はこれで我慢してくれるか」


 ベージュ色の素っ気ないデザインのこの上着は、肌触りは多少ゴワゴワしており動きにも若干の不自由さと重さは感じる。だが、その分作りがしっかりとしておりとても頑丈そうだ。ある意味俺好みの作りである。


「ははっ……確かに少し大きいですね。でもこうして折れば大丈夫ですよ。ありがとうございます」


 俺自身がまだ成長途中という事もあるが、上着はサイズが一回り大きかった。どちらかと言えば服に着られるという印象になっているだろう。


 父はその姿を見て難色を示しているようだが、


「気にしないでください。すぐに大きくなりますから心配する事はないですよ。凄く気に入りました」


「なら良いんだ」


 こうして、何とか納得してもらう。


「しかし同じデリックでも、違う所はあるんだな」


「いやいや。そんな所で感心しないでくださいよ。同じデリックでも違うのは当然ですよ。でも、どちらのデリックも父さんや母さん、そして姉さんを大事な家族だと思っている事に変わりはないと思いますよ。それで良いじゃないですか」

 

「そうだな。デリックのお陰で何とかなったからな。今度はワシ達が頑張る番だな」


 そう。俺がした事は本当に大した事ではない。あくまでも最悪の事態を回避しただけ。まだこれから借金の返済が待っている。


 もし俺が何でもできるスーパーマンなら、借金問題自体が解決できていただろう。だが、所詮は普通の人間だ。できる事は限られている。


 本音ではこうした解決の仕方しかできない事は非常にもどかしいし、心残りもある。けれどもその一方、「今はそれでも良いんじゃないか」と思えるようになっていた。


 この世界に生きる人達は思った以上にタフで、きちんと自らの足で地面を踏みしめる事ができる。俺は歩き出す一歩目の手助けさえできればそれで良いのだと。あの日金髪の少女から教わった事は俺の血肉になっている。


「そうね。次はお姉ちゃんの頑張る番ね。もうデリックがこんな危ない事をしなくても良いようにしっかりしないと。デリックが剣闘士を辞めたら、また梨のコンポートを作ってあげる」


 だから、今の俺には姉のこの言葉が聞けただけで充分であった。家族がバラバラになっていたなら、もう一度やり直す事もできない。マイナスへと転落する。俺にはその事が身に染みている。


「姉さんにとっては不本意かもしれないけど、作ってくれたグローブのお陰で今回の試合は勝てたようなものだし、多分これからも勝ち続けると思うよ。応援して欲しいとは言わない。ただ、俺一人の力だけで戦う訳ではないと知ってもらえたら嬉しいかな」


 自然とこんな事が言えてしまうのも、その嬉しさからなのだと思う。


「……ずるいわよ。そんな言い方」


 そっと姉さんが俺から視線を外し、下を向く。


「そんなつもりで言った訳じゃないんだけどね。これからもデリックは姉さんの弟であり続けるつもりだよ」


「……馬鹿」


「それじゃあこの辺で行くよ。今日は見送りありがとう。今度この町に来た時は、お土産持って遊びに来るね」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。最後にこれを持っていきなさい」


 そう言いながら、無造作に俺の手に何かを握らせる。


「ん? これは……お守りかな」


「そうよ。後は紐を通して首に掛けるなり、腕に付けるかしなさい」


「うん。分かった。ありがとう姉さん。大事にするよ」


 手渡された物は、円形の金属板に五芒星ごぼうせいの絵が掘り込まれた何やら魔術的な物であった。今まで気にした事はなかったが、この世界にもこういう物があるのか。姉さんも口ではああは言っていたけれど、きっと俺の事を応援してくれているのだろう。そう思いたい。


 次、この町に来る時は皆の期待に恥じないような姿になっておかないとな。


「父さん、母さんも今日はありがとう。また、遊びに来るね」


「ああ、楽しみにしている」


「そうね。いつでも遊びにいらっしゃい。今度は美味しいもの一杯作ってあげるわ」


 始まりから色々と間違っていたが、最後は清々しい気持ちでこの町を去る事ができる。所詮はニセモノの家族と思ってはいたが、気が付けば俺自身が身体を張るほどのかけがえのないものとなっていた。


 とても嬉しい事に、まだまだ俺はニセデリックを続けて良いようだ。皆が俺を見る眼は、まさに家族に対するそれであった。


 次、この町に来るのがとても楽しみである。


 もうすぐ季節は変わるが人の想いは簡単には変わらない。そんな事を感じた快晴の日であった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 後日。


「ム、ムムムムムーーー」


 ニトラに戻って早々、この度の遠征での怪我の治療費の請求書が渡される。


 た、高い。分かってはいたが、笑うしかない高額の治療費であった。しかも、ちゃっかりと父の治療費も含まれており、倍率ドン更に倍の金額となっている。


 どこか間違いがあるのではないかと何度も項目をチェックするが、それらしき箇所は無い。こういう時に日本の保険制度の偉大さを痛感する。


「デリック、そんなに真剣に見ても何も変わらないぞ。思った以上に高くなっているのは分かるが、お前の手術、結構大変だったらしいからな。諦めろ」


「いや、それは分かっているんだけどさ。二〇倍のビッグボーナスが出たんだぞ。何か美味い物でも食おうかと思ったらこれだ。少しくらい残っても良いとは思わないか?」


 そう。今回の試合は当然俺も自分の勝ちに賭けていた。原資は装備を買うのに渡された金の残りと俺のお小遣い全額。本来はそれで利息分の支払いが足りなかった時に補填しようと思っていたが、二〇倍の払い戻し金により、利息分の支払いは姉さんから預かった分だけで全て賄う事ができ、俺の分は元金を返した後は全て使える筈だった。


 使える筈だったんだ……。


 なのに、


「こうして無事ニトラに戻ってきたんだから、今回はそれで良かったんじゃないか? 『命あっての物種』だぞ」


「言っている事は分かるが、ホセに言われるのだけはムカつく」 


 結局は手にした大金も全て治療費に消えてしまう。確かに父の治療費の事はすっかり忘れていた。今更父に「治療費を払え」と言うのも気が引けるので、俺が全額立て替えるのは納得している。


 結果、俺は一体何のために戦ったのだろうか? いや、家族の笑顔のために頑張ったと言えば聞こえは良いが、これでは実質的にただ働きである。


 いや、最悪タダ働きなのは良い。それよりも、ホセを含め先輩達は大儲けしたのに、俺だけというのが納得できなかった。言い方を変えれば逆恨みである。


「ああなるよりマシだと思わないか?」


「ん?」


 ホセの指差す先には暗く沈みこんだジャンの姿がある。ここは祭壇ではないのに何故か祈りを行なっている。明かり取りの窓から入る太陽の光が彼を照らし、一種幻想的な雰囲気を出しているような気がするが、その当人はこの世の終わりのような顔で死相が浮かんでいた。妙にアンバランスになっている。


「一体どうしたんだ? 物凄く顔色が悪いんだが」


「良いからそっとしておいてやれ」


「どういう事だ?」


 今回の俺の試合で一番儲けたのは黒幕のジャンである。何でも大枚はたいて俺の勝ちに賭けたので、驚く程の払い戻し金を手にしたらしい。


 ただ……それで満足しておけば良かったのに、その後調子に乗ってコタコタの町にあるドッグレースで大ヤマを張って払い戻し金を溶かしてしまう。


 余程頭に来たのだろう。止せば良いのにそれでも賭けを続け、今度は大事な教会の装具を質に出す始末。当然、結果は惨敗。それでも、何とかコタコタの団体の人に代金を立て替えてもらって装具だけは取り戻したらしい。


「ちょ、それじゃあ、残ったのは借金だけかよ。大勝ちした意味無いじゃねぇか」


「帰り際、向こうの団体の人、顔が引きつっていたの覚えているか?」


「ああっー、そういう事か。てっきり俺の件でそうなっていたと思ってた」


「そういう事だ」


「これじゃあ、しばらくコタコタへの遠征は無いな。相当嫌われたな俺達」


「デリック、ホセ、私の祈りの邪魔をするな。日頃から言っているが、お前達は信心が足りん。今日こそは神の偉大さを説教してやる!」


「やべ。逃げろ!」


 金は天下の回り物。往き大名の帰り乞食。どこまでも底辺が似合う俺達にとって、所詮泡銭あぶくぜにというのは一夜の夢でしかないのだろう。


 教訓:悪銭身につかず


「次こそは、絶ぇ対に、大穴当ててやる!!」

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