空白恐怖症 【ショートショート】

いとうヒンジ

空白恐怖症



「ええ、そうです、『空白恐怖症』だと思うんです。最近流行っているっていうでしょう? 僕も絶対、そうだと思うんです」



 見た目二十代前半くらいの青年が、医者に向かってそう口にする。


 医者は知的そうに眼鏡をくいっと動かし、ふむふむと青年の話を聞いた。



「休みの日に予定が詰まっていないと、怖くてたまらない……知り合いの充実した生活をSNSで見るたびに、焦りでどうにもおかしくなる……ふむ、これは君、『空白恐怖症』で間違いないよ、黒澤くん」



 医者は目の前の疲れた顔をした青年――黒澤尚の自己診断を支持した。



「そうでしょう。ここ数カ月、まともに休めた日がないんです。家に一人でいると、世界に見捨てられたような気がしてきて……気づけば、誰彼構わず声を掛けて、予定を作っているんです」



「ふむふむ」



 医者はもっともらしく、腕を組んで頷く。


 半年程前から、世間を賑わしている「空白恐怖症」――暇な時間という「空白」に対し恐怖心を抱き、次第に私生活に影響を及ぼしてくる……主に若者の間で流行している病だ。



「先生、僕は一体どうしたらいいんでしょう。予定が埋まっていないと、それが気になって睡眠もまともに取れないんです。翌日に空白の時間があると思うと、怖くて怖くて……」



「大丈夫。病気を治すのが、医者の務めだからね。大船に乗った気持ちでいなさい」



 黒澤の悲痛な訴えに、医者は笑顔でそう返した。そして、あらかじめ用意してあったであろう薬を、彼に手渡す。



「これは……?」



「その薬はね、『空白恐怖症』を治すために開発された、超強力な睡眠薬だよ。一錠飲むだけで、二十四時間眠り続けることができる優れものだ」



「二十四時間も。それはすごいですけど、眠ったからってどうにかなるものなんですか?」



「恐怖というのは、要は慣れていないということなのだよ。『空白』の時間に慣れていないから、みんな必要以上に怖がってしまうのだ。そこで、休みの前にその薬を飲むことで、強制的に『空白』の時間を作ってやるのだよ。一カ月も続ければ、予定がないことへの恐怖は薄れていくだろう」



 医者の力強い説明に後押しされ、黒澤は薬を服用することに決めた。とりあえずは一カ月、休みの前の晩に薬を飲んで、様子を見ることにした。


 彼は土日休みの会社に勤めているので、服用するのは金曜の夜ということになる。



「……さて」



 次の金曜日、黒澤は早速薬を手にしていた。もちろん、土曜の予定は何もない。翌日には空白の時間が待っている。


――ああ、明日はなんにも予定がない。怖くて怖くてたまらない。


 恐怖心に耐え、彼は薬を飲み込んだ。そのままベッドに横たわると――数秒もしないうちに、すんと眠りに落ちていく。



 ◇



「……んん」



 目を覚ました黒澤は、まずスマホをチェックした。画面には、土曜日の午後二十三時と表示されている。


――本当に、ぴったり二十四時間寝ていたらしい。


 睡眠薬の性能に驚きつつ、彼は気づいた。


 予定のない一日を、ただ眠って過ごしていただけにも関わらず――自分の中に、恐怖心が全くないといことに。



「何てことだ。あの医者の言っていたことは本当だったんだ」



 この体験にすっかり気を良くした彼は、医者の言いつけ通り、睡眠薬を服用し続けた。


 そして、一カ月後。



「やあどうも、先生」



「これはこれは、随分顔色もよくなったようだね。どれ、薬は効いただろう」



 黒澤は例の病院へと足を運び、この一カ月の成果を報告していた。



「ええ、そりゃとんでもなく。一日寝て過ごすなんて、病気になってからは考えただけでも恐ろしいことだったのに……やってみれば、案外いけるものですね。だいぶ『空白』にも慣れてきましたよ」



「ふむふむ、それはよかった」



「ただ、やっぱりまだ完治しているとは言えないようなんです。土曜日の予定は、金曜に薬を飲めば気にしないで済みますが、日曜は相変わらず。それに平日だって、仕事終わりに呑みに行ったり遊びに行ったりしないと、怖くて仕方がないんです」



「それはそうだろう。すぐに治るなんて思っちゃいけないさ……そこで、どうだろう。私から一つ、治療法について提案があるんだが」



 言いながら、医者はあらかじめ用意していた薬を取り出す。前回よりも、その量は増えていた。



「今は週に一回だけの服用だが、これを週に二回にしてみないかね? つまり、金曜日に飲んで土曜に目覚めた後、すぐもう一錠を飲むんだ。そうすれば、土日の予定に怯えることが無くなる」



「それは……でも、さすがに週に二日も寝たきりなんてのは、まずいんじゃないでしょうか?」



 黒澤は不安になって質問した。医者はそれを聞いて、深く溜息をつく。



「……君ね。『空白恐怖症』を早期に治さないと、どうなるかわかるかい? これから一生、予定のない時間に怯えながら暮らすことになるんだ。それなら、週二日無駄にしてでも、今のうちに治すべきだと、私は思うがね。なあに、一カ月もすれば、またすぐに慣れるさ」



「……そうですね」



 この医者の言うことももっともだと、彼は納得した。そして、前回よりも倍多く薬を貰って、家へと帰っていったのだった。



 ◇



「――はいはい、万事順調ですよ。『空白恐怖症ウィルス』はどんどん蔓延し、今やこの国のほぼ全ての若者が発症しています」



 暗い室内で、一人の男が壁に向かって話をしている。



『そうか。薬の方は、どうなっている?』



 どこからともなくそんな声が聞こえてきた。部屋には男以外誰もいないはずなのだが……しかし、男は気にする素振りを見せず、謎の声と会話を続ける。



「そちらも大変順調です。まずは週に一回服用させ、一カ月後には二回、さらに三回四回と、与える数を増やしています。週に二日も寝たきりになることに慣れてしまえば、後はもうズルズルと、薬を飲み続けていますよ」



『だろうな。地球人とはそういうものだ。病気を治すためというお題目と、強力な睡眠薬という手段さえ与えてしまえば――たかが外れたように、自ら空白の時間を作り出すだろう』



 謎の声は得意そうに笑った。つられて、男も性悪な笑みを浮かべる。



「この日本という国が崩壊するのも、もう目前です。一国さえ落としてしまえば、後はどんんどんと『ウィルス』をばら撒き、同じように薬を提供することで……地球侵略は容易いでしょう」



 『うむ、期待しているぞ。そろそろ我が星の別部隊が地球に着くころだ。先兵として潜り込んだお前は、しっかりと仕事をこなしてくれ』



「ええ、お任せください。きっちりと仕事を果たします。病気を治すのが、医者の務めですから……」





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