蜂に毒は無かった

海老名河継

第1話 予期

 もともと蜂に毒は無かった。

これを聞くと嘘と思うかもしれない。しかし、本当に無かったのである。

 それは羽のある昆虫が進化して、花の蜜を集めるようになったとき。横取りしようとするものが現れた。だから蜂はそれに対抗する手段として毒針を持つ昆虫へと進化していったのだ。きっと横取りするものへの怨みが蜂の体内に蓄積され、それが長い年月をかけて子へと遺伝し、怨みを強くした結果、先端から毒が滲み出るようになったのだろう。

勝手にそう解釈している。

 私は中学生。周りからは「大人しい子だね」と馬鹿にされるが、決してそうではない。側から見るとそうかもしれないが、私も人間だ。叫びたくなるときだって、暴れたくなるときだってある。しかし、それを今の私がしたところで相手は驚くどころか、ゲラゲラと笑って馬鹿にするに違いない。いや、絶対にそうだ。以前、隣のクラスのイジメられっ子がブチギレて叫ぶと、皆がそれを笑い者した。だから私はクラスのガキンチョに何かされても、無反応でグッと堪えることにしている。これがいけなかったのかもしれない。

あの日から私の体に不思議な現象が起きるようになった。

 中学3年の秋。皆が進路に焦るようになった頃のある日。同じクラスのガキンチョがいつものようにクラスメイトに嫌がらせをしていたときのことだ。ガキンチョは受験に向けて必死に勉強をしているクラスメイトに、消しゴムを刻んで作ったケシカスを投げる嫌がらせをしていた。先生が黒板に文字を書く隙を見計らって投げているらしい。授業に集中しているクラスメイトに無差別で投げてくる。だから当然、私にもそれが飛んできた。他のクラスメイトたちは飛んできたケシカスを手で払い除けるなり、ある程度の反応を見せていたが、私はグッと堪えて無視をすることにした。するとそのとき、突然脳裏にジワジワと滲み出る感覚が起きた。前日、夜遅くまで勉強をしていたから疲れが出てきたのかもしれない。

(今日は早めに寝るか。)

そう決意したとき、何故かガキンチョは青白い顔をしてケシカスを投げるのをやめていた。

 次の日、私はいつものように下校して家に帰ると、口うるさい母が玄関で待っていた。理由はわかる。進路のことだ。私は有名な美術部がある中堅校に行きたい。成績もちょうどそのぐらいだし、模試の結果もA判定が出ている。しかし母は、もう少し頑張って進学校へ行くことを勧めてくる。言いたいことはよくわかる。その方が将来、大学へ行くにしろ、専門学校へ行くにしろ有利だからだ。でもわざわざ無理して勉強なんてしたくない。そこそこのレベルで良いじゃないか。このことで帰宅後すぐに母と口論になった。

「あーもううるさいな、私の進路なんだから私が決めて良いじゃん」

「そのお金は誰が出すの?絵なんて部活でしなくても家で書けば良いじゃないの」

そのときだった。また昨日感じたジワジワが頭の中を駆け巡り、咄嗟に自分の意思とは違う願望が浮かんだ。

(足の指でもぶつければいいのに。)

母は「まあいいわ、先に手を洗ってきなさい」と私にガミガミ言うことを諦めてリビングに戻っていった。するとそのとき、「あっ!痛い!」と母の声が聞こえた。

「お母さんどしたの?」

「柱に足の指をぶつけちゃった。もう歳ね〜お母さんは大丈夫だから、ほら行きなさい」

私が要らないことを考えたからかな?そのときは、あまり深く考えずにそう思った。

しかし、今から思えばこれが始まりだったのかもしれない。

 あくる日私は、また嫌なことが起きた。昼休み、私はいつものように自席で本を読んでいると、

「音楽の教科書持ってない?」

違うクラスの同級生が声をかけてきた。私は焦って咄嗟に

「うん。持ってるよ!」と貸してしまったのである。

貸した後で、なんで知らない人に貸しちゃったんだろうと後悔した。私はこういう不意打ちにとても弱い。そう凹んでいるうちにチャイムが鳴り、授業が始まった。私は黙って先生の話を聞いているとフと思い出した。

(そうだ、この次の時間、音楽だ。)

教科書はすでに知らない同級生に貸してしまっている。ちゃんと返してくれるだろうと思いながらも、何組の誰なのか聞くことを忘れてしまったため、声をかけに行くことができない。私は再び後悔した。しかし、ちゃんと教科書を返してくれることを願い、自席で待つことを決めた。

 そしてチャイムが鳴り、授業が終わった。

次は音楽の時間。皆が教科書とリコーダーを持って音楽室に移動する中、私は一人、自席で昼休みに音楽の教科書を貸した同級生を待った。しかし現れない。音楽の授業は後5分で始まる。私は時計を見てソワソワしていた。すると、昼休みに音楽の教科書を貸した同級生が現れた。私はすかさず

「音楽の教科書!」と急かすと、

同級生は気まづそうに

「実は無くしちゃったんだ」と言う。

(はぁ!?この45分で!?)

私は信じられず、

「え!?次私が音楽の授業なんだけど…」

と言うと、

「本当にごめん!」

とだけ言い残して同級生は去って行ってしまった。

私は信じられない!と思いながらも後1分で始まる音楽の授業を受けに音楽室まで走った。

幸い、この日は音楽の教科書を使うことはなかったが、それにしても私の音楽の教科書が気になる。しかし、同級生の名前とクラスを聞くのをまた忘れてしまったので、取り返すことが難しい。私は次の日の昼休み全クラスを周り、音楽の教科書を貸した同級生を探すことにした。探し回った結果、5組にいることがわかった。私はタイミングを見計らい、声をかけた。

「あのう…昨日貸した音楽の教科書は…」

すると、同級生は

「あぁごめんね。あれから探しても出てこないんだ」と笑う。私は怒りが爆発しそうになるのを必死で抑えて「そうなんだ」と言おうとした。そのとき、再びあのジワジワした感覚が脳を支配し、「そうなんだ」という言葉が脳から消え、

(大怪我でもすればいいのに)

という言葉に頭の中で置き換わった。

しかし私はグッとこらえ、黙ったまま自席へと戻り、次の授業を受けた。私は

(音楽の教科書は無くなったけど、もう秋だし、使うことも無さそうだから良いか)

と呪文のように唱え、必死に自分を慰めているうちに、気づけば授業が終わり下校前のホームルームの時間になっていた。しかし、いつもと違い、担任の教師がなかなか来ない。すると、グラウンドが見える窓側に座っていたクラスメイトが突然「救急車だ!」と大声で言った。クラスがざわつき、皆が窓側に群がる。私も気になり窓側へ行くと、そこには確かに救急車が来ており、救急隊の人が担架を持ってグラウンドへ向かっている。そして、その先には大量の血を流した生徒がうずくまっていた。よく見ると、その生徒は私の音楽の教科書を無くした同級生だった。私の頭に思い浮かんだことが現実になったのかもしれない。まさか、そんなことがあるわけない。しかし、ジワジワが発生した後に浮かぶ言葉が全て現実となることに私は少しずつ恐怖を感じていた。

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