第24話 黄泉の目

 蒼玉は、自分に『黄泉の目』があると言う話を全員にした。『黄泉の目』を知らない五曜や蛍の為に、『黄泉の目』についても説明した――心残りがあり黄泉に行けない死者が見える、という闇の加護を受ける者にまれに与えられる能力の一つだ。


「話をしますが、私の言葉しか皆さんには聞こえないと思います。変に思われないでくださいね」

 蒼玉はそう言うと、隣の蛍に向き直った。美しい蒼玉の濡羽ぬれば色の瞳に見つめられた蛍は緊張したように、姿勢を正した。


 改めて、蛍にまとわりつく女を見つめる。蛍と同じ、とき色の髪と瞳の女だ。先ほどまでの蒼玉の話を聞いていたのか、微笑んでいた。

「貴女は、蛍さんのお母さんですね? 私は蒼玉と申します、何時も蛍さんにお世話になっていて感謝しています」

『有難うございます――私は、蛍の母の日向ひなたと申します。あなたは何時も蛍に優しかった……本当に有難う……蛍一人を残して死んだ事が、私の心残り……』

 日向は、一筋の涙を浮かべた。蒼玉は微笑んで語りかける。

「日向さん、安心してください。蛍さんは強く優しい方です。これから、仲間も増えてきっと幸せになるでしょう。貴女も蛍さんを信頼して、安心して冥府へ向かってください。貴女が再び、この中ノ地なかのちに生まれ変わる為に」

「蒼玉様、それは母様の名前……! 本当に、母様が私の傍に……」

 蛍は、必死に辺りに視線を向けるが亡き母の姿は見えない。その蛍の頭を、日向は撫でた――体に触れる事は出来ないからすり抜けてしまうのだが。

『五曜様は、幸い蛍を気に入って下さっています。王子の為にも、娘が役に立てるようにせめて回復の術の一つでも教えて貰えないでしょうか? そうすれば、娘にもっと希望が広がります――下女の身では、誰も娘に術を教えて下さりません』

 日向の言葉に、蒼玉は改めて荒れてしまっている蛍の指先を見た。間違いなく、彼女の爪には呪術師の紋章があった。

「分かりました、この蒼玉が貴女の願いを必ず叶えます。お約束しますので、どうか――貴女の魂が安らかになれるように、冥府へ向かわれてください」

 魂魄が未練を抱いたまま長く中ノ地を漂っていると、しきものに変わる事があると瞬湊しゅんそう村の長老に聞いた事があった。蒼玉はそれが心配だったのだ。

『――本当に……お優しい魂の方……娘を……よろしくお願いします……』

 日向はそう言うと、名残惜し気に蛍から離れた。必死に自分の姿を探している娘を優しく見つめて、それから視線を上に向けた。

『蛍――強く生きなさい。母は、あなたの幸せをいつでも願っています――さようなら』

「今、私の名前が聞こえました!」

 涙で潤む目で、蛍は蒼玉の優しい顔を見つめた。そうしてその彼女の横で、日向の姿が天に吸われるようにその体を光に変えて、キラキラと昇っていく。その光の一片でも見える様にと、蒼玉は強く願った。

「……あれ!」

 五曜が声を上げた。指をさして驚いている。食堂にいる訓練生の何人かも、食堂の天井を不思議そうに見つめてざわざわとしている。六星も統星も、蛍も何も言わずそれを見ていた。


 彼らの目に、確かに微かだがキラキラと光る何かが天に上る様子を見たのだ。


「蛍さんの幸せを、いつでも願っているそうです。強く、生きなさいと――冥府へ、向かわれましたよ」

 蒼玉がそう言うと、蛍は両手で顔を覆って泣き出した。五曜が心配したように立ち上がり、手拭いを胸元から取り出して彼女に渡してやる。そして、傍らで小さく華奢な背を優しく撫でてやる。

「驚いた――魂が冥府へ向かう光景を、初めて見た」

 統星の言葉に、六星もゆっくり頷いた。

「……あぁ、俺もだ。蒼玉は、とんでもねぇ才能を持ってんだな――そうだ、いい事がある」

 六星は蒼玉を感心したように眺めていたが、トン、と指先で卓を叩いた。

「蒼玉、お前安曇あずみ側室妃そくしつひは見えないのか?」

 安曇の名を出すと、五曜も統星もぎょっとしたように彼を見た。城内で彼女の名を出すのは、半ば暗黙の了解で『良し』とされていないからだ。

「梵天王子のお姿を見た時お傍に見えなかったので、分かりません。王子は、王の傍に居られるのではないかと仰っておられました」

 あの、明るくて華やかな女性の顔を忘れる筈がない。蒼玉が小さく首を横に振ると、六星は五曜に視線を向けた。

「五曜王子、王に蒼玉は謁見出来ないのか? 王の大事な安曇様が見える、と言えば会わせてくれるだろう?」

「待ってよ、事情が分からなくて話が分からないよ! どうして蒼玉は安曇様を知ってるんだ? それに――安曇様は、亡くなっているの?」

 そこで、蒼玉が生まれ故郷の奏州そうしゅうからここ夜岳に来た理由を皆に話していない事を、六星は理解した。五曜に席に戻るように促して、六星は蒼玉の代わりに話しだした。

「安曇様は、風の国の奏州にまで逃げ延びたらしい。そこで、蒼玉と会ったそうだ」

「はい、蛍石ほたるいしと奏州風の名に変えて、私の育った村で知り合いました。残念ながら寒い冬の日に村で緊急の魔獣退治をした時に、お亡くなりになりました――私に、根付を預けられて」

「根付?」

 統星が、僅かに眉を顰めた。闇の国の王家の根付があるという事は、他国の者は知らないはずなのだ。

「蒼玉と知り合った時に、俺は間違いなく見た。あれは安曇様の花とされる『火牡丹ひぼたん』と呼ばれる薔薇そうびの花をかたどった根付だった」

 蒼玉は、薔薇の種類をあまり知らない。名を聞いても、本来のその薔薇が根付の薔薇と一緒なのかは分からなかった。

「お前は見たのか――蒼玉、その根付は今どうしている? 持っているのか?」

 統星は、六星から蒼玉に視線を変えた。

「いえ、梵天様にお渡ししました。梵天様は、最初私が倶留守くるす元宮様の手の者と疑っておられましたが、根付を見て私が梵天様にその根付を渡しに来たことを信じて下さいました」

「そうか、それなら梵天様から王に話をした方が早いな」

 蒼玉が夜岳やがくに来て王子や王女の為に尽力した事、呪術師や采配さいはいの能力が高い事は統星も知っている。反対を言う事はなかった。

「けれど、たしか梵天様は朝早くに視察に出ると言われてました」

 ようやく泣くのを止めた蛍が、小さな声でそう話した。確かに、蒼玉も起きた時に蛍からその話を聞いた。

「梵天様は、先ほど城に向かって戻ってきていると、使い手から報告が来た。崖で馬が何頭か落ちたらしく、落ちた馬は足を折ったらしい。移転の術を使えば、倶留守元宮側の使い手にも知られるから、一度戻り隊を立て直すとの事だ」

「……使い手様が、反乱軍に付く事があるのですか?」

 使い手は、王族を導くために作られた存在だと聞いて育った。王位継承を剥奪されている元宮に使い手がしたがっているのが、蒼玉には信じられなかった。

「前にも少し話しただろう――どんな事でも、決めるのは自分自身だ。今回の内乱も、兄が弟の妻を奪った事から始まった……それを憐れに思う使い手もいたって事さ。『神の口付け』さえ奪えば、元宮でも王位を得られるからな。この戦いは、人間だけじゃない。使い手の戦いでもあるんだよ」

 六星は、王位側でも反乱軍側でもない立場だ。だから、この国の内情をまだ深く知らぬ蒼玉にはっきりと教えてやれる。五曜も統星も、何も言えず黙り込んだ。

「――あの、六星様」

 皆が黙り込むと、蛍が蒼玉を挟んで反対側に座る六星に話しかけた。

「六星様は、王家を助けられるんですか? そのための信用を得る為に、安曇様の事を王にお伝えするのですか?」

「ああ、正解だ。蒼玉は問題ないだろうが、ただの流れ者の戦士なんざ、王家が普通は信じないだろう? だから、蒼玉に手伝って貰うのさ。お嬢ちゃん、頭いいな」

「お前の場合、報酬も含まれるんだろ?」

 六星が笑ってそう言うと、統星が付け加えるようにそう言った。そのやり取りに、蛍も笑った。

「あ! そろそろ授業が始まる」

 食堂にいる訓練生が少なくなった事に、五曜は慌てて立ち上がった。

「ごめんね、僕はそろそろ戻るよ。少ししたら、使い手に事情を話して戻ってくるからさ! ――あ、ちなみにこれ」

 五曜はそう言うと、懐から何かを取り出した。それは、黒い房の付いた安曇のものとよく似た薔薇の根付だった。

「僕の根付だよ。海波うみなって花。綺麗だろ?じゃ、行ってきます――蒼玉と蛍、もう冷めちゃってるから早く食べなよ?」

 手を振って、五曜は食堂を出て行った。その言葉に、また食事が残っている蒼玉と蛍は慌てて箸を手にした。

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